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2015/03/02

ロボット? キュビスム? 特異過ぎるぞブラチェルリ!

 早く弥生三月である。今年も6分の1が好き去った。
 なんて、同じセリフを昨年も吐いていた…記憶が。
 春の足音が聞こえてくる。木の芽が今にもポンと破裂しそう。

028

→ ブラチェルリ画

 日中も暖かいとは言えないにしても、洗濯物を外に干せば、それなりに乾くようになった。
 冬の時期、洗濯したはいいが、どうやって乾かせばいいのか、厄介で困る。ストーブの熱気を使うのも、結構、面倒だし。

002

 グスタフ・ルネ・ホッケ著の『迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術』 (岩波文庫) を読了した。
 レトリックが過剰気味。まあ、該博な知見があるし、画像が豊富で且つ、初見の絵も多くて楽しめる。
 今日は、読んでいて<発見>した画家を採り上げる。

003

 以下に紹介する銅版画は、いずれの作品も、一見して分かるように、キリコやフェルナン・レジェなど、現代キュビスムの遠い先駆者としか思えない画。
 17世紀の初頭にこんな画家がいたなんて。その名は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ブラチェルリ(Giovanni Battista Braccelli)である。17世紀イタリアはトスカナの銅版画家。

004

「フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロなど偉大な芸術家たちのパトロンとして支援したメディチ家のために描かれ」たというから、ある意味、パトロンたるメディチ家の某こそがよほど変わり者か、いずれにしろ、偉いというべきか。

005

→ ブラチェルリ画「兵士」

奇想の世紀 山田維史の遊卵画廊 - 楽天ブログ」によると、「ヴェサリウスの解剖学によって医学は心身分離の方向へ決定的な歩みを始めた。そしてこの心身の二元論的関係は、哲学的にはデカルトによる前提のない哲学を受け入れた新時代を迎える。それが17世紀である」だとか。

006

 また、同じ頁にて、「グスタフ・ルネ・ホッケは、マニエリスム美術論『迷宮としての世界』のなかで、「17世紀には〈畸形〉が流行になる。」と書いている。「正常な形体の否定と視覚的不条理におけるその歪曲。表現的マニエリスムでのように幻想に規定されるのではなくて、いまやひたすら物理学的計算に規定される。その限りでは、むろん、それは依然として〈抽象的〉である。ひとびとは、このような実験の中で幾何学的抽象のポエジーを体験する」と紹介してくれている。
 この一文に続く項も、読んで参考になる。

007

 紹介しているのは、いずれも、1624年にジョヴァンニ・バッティスタ・ブラチェルリが描いた、とんでもなく先駆的な、独創性の高い、奇妙奇天烈な画集である「Bizzarie di Varie Figure」よりピックアップより紹介している:
 画像は、「1624年にジョヴァンニ・バッティスタ・ブラチェルリが描いたものすごい独創性の奇妙な画集「Bizzarie di Varie Figure」 - DNA」より。

008



 アメリカ議会図書館
のアーカイブにフルバージョンが公開されているらしい(未確認)。
From the Rare Book and Special Collections Division

 上掲の画集「Bizzarie di Varie Figure」は、「怪異のなかの諸現象」かな。「風変わりな人々」と訳すこともあるか。Bizzarieは本書では怪異と訳されている。

015

→ ブラチェルリ画「俳優」

 この数年、更新されていない、昔はネッ友だった、「ジョヴァンニ・バッティスタ・ブラチェルリ『風変わりな人々』 armchair aquarium [アームチェア・アクアリウム]|yaplog!(ヤプログ!)byGMO」さんのブログ記事によると、「この頃って時計や様々な遊具など、ばねや歯車仕掛けの機械の技術がどんどん発達していた時代です。17世紀はじめには不完全ではあれ加減乗の計算ができる最初の計算機まで発明され、パスカル、ライプニッツを経て完成されて行きます。アタナシウス・キルヒャーがへんてこな機械をたくさん考案したのもこの時代ですよね。時代のコンテクストを無視して唐突に現れたようにも思えるブラチェルリの図版ですけど、こうして機械技術の歴史と重ね合わせるとああそういうことなんだと納得できます。デカルトの機械論的世界観と兄弟みたいなものなんだから、ロボットのデザインぐらい先取りしちゃうよね」とも。

017

 実際、グスタフ・ルネ・ホッケ著の『迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術』では、ブラチェルリのロボットという項立てになっている。

 思うのは、こうした特異な、尖がった作家の存在を知ると、いわゆる美術史がに何となく違和感というか、無条件には信じられなくなる。
 美術史の枠に嵌らない作家を省いた、都合のいい流れを描いただけではないのか、なんて。
 まあ、歴史の隘路に消えた、忘れ去られた異端者(という言い方もご都合主義的だが)が、少なからず存在してきたということなのだろう。

001

→ ブラチェルリ画「舞踏家たち」 グスタフ・ルネ・ホッケ著の『迷宮としての世界(上)』によると、この画は、「すくなからぬ現代作家、とりわけバトラー、アーミテイジ、クラーク、メドウのような英国人、さらにアメリカ人アレキサンダー・カルダーの、あの幻想的な針金彫刻、ブリキ細工、金属構成物を想わせる」(p.360)とか。後日、いずれかの作家を特集してみたい。 

ジョヴァンニ・バッティスタ・ブラチェルリ」にて銅版画が多数。
機械のメタファ」や「奇想の世紀 山田維史の遊卵画廊 - 楽天ブログ」など参照のこと。

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