影次郎は道化師なのか
このところ、組合関係の雑事に忙しく、小生が勝手にファンになっている、 お絵かきチャンピオンさんの絵を愉しめずにいた。
久しぶりに[mixi]にも彼の絵がアップされていた。
← お絵かきチャンピオン作「影次郎」
どれも興味深いが、特に、「影次郎」がいい。
観た瞬間、何かシュールな感覚を覚えた。しかし、じっくり見ると、どうやら絵が90度、傾いているらしい。
絵を正常な向きに直しても面白いが、どうも、アップの際に傾けられてしまった絵の方が印象が強い。
この「影次郎」を観て、ある画家の絵を連想しかけたのだが、どうも、明瞭には絵が浮かんでこない。
→ 同上の絵( お絵かきチャンピオン作「影次郎」)を向きを90度、傾けてみた。最初に観た時は、こんな像だった。
どうやら、小生の一番好きな画家である、パウル・クレー作の「綱渡り師」(カラーリトグラフ)のようである。
この絵の複製を昔、クレー展へ行った際、敢えて購入したほどに魅入られた作品。寝室にその絵は今も飾ってある。
クレーの「綱渡り師」については、拙稿「綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)」(2009/04/01)を参照願いたい。
← パウル・クレー作「綱渡り師」(カラーリトグラフ) 拙稿「綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)」(2009/04/01)を参照のこと。
但し、連想したのは、やや違う像のようなのだ。、ジョルジュ・ルオーの描くキリスト像に似ているようであり、ベルナール・ビュフェの描くピエロ(道化師)のようでもある。
少なくとも、「影次郎」なる作品に描かれる人物(ピエロ?)の顔は、仮に真ん前で垣間見ることができたなら、そんな顔なのかもしれないと感じる。
せっかくなので、拙稿でも転記した、ポール・オースター著の『空腹の技法』(柴田元幸/畔柳和代訳 新潮社)から、オースターによる綱渡り師を巡る考察の一節を掲げてみる:

→ ベルナール・ビュフェの描くピエロ(道化師) 上掲の影次郎の顔は、こんな風なのか。それとも、ジョルジュ・ルオーの描くキリスト像に似ているのか。 (画像は、「inutile[inytil]クレマチスの丘」
(前略)綱渡り師の仕事は、無限の自由の感覚を創りだすことだ。彼は曲芸師であり、ダンサーであり、軽業師であり、ほかの男たちが地上で演じるに甘んじていることを空中で演じる。そうした欲求は、突拍子もないと同時に、きわめて自然なものである。それが人の心を動かすのは、つまるところ、その芸がまったく何の役にも立たないからだ。我々みんなの心の底にひそむ、美に憧れる衝動を、これほどはっきりと浮かび上がらせる芸術はほかにないように思う。綱の上で歩く男を見るとき、我々の一部も彼とともに空中にあるのだ。ほかの芸術の演技とは違って、綱渡りの体験は見る者にじかに伝わってくる。何ものにも媒介されず、簡潔で、説明はまったく不要。それ自体が芸術なのだ。それはひとつの生命を、この上なくむき出しに描きだす。ここに何か美しさがあるとすれば、それは、我々が自分たちの裡に感じる美ゆえだ。(以下略)
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