« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015/05/31

散居村 あるいは 水田鏡の季節

 田圃というのは、云うまでもなく稲作のための田。となれば、光景として一番、輝きを放つのは、稲穂の青々としてくる夏、それとも稲の実る秋なのだろう。
 ただ、同時に忘れてならないのが、田に水が張られ、田植えを終えた、五月の半ばから六月にかけての光景である。

2010_0515071003tonai0022

← 画像は、「自殺する動機、増える生活苦」(2010/05/16)より

 まさに、水田の鏡。実際、「水田鏡」をキーワードにネット検索したら、「安曇野の水田鏡」(YouTube)や、「水田鏡の乗鞍」など、関連する項目が浮上してくる。むろん、映像も。

続きを読む "散居村 あるいは 水田鏡の季節"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/29

孤立した木が雪と風に

 野中に立ち尽くす一本の木。風も光も独り占め。
 荒野に屹立している? とんでもない! 奴は独りぼっちなのだ。人に和すこともできず、人に抗うこともできない。ただ、孤立している。

Cfz7k_tugaasa6w

→ 絵画錬金術師ドクターカオス作「些細な事で弱虫」 (画像は、「絵画錬金術師ドクターカオス(@takayuki419)さん Twitter」より) 

 何だってこんなところに迷い込んだのか、自分では到底、分からない。強がりたいけど、誰かに縋りたい気持ちは隠しようがない。
 ああ、だったら、そんな愚かで弱気な自分をこそ、曝け出して見せるしかないではないか。

続きを読む "孤立した木が雪と風に"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/27

「鬱勃の闇」の続編?

 今日はただ、我が家の庭の躑躅(ツツジ)たちの画像を掲げるだけ。

Sscn8477

 というのも、我が家の躑躅たちは、奥手というのか、シャイというのか、例年、ほとんど咲かない。いつになったら咲くのかなーと待っているうちに、時は流れ、街中の躑躅たちの開花の時節は過ぎ去り、我が家の躑躅たちも、今さら咲いても流行おくれだしなーと呟いたかどうか知らないが、さりげなく、緑の葉っぱの塊のままに、周りのツゲの木々の緑の波に呑みこまれていく。

続きを読む "「鬱勃の闇」の続編?"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/05/25

ボク ペノベックの猫を眺める

 ボクは猫を眺めていた。ベランダの手摺に凭れて、息を潜めるようにして、 猫を眺めていた。
 猫の奴は眺められるのに馴れている。それとも、ただ、ボクに無関心なだけ なのかもしれない。

Watercolorcatsbyendrepenovac7

← エンドレ・ペノベック(Endre Penovác)作 (画像は、「Watercolor Cats by Endre Penovac «TwistedSifter」または「Cats Fluffed Up Through Smudged Ink and Watercolor Paintings - My Modern Met」などから)

 でも、そんなんことはどうでもいい。大切なことは、猫を眺められる、心行 くまで猫の姿を楽しんでいられるという、そのことだ。
 猫の奴は、って、あいつがオスなのかメスなのか、未だに分からない。

続きを読む "ボク ペノベックの猫を眺める"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/24

夕景抒情

 空の様子や雲の流れ行くさま、太陽の姿の時間を追っての変化は、日々見慣れているはずなのだし、見飽きないのは何故だろう。
 微妙に形を変えているのだろう。
 とはいえ、昨日今日でそう変化するわけのものではないのだが。

2010_0515071003tonai0022

→ 「澄明なる時」(2010/05/17)

 それは、潮の満ち引きや木々の緑や葉っぱの風に揺れるさまや、もっと卑近なところだと緩んだ蛇口から垂れ零れる水滴を見飽きないのと同じ…なのだろうか。

続きを読む "夕景抒情"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/22

I paint music あるいはディープタイム

ディープタイム

 浮べる脂の如くして、くらげなすただよへる時……

Dsc_0177__880

← Melissa McCracken 「David Bowie – Life On Mars?」 (以下画像は全て、「I See Music Because I Have Synesthesia, So I Decided To Paint What I Hear Bored Panda」より。そこには、「I See Music Because I Have Synesthesia, So I Decided To Paint What I Hear 」とある。)

 夢の世界に居る。真っ青な海の中。自分が海の真っ只中にいて、時に浮かび、 時に潜って行く。
  そう、潜って行くのである。決して沈んでいくわけではない。なぜなら、不 思議な浮遊感が自分の体を満たしているのが分かるからだ。海の水が体を浸潤 している。目の玉にも耳の穴にも鼻の穴にも、尻の穴からだって、尿道口から でさえ、水は遠慮なく入り込んでくる。

続きを読む "I paint music あるいはディープタイム"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/20

ざらざらした大地へ

 この世界は広いって、つくづく感じることがある。
 別に地球儀を見て、改めて気付いたってわけじゃない。

Img_2033

→ 「木目の顔 Face of the grain」 (画像は、「Yosikiのギャラリー 木目の顔」より) (ホームページ:「Yosikiのギャラリー ―魂の在り処、精霊の棲み家ー」)

 ただ、自分がこの世界の中にポツンと放り出されている。自分があまりにちっぽけ で、世界どころか、自分の周囲さえ、ろくに見通すことができないことを、何故か不 意に実感してしまったのだ。
 きっと自分の心があまりに窮屈で、それに臆病なものだから、井戸の中にいて、四 角く限られた天を眺めやることに慣れ過ぎたんだろうと思う。

続きを読む "ざらざらした大地へ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/05/18

健康であってこその読書かも

 今日は休日。慌ただしく過ぎた。
 まずは、朝の9時に健康指導を受けるため、会社へ。

Cbiwve0wuaioyye

← Kovács Anna Brigitta - Artist from Hungary (画像は、「Estela PinheiroさんはTwitterを使っています Kovács Anna Brigitta - Artist from Hungary http--t.co-bD2vKGd3oc」より)

 年初の健診で出た数値がかなり悪い。健診を受ける際、健康指導を受けますかという、事前の要望項目があり、小生は受けると明記。今頃になって、健康指導の通知が来たというわけである。 

 食事の話、体の異変の話、生活の状態など、いろいろ確認され、指導もされた。

続きを読む "健康であってこその読書かも"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/05/17

貴重な休日を『ピノキオの冒険』に費やす

 連休だったので、普段できない家事をいろいろやった。
 フローリングの部屋や廊下を拭き掃除。庭の通路に砂利を撒く。内庭には瓦チップを撒く。畑の苗床に支柱で棚を作る作業の続き。防草シートを念入りに張る。などなど。支柱などの資材が不足し、時間切れともなったので、あと一歩のところで中断となった。

B9gugniaae5rte

→ VAN GOGH, "LANDSCAPE AT DUSK" 1885 (画像は、「https--twitter.com-emilnolde1-status-568128663117410304」より)

 我が家の外庭には、近所のお寺の案内看板が立っている。が、その傍に夾竹桃が。暖かくなると、葉っぱ(茎)が煩いほどに繁茂する。看板が覆い隠される。
 なので、今年二度目の夾竹桃の枝葉の選定作業。

続きを読む "貴重な休日を『ピノキオの冒険』に費やす"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/16

富山ゆかりの文人

 北陸新幹線の富山駅が開業して早くも二か月が経過した。
 期待したほどの新幹線効果は、少なくとも富山市には未だそれほど現れていない。…というより、圧倒的に金沢の一人勝ち状態である。

Sscn8414

← 近所の方たちが野菜作りに励んでおられる。見よう見まねで小生も一工夫。野菜の苗に袋を被せる。確かに強風などの際には、苗を護ってくれる。

 富山でも、くくりを富山県と広くするなら、新高岡駅などは県の西武の中心アクセス拠点として、タクシーも台数が足りないほどだと仄聞している。立山黒部などの拠点でもある、黒部宇奈月温泉駅も順調のようだ。
 肝心の我が地元である富山市は、やや置き去り気味。

続きを読む "富山ゆかりの文人"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/15

遥かな遥かな星

 時に星空を眺め上げる。遥かな遥かな星。

続きを読む "遥かな遥かな星"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/14

アルフレート・クービンの悪夢へ

 赤い闇の中で奔放に踊るあの人は誰。
 印画紙に影を写し取るしかすべのない、あの人は誰。

2014_14001

→ 小林たかゆき作「題名不詳」(作品No,2014_1400) (画像は、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」より) 小生はこの絵を観て、彼のファンになった。

 放射線に刺し貫かれた時空に磔となって、それでも魂のように揺らめいている、あの人は誰。
 抱きしめたくて、思わず外へ飛び出してみた。

続きを読む "アルフレート・クービンの悪夢へ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/12

苧環や糸繰る娘の浴衣かも

 今朝、庭を歩いていたら、苧環 (おだまき)の花がとうとう咲いているのが目に留まった。まだ一輪だけだが、これからドンドン咲き揃っていくだろう。

Sscn8409

← 今年も素敵に咲いてくれた苧環 (おだまき)の花。一切、世話しないのに咲き誇ってくれる数少ない花。

 つい先日、紫色の蕾に気付いたばかり。椿の赤紫色の花の時期がほぼ終わって、また地味な色合いの庭になりそうだったのが、ジャーマンアイリスに続き、この苧環の開花で彩ってもらえる。
 今日、気づいた花には、ムラサキツユクサも。一輪だけ、咲いている。この花は長く咲いていてくれる。

続きを読む "苧環や糸繰る娘の浴衣かも"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/05/09

ヴィルヘルム・ハンマースホイとリルケ

Hammershoi_sunlight

→ ヴィルヘルム・ハンマースホイ「陽光、あるいは陽光に舞う塵 (1900) (画像は、「ヴィルヘルム・ハンマースホイ - Wikipedia」より) 「宮殿などの建物や都市近郊の風景を題材にした風景画も制作しているが、ハンマースホイの描く風景には人物がほとんど登場しない」 ネット時代の恩恵。ネットサーフィンしている中で、いつだったか遭遇した。何か気になる。不思議な孤独感。シャイとも違う。人の内面と正面から向き合うのが怖いのかもしれない。でも、人からは離れられない…

 今日は、何も語らない。掲載した絵の数々を眺めてもらえればそれでいい。

続きを読む "ヴィルヘルム・ハンマースホイとリルケ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/05/07

IT is キラー・クラウン

 ピエロは嗤う。あなたを、世間を、世界を、そして自分を。
えっ、舌をペロッと出してるって? ベロが鏡に釘付けされているのさ、なんて言って信じる? あなた。

20071005181550

← ピエロ姿のジョン・ウェイン・ゲイシー 「ジョン・ウェイン・ゲイシー (John Wayne Gacy, 1942年3月17日 - 1994年5月10日)は、アメリカ合衆国生まれの連続殺人者」。(以下、コメントや画像は、「ジョン・ウェイン・ゲイシーまとめ【ゲイシーが描いた絵画】 - NAVER まとめ」より) 

 心は殴られ潰されてしまった。涙の河は行き場を失い眼窩へと流れ込む。
 サテンだったはずの衣裳は、まるで心と体を甚振るように、風と戯れる。風に舞う。

続きを読む "IT is キラー・クラウン"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/05/05

郷里の風景今昔

 晴天に恵まれた五月の連休も明日で終わり。十年ほど前、まだ父母が健在だ。ったころは、富山市ではこの連休中に田植えをするのが通例だった。
 我が家も例外ではない。高校を卒業して郷里を離れた小生だが、十五年ほど前から、正月と夏休み以外に、五月の連休も帰省し、田植えを手伝ったものだった。

Silent

→ アウグスト・ペイショット(Augusto Peixoto) 作「Silent Memories」 (画像は、「. T h e A r t O f D r e a m s .」より)

 今は富山は、稲の生育の向上を期して、田植えの時期を若干、遅らせている。だったら、小生は五月の帰省は考えられなかったかもしれない。
 我が家もとっくに稲作を放棄した。茶の間の窓から見える田圃も、あと一軒のみとなった。

続きを読む "郷里の風景今昔"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/03

イチョウから「公園の手品師」へ

 今日も天気に恵まれ、畑仕事。昨日までに植えた野菜の苗や、特にキュウイなどのための棚作りに精を出した。

B7dvgj5cmaav1ol

← David Parfitt作 「Wetland calm'」 (画像は、「David Parfitt RI」より) デイビット・パーフィットは、風景画家。特に水彩画に専心しているとか。ネットでたまたま見つけたアーティスト。

 あとは、昨日買った、ゴーヤやトウガラシ、トマトなどを畑の畝に植えるだけ。それが終わると、とりあえずは畑仕事は一段落。折々観て回って水を遣ったり、雑草を刈ったりという地道な作業が待っている。
 明日は久しぶりの雨のようで、朝の水遣り作業はしなくて済む。

続きを読む "イチョウから「公園の手品師」へ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/02

畑に本にアートだって

 今日は、休日。午前中は、この数日、車中で読んできたジュディ・ダットン著の『理系の子 高校生科学オリンピックの青春』横山啓明訳 文春文庫)の残り百頁ほどを読み切った。
 まさに青春もの。日本は理科系、文科系と、何処かでまったく別世界へ分けられるように選別され、違うコースを歩んでいく。数学(数式)に弱い人は自動的に文科系へ。

Sirens_birth

→ 「セイレーンの誕生(Sirens birth.)」 by YagaK (「セイレーン - Wikipedia」参照) (以下のアート画像は全て、「Yaga Kielb」より)

 しかし、科学も芸術的センスが必要だし、文系の学問や絵画や音楽だって、数学的センスが必要だったりする。
 本書を読むと、文系理系の区別の無意味さを感じる。女優を志望する少女が、気がついたら科学の世界へっても、当たり前にあるアメリカ。文化の地力の差を感じてしまう。

続きを読む "畑に本にアートだって"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »