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2015/05/09

ヴィルヘルム・ハンマースホイとリルケ

Hammershoi_sunlight

→ ヴィルヘルム・ハンマースホイ「陽光、あるいは陽光に舞う塵 (1900) (画像は、「ヴィルヘルム・ハンマースホイ - Wikipedia」より) 「宮殿などの建物や都市近郊の風景を題材にした風景画も制作しているが、ハンマースホイの描く風景には人物がほとんど登場しない」 ネット時代の恩恵。ネットサーフィンしている中で、いつだったか遭遇した。何か気になる。不思議な孤独感。シャイとも違う。人の内面と正面から向き合うのが怖いのかもしれない。でも、人からは離れられない…

 今日は、何も語らない。掲載した絵の数々を眺めてもらえればそれでいい。

Einer_frau__19031904__randers_kunst

← ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershøi)「背を向けた若い女性のいる室内」 (1903-04) (画像は、「ヴィルヘルム・ハンマースホイ - Wikipedia」より) 「デンマークの画家。姓はハメルショイとも表記される」 「Vilhelm Hammershøi - Artworks」にて、多くの作品を観ることができる。

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→ ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1906 oil on canvas  Height: 51.8 cm Width: 44 cm ) 「室内風景画の多くには鑑賞者に背を向けた人物(その多くは彼の妻イーダ)が描かれている」 「揺動する心:ハンマースホイ(1)」の印象文が参考になる。同サイト氏によると、「ハンマースホイとリルケの出会いについては、展覧会に合わせて出版された図録の中でフェリックス・クレマーという人が触れている」とか。 

(以下は、リルケ「姉妹」(富士川英郎 訳)部分 9.「世界文學大系53 リルケ」(筑摩書房 昭和34年)p.101より。「揺動する心:ハンマースホイ(1)」にてこの詩の存在を知る。)
 

  ごらん ふたりが同じ出来事を
  別々に身につけ べつべつに理解するのを
  それはまるで異(ちが)った時間が ふたつの
  同じ部屋をよぎってゆくかのようだ

Hammershoi

← 「Vilhelm Hammershoi」(Felix Kraemer/ Naoki Sato (著) Royal Academy Books ) 「2008年夏ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開かれた英国初の回顧展のカタログ」 「作品としては、白・黒・灰色を基調とした抑えた色調で、時間の止まったような静寂な空気を感じさせる細密なタッチの室内画が中心である

Vilhelm_hammershoi

→ ヴィルヘルム・ハンマースホイ, Interior, Strandgade 30, 1908 (oil on canvas, 79 x 66 cm) (画像は、「Vilhelm Hammershøi the poetry of silence Art and design The Guardian」より) 「フェルメールのオランダ絵画の影響が指摘」されているというが、何処か、アンドリュー・ワイエスを想ってしまったりする。空気の乾き具合は全く違うのだけど。なんて戯言はともかく、ハンマースホイの世界への理解を深めるには「〜TOMOHISA SUZUMURA’S CRITICAL SPACE/鈴村智久の批評空間〜 ヴィルヘルム・ハンマースホイの世界――デンマーク室内画派の系譜から」が参考になる。同サイト氏によると、「ハンマースホイは、文学的にはイプセンの演劇やキェルケゴールの哲学における「不安」の概念を感じさせる独特な静謐さを持った室内画を描き出した」とか! 

Portrait_of_ida_ilsted

← ヴィルヘルム・ハンマースホイ「Portrait of Ida Ilsted, Later the Artist's Wife」(1890年  油彩、カンバス 106.5×86 cm コペンハーゲン国立美術館) (画像は、 「Vilhelm Hammershøi - Artworks」より) 上述の「揺動する心:ハンマースホイ(1)」によると、「この絵を見たマリア・ライナー・リルケがハンマースホイに会いに行ったという解説が付された絵」なのだとか。このサイトの方は、「リルケ「豹」(富士川英郎 訳)全文」を示されている。これはこれで示唆に富むが、小生は、やはり同じサイトに掲げられている、「リルケ「姉妹」(富士川英郎 訳)部分」のほうが、ハンマースホイの世界の理解のためには印象深い。本稿で掲げた由縁である。

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コメント

すごいなぁ、ハンマースホイとリルケ。
考えさせられるなぁ、
なんて言って済ませるときは、
たいして考えてないのですけどね~w。

コミュニケーション、
って、こんなものなのかもしれません。
実は、伝わっていなくても、
僕たちは、伝わっていることを前提にすること、
伝わっていないことを前提にできないこと。
実は、別のものを見ていても、
僕たちは、同じものを見ていることを前提にすること、
違うものを見ていることを前提にできないこと。

では、具体的な空間ではなく、
抽象的な空間が頼りであること。
でも、抽象的な空間のほうが、
人によってますます異なるから、
なおさら頼りにならないこと。

心理的な接点を持ちたくないこと。
関係性を排除するのが、デフォルトであること。
それが僕たちの戦略であること。

それが正解だと思いながら、
僕は、不正解を選ぶこと。
僕には、間違える自由があって、
そして、間違いだと知っていて間違えるのが、
自由だってこと。

なんてことを、
ひと月くらい、ぐるぐる思ってたわけです。

投稿: 青梗菜 | 2015/06/09 22:37

青梗菜さん

青梗菜さん節が炸裂してます。さっぱり分からない。
レスに困ります!

ここでは逃げさせてもらいます:
茨木のり子「一人は賑やか」   (詩華集「おんなのことば」より)
一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいるとき寂しいやつが
二人寄ったら なお淋しい

(以下、略)

投稿: やいっち | 2015/06/15 22:26

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