なぜにマルコ・ポーロは大旅行を果たせたのか
「『東方見聞録』は、マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した内容口述を、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記である『東方見聞録』は、マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した内容口述を、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記である」(「東方見聞録 - Wikipedia」より)というのは、言わずもがなのことだろう。
→ マダガスカル島。中央の谷間には象が棲み、グリフォンが羊をくわえている。(説明は、本書より。画像は、「『マルコ・ポーロ 東方見聞録』moreinfo」より)
黄金の国ジパングが世界に紹介されたなどとして、日本人なら誰しもが知っている書。
コロンブスが携えていった書でもある。
だけど、読む人は滅多にいない書でもある。
小生も、食わず嫌いということではなく、敢えて読む気にはなれないできた。読む前から、内容については、高が知れているような思い込みがあった。記述内容に信憑性が薄いという話も仄聞していたし。
それでも、いつかは一度は読みたいと思っていたが、ひょんな切っ掛けで本書を手にすることになった。
ところで、前々から疑問だったのは、たとえ、東方(今で言う、インドや中国、モンゴルなど)であっても、13世紀の昔、こんなに幅広く見聞が出来たのか、という点。
その謎(?)は、すぐに解けた。
← マルコ・ポーロ著『東方見聞録』(月村 辰雄/久保田 勝一 訳 岩波書店) 本書については、「『マルコ・ポーロ 東方見聞録』moreinfo」を参照のこと。本書には、掲げたような画像が豊富に載っている。活字の苦手な小生には嬉しい。想像(妄想)が膨らむ。
まず、マルコ・ポーロの父ニコロと叔父であるマフェオとが、商売の旅の果てに、モンゴル帝国の第5代皇帝(大ハーン。本訳書では、大カーン)と知り合い、彼の信頼を得たことが大きい(本書や、「マルコ・ポーロ - Wikipedia」など参照)。
「クビライの代以降、カアンの直接支配領域はモンゴル帝国のうち中国を中心に東アジアを支配する大元ウルス(大元大蒙古国)に変貌した」(「クビライ - Wikipedia」より)のである。
大カーンは、二人の帰国の際に、ローマ教皇への親書(と伝言)を託した。
ニコロとマフェオの兄弟は、ニコロの息子マルコ(ポーロ)を伴い、教皇の証書や特認状を携え、大カーンのもとへ再度、赴いた。
→ 『驚異の書』(fr.2810 写本)冒頭頁:ポーロ兄弟(ニコロとマフェオ)は人々に見送られてコンスタンチノープルを出発する。 (説明は本書より。画像は、「『マルコ・ポーロ 東方見聞録』moreinfo」より。なお、ニコロはマルコ・ポーロの父、マフェオはマルコの叔父である。)
マルコは、ポーロ兄弟以上に、大カーンに気に入られた。それは、彼の見聞の能力の高さだった。庇護と特権を得たからこそ、彼らは長く大カーンの領地の内外に滞在し知見を広めることができたわけである。
といいつつ、まだ、読みかけたばかり。とにかく、信憑性云々などは気にせず、まずは物語を愉しみたい。
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