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2015/05/17

貴重な休日を『ピノキオの冒険』に費やす

 連休だったので、普段できない家事をいろいろやった。
 フローリングの部屋や廊下を拭き掃除。庭の通路に砂利を撒く。内庭には瓦チップを撒く。畑の苗床に支柱で棚を作る作業の続き。防草シートを念入りに張る。などなど。支柱などの資材が不足し、時間切れともなったので、あと一歩のところで中断となった。

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→ VAN GOGH, "LANDSCAPE AT DUSK" 1885 (画像は、「https--twitter.com-emilnolde1-status-568128663117410304」より)

 我が家の外庭には、近所のお寺の案内看板が立っている。が、その傍に夾竹桃が。暖かくなると、葉っぱ(茎)が煩いほどに繁茂する。看板が覆い隠される。
 なので、今年二度目の夾竹桃の枝葉の選定作業。

 そして、休みともなると、居眠りと読書もね。
 眠るにしても、寝室ではなく、茶の間のリクライニングチェアーに体を沈めて、寝たり起きたりの繰り返し。ベッドに向かうのが勿体ないし、面倒なのである。
 読書と居眠りだけに費やす休日! 月に一度あるかどうかだけに、貴重。

 もう、三か月以上も前のことになるが、ウンベルト・エーコ編著の『醜の歴史』(川野 美也子【訳】 東洋書林)を読み、その中で言及されている本を読み返してみたくなった(拙稿「『醜の歴史』から『ピノキオの冒険』へ?」を参照のこと)。
 例えば、メアリー・シェリー著の『フランケンシュタイン』(小林章夫/訳 古典新訳文庫)などだが(拙稿「フランケンシュタイン・コンプレックス」参照)などだが、カルロ・コルローディ原作の『ピノキオの冒険 (新装版) 』もその一冊。連休ということもあって、ようやく手にすることができた。

 拙稿の「『醜の歴史』から『ピノキオの冒険』へ?」において、以下のように書いている:

「エーコの本の中での引用文や、「Amazon.co.jp 通販」での、 『新訳 ピノッキオの冒険』 ( 大岡 玲翻訳 角川文庫)に寄せられたコメントで、以下のようにあるのを読んで、再読を決心させられた:
角川文庫で読んだ最初の印象は、童話というよりも怪奇色の強い寓話に見えた。少年の頃はただ単に面白い物語だったのに、50代で読んだ時、少年の頃の読後感がひっくり返るほど、不気味な小説に思えたことだった。木彫りの人形が意思を持ち動き出した時、なんの違和感もなくいきなり人間として扱われるあたりが悲しくも、切ない。それに怖かった。

 あるいは、カフカの『変身』に通じるのかも、なんて、見当違いか。

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← カルロ・コルローディ原作『ピノキオの冒険 (新装版) 』(ロベルト・インノチェンティ絵 金原瑞人訳 西村書店) 挿画の「画家ロベルト・インノチェンティが2008年国際アンデルセン賞受賞し」たとか。

 正直、見当違いだった。期待し過ぎたのかもしれないが、親の言うことを聞かない、先生の言いつけに背く、大人の意見やアドバイスを無視する子供たちに、そんな反抗をすると、どんなにひどい目に遭うかを、あの手この手で脅しつける。その極端な教えを木彫りの人形という架空の存在を持ち出すことで、子供たちの脳裏に怖さを強く印象付けようとする。勧善懲悪ではないが、とにかく大人の意見に従いなさいと、脅し宥め賺す教訓の本。
 もうあと一歩、工夫があったら、カフカと言わないまでも、無気味な世界を大人の読者にも脳裏に刻み込めたかもしれない。実際、読者には大人もあって、看過できない魅力を感じている人もいるのかもしれない、とは思った。

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