せっかくなのでチュニジアのことを
昨夜、サッカー日本代表のチュニジア代表との国際親善試合があった:「キリンチャレンジカップ:日本vs.チュニジア(会場:大分スポーツ公園総合競技場) サッカー 実況 スポーツナビ」
→ チュニジアの国旗 (画像は、「チュニジア - Wikipedia」より)
残念ながら仕事で、ほんの一部をワンセグで観ただけ。半分はラジオで。結果的に「ハリルホジッチ監督の初陣を勝利で飾った」ということで、まずは幸先のいいスタートを切った、と思いたい。
そのチュニジアでは、「チュニジアの首都チュニスで今月18日、武装した男たちが博物館を襲撃し、日本人3人を含む外国人観光客ら合わせて21人が殺害され」るという不幸な事件があった:
「チュニジア テロ対策部隊の突入映像を公開 NHKニュース」
すなわち、「2015年3月18日にバルド国立博物館での銃乱射事件」である。
← カルタゴ遺跡 - (1979年、文化遺産) (画像は、「チュニジア - Wikipedia」より)
ほんの十日前のことである。耳に新しいはずなのに、その後のドイツの旅客機の副操縦士による自爆事件といった衝撃的な事件、漁船の転覆事故など、相次いで事件事故が発生して、少なくとも日本のニュースの扱いでは過去のことになりつつある。
小生にしても、サッカー日本代表のチュニジア代表との国際親善試合で、ええ、あのチュニジアと ? ! といった素っ頓狂な驚きで試合の放映を視聴していた。
一部を齧っただけなので、テレビなどでチュニジアでの事件のことが触れられたのか、定かではない。野暮(?)なので、素通りしたのかもしれない。
あのテロ事件の余韻も熱いこの時期にチュニジアと親善試合なんて、何か意図があったのか、偶然なのか。
さて、チュニジアでのテロ事件で、チュニジアに一時、スポットライトが当たった。
欧米などではともかく、日本においては、チュニジアは馴染みのない国ではないか。
少なくとも小生は、ほとんど知識がなかった。
テレビの解説では、地中海に面した国ということとで、ヨーロッパの国々の人には関心を呼ぶような、あるいは素養の一端として知っていて当然の旧跡が多数あるという。
→ ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡 - (1985年、文化遺産) (画像は、「チュニジア - Wikipedia」より)
「チュニジア - Wikipedia」によると、正式にはチュニジア共和国であり、「北アフリカのマグリブに位置」し、「西にアルジェリア、南東にリビアと国境を接し、北と東は地中海に面する」。何といっても、「地中海対岸の北東にはイタリアが存在する」が地政学的にも大事なポイントのようだ。
チュニジアの歴史では、まず、「沿岸部には地中海交易で活躍していたフェニキア人が、交易拠点としてこの地に移住し、紀元前814年頃にカルタゴ市(ティルスの植民市)が建設された」など、先史時代からの要衝の地だったようだ。だから、いろんな勢力や民族の攻防の地となったのも、容易に想像が付く。
「「アフリカ」は古代においては現在のチュニジアに当たる地域のみを指す言葉だったが、後にアフリカ大陸全体を指す言葉となった」というのも、興味深いところである。
← M・C・ペリー著『ペリー提督日本遠征記 上』(監訳:宮崎壽子 編纂:F・L・ホークス 角川文庫) 「喜望峰をめぐる大航海の末ペリー艦隊が日本に到着、幕府に国書を手渡すまでの克明な記録。当時の琉球王朝や庶民の姿、小笠原をめぐる各国のせめぎあいを描く。美しい図版も多数収録」とか。 (情報や画像は、「株式会社KADOKAWAオフィシャルサイト」より) 書店で題名が目に入り、手に取った。頁をめくると、文章がよさそう。挿画もある。幕末から維新前後、明治から大正など、古き日本の世相を知るのが好き。ペリーは、開国が欧米のみならず、日本のためになると、本気で思っている? 上下巻で1200頁以上。二週間ほどを費やして読むつもり。
その後、シチリア戦争、ポエニ戦争など教科書で聞いたような戦争を経て、ローマ帝国、さらにイスラーム勢力の支配下に入る。あまりに要衝の地過ぎて、その後の歴史は小生には追いきれない!
さて、肝心の遺跡である。
「チュニジア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が7件、自然遺産が1件存在する」という。
恐らくは、一生、チュニジアの地を訪れることはないだろうし、ほんのひと時、チュニジアへバーチャルツアー!
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 「任那」から「伽耶」へ(2025.05.16)
- 日本古代史ミステリー 「空白の四世紀」に何があったのか?(2025.05.15)
- ミミズの農業改革!(2025.05.12)
- 強風にも負けずに(2025.05.11)
- 北斎や数学からミミズへ(2025.05.09)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「任那」から「伽耶」へ(2025.05.16)
- 日本古代史ミステリー 「空白の四世紀」に何があったのか?(2025.05.15)
- ミミズの農業改革!(2025.05.12)
- 強風にも負けずに(2025.05.11)
- 北斎や数学からミミズへ(2025.05.09)
「国外情勢・歴史」カテゴリの記事
- 井上 亮著『比翼の象徴 明仁・美智子伝』全三巻読了(2025.04.25)
- 我田引水なのだが…(2025.02.20)
- 早く春よ来い!(2025.02.14)
- 雪と健診に翻弄された月曜日(2025.02.10)
- 久々家の中で焚き火(2025.01.30)
「近代・現代史」カテゴリの記事
- 日本古代史ミステリー 「空白の四世紀」に何があったのか?(2025.05.15)
- 『下駄で歩いた巴里』…破天荒な林芙美子!(2025.05.06)
- エカ・クルニアワン 著『美は傷』…美は細部にあり(2025.05.05)
- 井上 亮著『比翼の象徴 明仁・美智子伝』全三巻読了(2025.04.25)
- 福岡伸一や山下 裕二に…不思議な環(2025.04.24)
コメント
チュニジアに関して無知なので、ちょっと勉強になりました。
カルタゴの遺跡は有名ですね。
しかし、博物館襲撃やサッカーと結びつかず、混乱しています。
中学生のとき、地理の授業で首都をおぼえる課題が出されました。
チュニジアは簡単でよかった(笑)
あのころは、まだ「ビルマ」だったことを思い出します。
世界情勢は大きなうねりとともに変化していくんですね。
投稿: 砂希 | 2015/03/29 09:47
チュニジアは穏健なイスラムの国。観光などに力を入れ、割と成功していた国。だからこそ、観光に打撃を与え、過激派の力を鼓舞したようです。
世界は中国や東南アジア、アフリカなどの台頭、アメリカの相対的凋落、何といってもイスラム教勢力の急拡大で、世界情勢が激変しています。その陰で、本来はイスラムの人々の敵であるイスラエルが安泰。パレスチナに好き放題しても目立たない。日本は、アメリカ追随しか能がない。世界戦略が貧困です。
なお、チュニジアはサッカーが人気のスポーツ。かの、日本が勝ったことのないコロンビアを撃破したこともある。
投稿: やいっち | 2015/03/29 17:44