科学は 「C」から「Y]へ その先へ
今日、スティーヴン・ストロガッツ著の『SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか』(ハヤカワ文庫)を読了。以前、単行本を図書館から借り出して読んだことがあると思っていたが、初読だった。
← スティーヴン・ストロガッツ著『SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか』(蔵本 由紀【監修】/長尾 力【訳】 ハヤカワ文庫) 内容説明:「完璧にシンクロして光る無数のホタルは、どこかに指揮者がいるわけではない。心臓のペースメーカー細胞と同じで、無数の生物・無生物はひとりでにタイミングを合わせることができるのだ。この、同期という現象は、最新のネットワーク科学とも密接にかかわりをもち、そこでは思いもよらぬ別々の現象が、「非線形科学」という橋で結ばれている」。 (画像・情報は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)
こうした本を読むと、前世紀末から今世紀にかけて、科学やその根底にある発想法においてパラダイムシフトが起きつつあると、科学には門外漢ながら感じてしまう。
← デイヴィッド・ドイッチュ【著】『無限の始まり―ひとはなぜ限りない可能性をもつのか』(熊谷 玲美/田沢 恭子/松井 信彦【訳】 インターシフト) 「多宇宙から決定不能性、文化・創造力の進化、選択や倫理、花の美しさまで、
限りない創造と探求へと開かれる「万物の理論」を示す」! (画像及び情報は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)
スティーヴン・ストロガッツが語るように、これまで科学界は「C]の文字で始まる概念を振りかざしてきた。
1960年代のサイバネティックス(cybernetics)、70年代のカタストロフィー理論(catastrophe theory)、80年代にはカオス理論(chaos theory)、90年代には複雑系理論(complexity theory)が次々と登場してきた。
一時は脚光を浴びたが、すぐに限界が見えたりして、まさに科学における流行り廃りを目の当たりにしてきたわけである。
← ジェイムズ・グリック著『カオス 新しい科学をつくる』 (大貫昌子/訳 新潮文庫) 「天気予報はなぜ当らないか?水や煙の流れ、人口など生物個体数の増減はなぜ正確に予想できないのか?データ不足による誤差が予想を不確実にすると考えられていたが、実はいくらデータを集めても自然は捉えられない。“予測不可能”なものを予測するための全く新しい科学の考え方、「カオス」」! 初期値に対する敏感性。けれど、カオス理論の凄さは、カオスの底の一見しては見えない秩序(のありうること)を見出したこと。 (画像は、「セブンネットショッピング」より)
そこにスティーヴン・ストロガッツは、シンクロ(同期現象)理論を持ち出したわけである。登場した当時は新しくて、科学におけるパラダイムシフトの興奮そのままに本書が書かれている。
なかなか面白い。ただし、「C」ではなく、「S」のようだが。ストロガッツ自身は、複雑系科学理論の一端だと捉えているようである。
小生自身は、科学に(も)無知なのに、僭越ながら直感的に科学の展望を述べると、科学の進展はこの先、まだまだ(無限とは敢えて言わないものの)際限なく発展していくものと思っている。
← M.ミッチェル ワールドロップ 著『複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』 (田中 三彦,/遠山 峻征訳 新潮文庫) 「物事は全て秩序から混沌へと進み、やがて宇宙は終局する―。この常識を覆したのが「複雑系」だ。そしてこの発見は、物理学、化学、経済学、情報学…すべての学問体系を揺るがせるに至った。新しいサイエンスのキーワード「複雑系」をあらゆる角度から分析しつつ、創造神に一歩近づいたサンタフェ研究所の俊英たちのドラマを証言で綴る、新世紀サイエンス・ドキュメンタリー」。 (画像や情報は、「Amazon.co.jp:本」より)
特にこの年末年始に読んだ、デイヴィッド・ドイッチュ著の『無限の始まり―ひとはなぜ限りない可能性をもつのか』(インターシフト)でその感を強くした。
上掲書でドイッチュは、「科学は常に流動的で、これまでそうだったように、これからも無限に発展していくと著者は考えている。一見すると楽観的で人間の知能に信頼を置き過ぎているようだが、そうではなく、科学も経済の理論も美学にしても、今というのは、常に水面をギリギリのところで溺れないよう、懸命に泳いでいるもので、ちょっと油断すると、これまでに達成された成果に安住し、もう発展はないとか、残された課題は従来の業績を磨き上げることだけ、という思い込みに落ち込みやすいことを縷々指摘している」。
← クロード・E. シャノン /ワレン ウィーバー 著 『通信の数学的理論』 (植松 友彦 (翻訳) ちくま学芸文庫) 内容紹介:「21世紀に入ってさらなる広がりを見せる情報化社会への道は、クロード・シャノンが大戦直後に発表した一本の論文から始まった―本書はその「通信の数学的理論」に、ウィーバーの解説文を付して刊行されたものである」。 (画像及び情報は、「Amazon.co.jp」より) あるいは、ノーバート・ウィーナー 著 『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』 (池原 止戈夫/ 彌永 昌吉 (翻訳) 岩波文庫)
その上でドイッチュは本書を以下の言葉で閉めている(拙稿「ドイッチュ著の『無限の始まり』に曙光を見る」を参照のこと):
多くの人々は、さまざまなタイプの無限を嫌う。しかし、われわれには選択の余地のない事柄もある。進歩を遂げたり長期的に存続したりできる思考方法は一つしかない。それは、創造力と批判によって良い説明を探求するという方法だ。とにかく、われわれの行く手には無限が存在する。われわれに選択できるのは、それを無知の無限とするか、知識の無限とするか、正邪の無限とするか、それとも生死の無限とするかということだけなのだ。
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