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2015/06/30

本多裕樹の世界へ

 何処かカシニョール風なタッチの女性像。でも、カシニョールの描く女性ほどにアンニュイではなく、夢見る、やや背伸び勝ちの少女風である。
 シャガールほどには奔放な想像力を働かせるわけではなく、ローランサンの描くような、内に秘めたる強い意志を持つ女性たちとも違う。
 
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← 本多裕樹作「 ? 」 自由になり、心がやさしい心情にならないと芸術は降りてこないものです。よく、「愛深き者に神は降りる、芸術が天下ってくる」というが、わたしには愛は語れない。なぜ?、僕自体が人間的に完成していないからです。愛についても学習中です(← 作者談)。

 いい意味で青春の香りが漂う。描き手の若さを感じさせのだ。これはいいことだろう。
 瞑想的であり、思索的たらとしている。

 神の降臨、啓示の一閃を信じているのだろうか。

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→ 本多裕樹作「 ? 」 画家・詩人である同氏のブログ:「本多裕樹による、白銀の夜明け、(美術、詩、絵画) 」 他に、「本多裕樹(ほんだゆうき) - 広島アニメーションシティ(HAC)」も覗いてみるべし。

 小生のような萎え気味のポンコツともなると、真摯さと真っ直ぐさが眩しくてならない。
 失われた青春から思わず目を背ける自分が居る。
 曲がりくねった泥濘の道を歩き過ぎたのだろう。
 信じていたかもしれない世界からあまりに遠ざかってしまった。

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← 本多裕樹作「 ? 」 人間は本来悟っているのです。しかし、それが隠れていていろいろなことをやりながら、自分がわからなくなってくる。なので、本来の自分の中にある生命の本当の姿を掘り出していかねばならない。そうすば、自由になれる。本来の自分になれるのである(← 作者談)。

 今では、迷い道から這い出るなんて夢はとっくに忘れ去っている。
 夢には色がなく、現実にさえも色が霞んでしまっている。
 でも、絵画錬金術師ドクターカオス本多裕樹の世界に触れると、こんな小生をも、ほんの一瞬、覚醒させてくれるのだ。

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コメント

ローランサンは、ポーラ美術館で好きになりました。
ソフトな輪郭なのに、芯の強そうな女性なんですよね。
おっしゃる通り。
青春の頃は、何があったか、半分くらいしか思い出せません。
記憶は風化していきますね。
そのとき楽しければ、それでいい気がします。

投稿: 砂希 | 2015/07/01 21:13

砂希さん

悲しいかな、青春はドンドン、遠ざかって行きますね。
のど元過ぎれば……じゃないですが、子供の頃の感性や青春時代の感受性は、望むべくもありません。
まあ、いい年をして、青春でもないし、今さら青春の感覚がまともに蘇ったら、暮らしていけない。
でも、小説とか詩とか、あるいは若い人たちと接する学校の先生は、青春の感覚が分からないとって、思ったり。

ところで、本稿で紹介した本多裕樹さんの絵、どうです? いいでしょ。

投稿: やいっち | 2015/07/02 21:41

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