『21世紀の資本』から『醜の歴史』へ
本書ウンベルト・エーコ編著の『醜の歴史』は、『美の歴史』に続く本。
→ 「ミヒャエル・ヴォルゲムート 『死の舞踏』1493年、版画」 (画像は、「死の舞踏 (美術) - Wikipedia」より)
後者は印象が薄いのだが、『醜の歴史』は、入手した当時、すぐにパラパラ捲ったのだが、一気に通読して済む本とは思えず、この2年、温存(?)してきた。本体だけでも8000円と高価な本だけど、思い切って手にしておかないと、あとで後悔すると、貧乏な小生が無理して確保したのだった。
ピケティの『21世紀の資本』を読了し、一気に違う世界へ飛び込んでいく。
← 「死の凱旋」、1485年、クルゾーネ (画像は、「池上英洋の第弐研究室「死の凱旋」、1485年、クルゾーネ、オラトリオ・デイ・ディシプリーニ」より)
本稿に掲げた図像は、本書で紹介されている「死の舞踏、あるいは、「死の凱旋」なるテーマの絵の数々など。死は中世の一時期、あまりに身近だったのだ。それにしても、思う。『美の歴史』が何故、印象が薄かったのか。あるいは、『醜の歴史』がエキセントリックに感じられるのか。醜の海(膿)に浮かぶ穢れなき(?)美の花だからこそ、週を深く広く嗅ぎ取り、それらをしっかりと背景に、土台にしないと、美の世界は堪能できないのだ。理の当然だったのだ。
せっかくなので、「死の舞踏」(あるいは「死の凱旋」)について復習しておこう。
「死の舞踏は、死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるという14世紀のフランス詩が(14世紀のスペイン系ユダヤ人の説もある)起源とされており、一連の絵画、壁画、版画の共通のテーマとして死の普遍性があげられる。生前は王族、貴族、僧侶、農奴などの異なる身分に属しそれぞれの人生を生きていても、ある日訪れる死によって、身分や貧富の差なく、無に統合されてしまう、という死生観である」(「死の舞踏 (美術) - Wikipedia」より)という。
→ シュテファン・ロッホナー 「使徒たちの殉教」(15世紀、フランクフルト、シュテーデル美術館) (画像は、「categoryStefan Lochner - Wikimedia Commons」より)
「一連の「死の舞踏」絵画の背景には、ペスト(黒死病)のもたらした衝撃をあげる説が多い。1347年から1350年にかけてミラノやポーランドといった少数の地域を除くヨーロッパ全土で流行し、当時の3割の人口(地域によっては5割とも言われる)が罹患して命を落とした」とも言われる。
「当時は百年戦争の最中でもあり、戦役・ペストによる死者が後を絶たないため、葬儀や埋葬も追いつかず、いかなる祈祷も人々の心を慰めることはできなかった」とも。
最後に、本書にて紹介されているボードレールの「パリ風景」の一節をここにも掲げたいが、ちょっと趣向を変えて、違う詩を一つ(言うまでもなく、「悪の華」からだ(「覚書_ボードレール全詩集1 訳・阿部良雄」からの転記である):
← ウンベルト・エーコ【編著】『醜の歴史』(川野 美也子【訳】 東洋書林) (画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)
「破壊」絶え間なく、私のそばに、うごめくものは、<悪魔>。
手ごたえのない空気のように、私のまわりを泳ぎまわる。
私がそれを呑みこむと、肺臓を焼けただれさせ、
永遠の罪深い欲望で満たすのが感じられる。時おり、<芸術>への私の大いなる愛を知るそいつは、
世にもなまめかしい女の姿を借りて現れ、
偽善者めく、もっともらしい口実を見つけては、
私の唇を、破廉恥な媚薬に慣れさせる。こうして、息も絶え絶え、疲労困憊した私を、
<悪魔>はつれ出す、神の視線から遠く、
深く人影もない<倦怠>の平野のただ中へと。そして、狼狽し切った私の眼に、投げこむものは、
穢された衣類やら、ひらいた傷口やら、
はては、血まみれになった、<破壊>の道具立て!
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