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2015/04/01

富岩運河環水公園の光と影

(前略)姉夫妻と母と小生(と愛犬)とで、かなり整備された駅裏の公園へ。公園といっても、中島閘門から牛島閘門と繋がる、延長5.1キロの運河沿いの大規模な公園なのだ。公園として整備されているのは、中島閘門までだが、運河そのものは岩瀬の港まで繋がっている。

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← 「富岩運河環水公園

 一昨年辺り、ほんの一部、数百メートルを残して、ほぼ完成に近づき、一般の方の散歩やジョギング、昼寝、デートにと解放されている。随所に花が植え込まれ、堤沿いには桜並木が整備され、運河の途中に、ビルでいえば5から6階ほどの高さの展望台がある。高いところの嫌いでない我が家の母、姉、小生は、愛犬のアイと一緒に登って、遠望を楽しんだ。

 運河のあるこの辺り一帯は、ほんの数年前までは、溝(ドブ)特有の分厚い悪臭と、木場を兼ねてもいたので、濁った水の染み込んだ木材から発する黴臭い臭気とが混ざって、せいぜい工場しかない人気のまるでない、まさに駅裏の、そのまた更に外れに過ぎない一角を更に澱んだ雰囲気のものにしていたのだった。
 運河は、有刺鉄線などで囲まれ、運河を取り巻く土手や資材置き場などは雑草が深く生い茂っていた。そんな運河なのだけれど、遠い昔、小生がガキの頃は、時折、友達と連れ立って、どこか場末っぽいこの<人外地>にわざわざ遊びに来たことがなかったわけではない。

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→ 以上の画像は、拙稿「水辺へ、そして夕焼け」(2008/10/20)より

 さて、県は、汚泥のたっぷり堆積した運河の底の土を懸命に浚渫し、更に巨大なポンプを使って、何年も掛けて運河の水を浄化した。その成果が近年、ようやく出たということなのであろう。今も、運河の水は濁っていて、透明度はまるでない。ただ、散歩して歩いた夕刻も、依然として生暖かい風が吹き抜けるのだったが、少しも不快な匂いは感じられなかった。むしろ爽やかでさえあった。

 実は、2000年に富山で国体=国民体育大会が開催された。その、県としての一大イベントに間に合うよう、タイムリミットの設定される中で、懸命の作業が、膨大な予算を計上されて行われたのである。
(ここまでの小文は、「出来たばかりの郷里の公園を散歩した」(02/05/05作)よりの抜粋)

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← 画像は、拙稿「帰郷して初めて散歩した(2)」(2008/03/27)より

 さて、である。本題はこれからだ。

 上記の日記は2002年に書いたもの。本文にあるように、(02年から見て)数年前までドブっぽい「汚泥のたっぷり堆積した運河の底の土を懸命に浚渫し、更に巨大なポンプを使って、何年も掛けて運河の水を浄化」して、綺麗(なはずの)親水(環水)公園が完成した…と思っていた。

 が、当時は、小生は単に、長年の汚泥を浚渫した…くらいに思っていた。勉強不足だった。数年前、ネットでだったのか、ラジオで仄聞したのか、覚えていないのだが、富岩運河がダイオキシン類に汚染されたままであり、ちゃんとした浚渫(土壌改良)の必要は富山市の当局も(恐らくは当事者である企業も)重々分かっていながら、膨大な土壌改良の費用負担の問題で揉めて、手つかずなままだと知った。

富岩運河のダイオキシン類対策を考える」によると、「2001年に発覚した、富岩運河などのダイオキシン類汚染」は、「2003、04年の調査で、最大汚染濃度は12,000pg、汚染土量は29万㎥と判明したのです。最大値では環境基準の約80倍にもなります。県の資料によると2014年段階では、底質のダイオキシン類汚染濃度としては、全国で6番目、汚染土量としては全国4番目ということになってい」るとか。

「PCP製造事業場におけるPCPの製造過程で、不純物として非意図的に生成されたダイオキシン類が工場排水等とともに工場外へ排出され、富岩運河等に流入したと推測され」ている(「富岩運河等におけるダイオキシン類の汚染原因等について(概要)」など参照)。

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→ この冨岩運河が富山湾に突き当たったところにある岩瀬浜から撮った立山連峰(小生が撮影) この海へもダイオキシンに汚染された運河の水が注ぎこんでいる?

 ところが、県は、こともあろうに、汚染対策ではなく、「ポートルネッサンス21」構想とやらで、水辺空間として残し、将来にわたって活用する計画がたて」るほうを優先した。「運河には2台の観光船が運航され、環水公園には新しい県立近代美術館が76億円かけて移転・新築されることになってい」るのだ。しかも、観光船は一隻増やされる予定)。

 ここにきてようやく、「汚染発覚後、県はただちに対策検討委員会を設置し、11年間12回にわたって会議が開かれ、対策が進められてきました。ダイオキシン類に汚染された土壌をどう処理するか、汚染原因はどこにあって、その寄与割合はどう算出するのか、対策事業費の負担はどうするのか、などが検討されて、昨年11月に一定の結論が出たというのが、現時点の状況です。今年度から5年間をかけて、運河の中ほどにある中島閘門上流の対策工事が行われることになってい」るというありさま。
「11年間12回にわたって会議が開かれ」なんて、驚きの悠長さ。これでいいのか!

 しかも、やっと始まる対策工事だが、「今年度から実施される中島閘門上流の対策工事が、汚染土壌の浚渫・除去・無害化ではなくて、覆砂工法で行われることです。川底が浅いところは一部浚渫を行い、そのうえにシートを敷いて、さらにそのうえに30㎝砂を敷くというやり方」である。
 小生なりの不躾な表現をするなら、臭いものに蓋方式である。あるいは問題を先送りする姑息なやり方。
 一方、「汚染原因企業である富山化学の事業費負担も、公害防止事業費事業者負担法が定めるギリギリまで軽減され」たという。

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← 「スターバックスコーヒー富山環水公園店」 2008年、スターバックスのストアデザイン賞最優秀賞を受賞するなど、世界一美しいスターバックス店、という呼ばれ方もする。店(建物)も素敵だが、店からの眺めも素晴らしい。

 法にのっとって、なのだろうが、本来なら加害企業は、汚染土壌などの根治に向けた対策資金を、身を削ってでも提供すべきなのではないか。
 富山は、三井金属による神通川流域のカドミウム汚染に苦しんできた経験を持つ。
 それなのに、現下の問題には、何とも歯がゆい対策しか打たれない。経験がまるで生きていない。
 いずれにしても、県も市も、住民も、むろん企業も、長くこの問題と付き合っていかないといけない。
 ただ、感じるのは、肝心の住民の関心の薄さである。北陸新幹線富山駅開業に湧くのもいいが、足元の問題に目を向けないでどうする、と思うのは、小生が偏屈だからだろうか。


参考:「富岩運河等におけるダイオキシン類の汚染原因等について(概要)

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コメント

11年間で12回の会議ということは…。
ほぼ年1回のペースでしか開催されていないんですね。
メンバーも入れ替わるでしょうし、本気度が見えてきません。
知的な富山県というイメージでしたが、ダイオキシンに関してはそうでないようです。
イタイイタイ病は社会科で勉強しました。
教訓を生かしてほしいですね。

投稿: 砂希 | 2015/04/01 22:20

砂希さん

そう、本気で解決しようという姿勢が見えません。
ようやく対策案が示されたようですが、問題あり。
これでは、根治に至りそうにない。
うわべだけ綺麗では、住民も困るし、近い将来、飲み水や農作物を通じて、人的被害が出るかもしれない。
ホント、イタイイタイ病の悲劇の教訓が生きていない。

投稿: やいっち | 2015/04/02 21:14

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