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2015/06/17

市街地に小説の舞台を求めて

 今日、少々の時間が取れたので、「高志の国文学館」へ足を運んだ。
 仕事ではともかく、中に入るのは初めて。

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→ 神通川の土手(東側)から、夕景の対岸の呉羽山を遠望する。久世光彦氏の小説『早く昔になればいい』の舞台が山の坂道にあるとか……

 目的は、「ギャラリー展「妖怪がひそむ富山の民話」(5/20(水)~7/6(月))」である。
 無論、常設展で、富山県の文學者などの文化人先覚者を展望するのも、忘れない。
 目的をもう少し絞ると、小説を書くネタ乃至モチベーションとなる何かを求めて、となる。

 富山県を舞台の小説はそれなりにある。 
 が、小生としては地元富山市の中心部を舞台に選びたい。参考になる作品や作家はいないかと、これまでも物色してきたが、未だ見いだせないでいる。

 近頃話題の、宮本輝氏(68)の新しい長編小説『田園発 港行き自転車』(集英社)は、富山県の随所が舞台に選ばれている……のだが、滑川だったり、宇奈月だったりして、肝心の富山市がない(未だ未読なので、断言は避けておく。宮本輝氏については、拙稿「宮本輝著『泥の河・蛍川』」参照)。

 富山市でも、八尾だと、おわら風の盆などをベースや背景にした小説がある。つい先日、亡くなられた直木賞作家の高橋治氏の手になる「風の盆恋歌」 などである。
 小生は彼についても、「道行きや虚実皮膜の風の盆」 「「おわら風の盆」余聞の余聞」 「田舎で読んだ本」などで扱っている。

 でも、富山市が……。
 僅かに、久世光彦氏の『早く昔になればいい』は、舞台が富山市の呉羽にある某坂道あたりだという。
 小生も、既に拙稿「無言坂…早く昔になればいい」や、その前に「香西と久世と無言坂」(03/08/14)にて採り上げている。

 その際は、転記しなかったが、以下の記述は気になるので敢えて再度「「「むかし卓袱台があったころ」久世光彦(ちくま文庫)」読みました! 高瀬事務所なんとなくブログ-ウェブリブログ」より):

少年時代を過ごした富山大学附属小学校・中学校周辺の坂道の風景をバックに、学校帰りの夕暮れ時に坂から眼下の町の灯を見つめる久世少年の、中学時代の多感な青春の想いをつづった演歌『無言坂』は(以下略)

 やはり、坂道なのだ。
ギャラリー展「妖怪がひそむ富山の民話」」では、チラシにもあるように、「景観を誇る富山の風土から生まれた越中の民話は、襲いくる困難を妖怪等にたとえて表し、 自然への敬虔な畏怖の念を育んできました。民話をもとに生まれた文学作品にも焦点をあて、 ふるさと富山の風土に根差した心を探ります」ということで、多少の期待を以て出かけたのだが、期待は泡と消えた。

Photo

← ギャラリー展「妖怪がひそむ富山の民話」(5/20(水)~7/6(月)) (「高志の国文学館」にて)

 富山市の平野部は、平坦過ぎて物語にしずらい……ってのは、言い訳に過ぎない、とは分かっているのだが。
 要は、富山を離れて30数年、富山とは馴染みが薄れてしまったのだ。高校時代の思い出に縋るか、あるいは誰かを恋するか。土地の顔、相貌あるいは地貌と寝ることしかないのだろう。

 今日は、先の企画展で唯一の富山市の昔話である「飛び団子の伝説」の話をメモっておくつもりだったが、機会を改めて、ということにする。


関連拙稿:
富山市を舞台の小説を夢見る
富山ゆかりの文人

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