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2015/02/06

旅の空にて

 ある旅の空でのこと。
 何故か眠れないままに宿を出た。
 部屋の明かりを消した時、窓のカーテンの隙間から洩れ込む月の光があまりに 眩かったのだ。何かただならぬ気配が漂っているような気さえした。

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 外に出ても何があるわけでもない。山間の宿らしく、鬱蒼と生い茂る木 々の黒い影。宿の玄関の明かりも、深い海の底を照らす懐中電灯ほどの力もない。
 砂利道を辿って森の中へ歩いて行った。もう、人の光は一切、及ばない。

 けれど、森を圧倒するような天蓋の海が広がっている。木立を透き間を縫って 月が、苛烈なほどの光を刺し込んでいる。
 まるでその光を浴びると刺し貫かれるかのようだ。

 青白い光の刃。
 恐る恐る手を光の匕首に触れさせてみた。もしかしたら、何か、生まれてから 一度も経験したことのないような感覚を味わえるかと思ったのだ。
 が、不意に光は柔らかになった。紗を纏ったかのように曖昧になった。
 月が雲の波に呑み込まれてしまったのだ。
 その代わり、天の海には恐ろしいほどの星々が鏤められていることを知った。
 無数の星の白砂は、それぞれが生き物の魂なのだ。これまで生まれ生き死んで いった、あらゆる生き物達の永遠の思い出なのだ。

 一度、この世に現れたものは、決して消え去ることはない。かつてあったもの は、今もあり、これからも命が絶えることはない。生き、そして息絶える末期の 時に深甚なる思いを抱いた、その思いは、凝縮され結晶となって、やがて星とな る。
 この世の人間だとか犬だとか猫だとか、狼だとか、いや、踏み潰されたゴキブ リだって、潰れる瞬間にキューと鳴いて胸から魂を吐き出す。

 きっと植物にも心があるに違いないのだ。誰も気付こうとはし ない。気付くのが怖いのかもしれない。踏みしだく落ち葉だって、その一葉一葉 に命があり、祈りがあり、生きるという営みがあったに違いないのだ。
 その証が朝の露なのだよ。数え切れない葉っぱたち一枚一枚が涙を流す。それ は喜びの涙か、それとも、悲しみの涙なのか、誰にも分からない。分かる必要も ないことなのかもしれない。
 ホンの少しでも植物達の声に耳を傾けようと、目を閉じてしばし立ち竦んだ。

 やがて肩を射竦めるような感覚があった。底抜けに冷たい、孤独な感触だった。
 恐る恐る目を開けると、また月が姿を現しているのだった。
 月は女性的だなどと、一体、誰が言ったのだろうか。きっと、そいつは真の闇 を知らない奴に違いない。月の光は夜の底に蠢く魂たちの涙の煌きをさえ、平気で圧倒し去ってしまう。世界を青白い色一色で染め上げてしまおうとする。

 怨念にも似た月の光は、この地上世界をも貫通し、地の底の、まだ腐りかけている 葉っぱたち、あるいはいつの日かの蘇りの時を待つ幼虫をも、その眠りから無理 矢理にも目覚めさせようとする。
 真夜中なのに、闇の深さを知る時なのに、あらゆる生き物が己の魂と共にあり、 愛する誰かとの夢を貪っている時だというのに、そんな安逸なる世界の実現を許 さないのだ。
 月は野蛮なる戦士。全てを喰らう獣。そして暗闇に隠しておきたい何かを、神 秘の光で抉り出そうとする夜の世界の怪物。

 そうか、草露があんなにも、タップリなのは、そのせいなのか。月の仕打ちに 嘆き悲しんでいたせいなのか。我が衣にさえも露が垂れ零れている。せめて、こ の悲しみをほんの少しでも分かち持ってほしいと、懸命になって涙を振り絞った のに違いない。何かを分かってほしいと訴えているに違いないのだろう。

 ああ、でも、今の俺にはそんな心の余裕はない。俺も永遠の命に触れたくてな らないのだ。命の露を呑みたくてならないのだ。我が身の露の乾かぬよう、必死 なのだ。
 俺は足を進めた。ひめやかなる声のするほうへと。そこが崖っぷちだとも気づかずに。


                              (「朝露の」(02/07/24)より)

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コメント

タロットカードに「月」という札があります。
不安や疑いなどを表す、不吉なカードです。
それを思い出しました。
十五夜のイベントでは、決してそんな気持ちにならないのですけどね。
月にはいろいろな顔があるような気がします。

投稿: 砂希 | 2015/02/07 15:45

砂希さん

月にはいろんな表情がありますね。
ドイツ語では、月は男性名詞、太陽が女性名詞。

日本では、断然、女性的優しさの象徴。
土地柄や気象条件、歴史が月へのイメージに投影されている。
でも、アポロが月に到着して以降、一気に月への思い入れが不可能になった。月への想いを語ろうにも、あの月に人類の足跡が、と思うと、一気に想像の翼が萎える。

月を巡っての小生のエッセイで一番、読まれたもの:
「真冬の満月と霄壤の差と」
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2013/01/post-7ca1.html

投稿: やいっち | 2015/02/07 23:00

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