池澤夏樹版『古事記』を読む
数年ぶりに『古事記』を読み始めた。
池澤夏樹による新訳が出たので、やや好奇心っぽい動機で手を出した。
← 『古事記』(池澤 夏樹 訳 河出書房新社) (画像は、「古事記 池澤 夏樹|河出書房新社」より)
『古事記』は、これまで、次田真幸全訳注の岩波文庫版や、倉野憲司氏校注による『古事記』(岩波文庫)、三浦佑之訳などで読んできたが、本書は斬新というのがウリなので、ホントに画期的な訳なのか、確かめたいってのが、読み始めた動機。さて。
ところで、まだ読み始めたばかりだが、既に、Twitterにて、「池澤夏樹訳の『古事記 』を読み始めた。いいんだけど、「古事記」って、序文と本文の文体が基本的に違う(書かれた時代や書き手自体が別?)のに、同じような文調なのは、変」などと呟いている。
小生の「古事記」を巡っての感想は、十年ほど前に書いた拙稿の見解(「三浦佑之『口語訳 古事記』」(2005/04/19)より)とそれほど変わっていない:
さて、小生がはじめて『古事記』を通読したのは、そんなに遠い昔ではない。
読みたいという気持ちの半面、何か抵抗感があった。その由来を探ると、やはり「記紀神話」への偏見、というより、「記紀神話」に篭められた戦中の偏向した押し付け的解釈への嫌悪と警戒が大きく左右していたのだと思う。
しかし、十数年の昔より、日本の古代史や考古学を探る中で、『古事記』の持つ特異性というのは、結構、複雑で一筋縄ではいかないのだということが、自分なりに見えてきた。
それはまた、『古事記』の持つまさにオリジナリティにも関連する。
知られているように、日本の正史である『日本書紀』以降の歴史書には『古事記』は全く、触れられていない。それどころか、貴族等の日記などにさえも触れられることが(皆無に近いほど)希である。
また、『古事記』の序文が、素人が見ても、とってつけたようで、いかにも後世になって何かの意図があって書き加えられたものではないかと、つい、穿った見方をしたくなる要素もある。偽書や少なくとも禁書のそしりを完全に免れてきたわけではなかったのだ。
何故に『古事記』は平安時代も終わりになって(つまり、朝廷の力、貴族の権力が弱まってから)表に浮上してきたのか。きちんとした序文がありながら、正史の扱いがされないだけではなく、禁書に近い扱いをされてきたのは何故か、古代史や文学に疎い小生でも、興味津々となってしまうのだ。
さて、その『古事記』が『万葉集』と共に歴史の表舞台に浮上してきたのは、江戸時代である。その詳細に触れると話が長くなるが、本居宣長らの研究が大きいことは知る人も多いだろう。
その研究の動機として、本人の関心もあるのだろうし、もっと大きくは、長い鎖国で世界の流れから取り残されたような島国の日本にも、ようやくにして世界の魔手が伸びてくるようになった。西欧の植民地競争が一層、激化していた。遅かれ早かれ、その手が日本に届くのも目に見えている。
そんな中、世界の中で日本とは何かを考えるという風潮、過激になりがちなナショナリズムの傾向が勃興するのも無理はないのだ。
日本の独自性は何か、何処に日本の世界の中で屹立し得る精神的拠り所を求められえるのか。心有る人は、賢明に危機感を覚えつつ捜し求めたわけである。
その一つの焦点が天皇の存在だったり、『古事記』や『万葉集』だったりしたわけである(『日本書紀』も「記紀」として受け止められたのだろう)。
が、時代の切迫した背景もあってか、「記紀」への思い入れは過激なものにならざるを得なかった。「記紀」の内容は史実なのであり、天皇は絶対的存在なのであり、学術的研究も含めて偏向したものに、とても窮屈なものになってしまったのである。
戦後、軍国主義の呪縛が取れると、今度は逆の方向へ過度に流れ、「記紀」の内容は、ただの物語であり史実とは無縁だという方向に流れた。
その振り子運動は、今日までずっと続いてきたとも言えるような気がする。そうした解釈やリカのブレを嫌う一部の学者は、また、極端に学術的で専門的な注釈を旨とするようになって、『古事記』は素人には気軽に手が出せないし、読みづらい存在になってしまったのである。
そんな「記紀」の受容の歴史を思うと、この三浦佑之氏による現代語訳『口語訳 古事記』には、時代が変わったんだなという感じを覚える。基盤に学術的研究の成果を置きながらも、肩の力の抜けた物語としての、あるいは古(いにしえ)のある時には、このようにして語り部が語ったのだろうと思わせるような『口語訳 古事記』が登場したのだ。
← 『古事記』(文芸の本棚 河出書房新社 編) 「神話学、古代史への関心の高まりをうけ、名著〈文芸読本・古事記〉を再編集。新たに大和岩雄・三浦佑之対談や、古事記偽書説、古朝鮮からの影響などの論考を収録する決定版」だとか。特に「大和岩雄・三浦佑之対談」が、両者の見解の相違が歴然としていて興味深い。と言いつつ、読み止し。 (画像は、「古事記 河出書房新社」より)
関連拙稿:
「大和岩雄・著『新版 古事記成立考』を読む」(2009/06/11)
「三浦 佑之著『古事記講義』」(2005/05/15)
「三浦佑之『口語訳 古事記』」(2005/04/19)
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