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2014/07/11

待ちぼうけ

 あれはいつのことだったろう、何処かの喫茶店の隅っこで終日(ひもすがら) 窓の外を眺めていたことがあった。
 喫茶店の場所も覚えていない。オレの方が場所を指定したのか、それとも、 彼奴(あいつ)がその店だと言ってきたのか。

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 今思えば、妙に居心地のいい喫茶店だった。店内はほどよく薄暗い。それで いて、ポケットに突っ込んでいた文庫本を読もうと思えば、読めなくもない。
 曲名の分からないジャズのナンバーが煩くもない音量で流れている。その気になれば、音楽に聞き入って過ごすこともできそうだ。

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2014/07/09

皮膚という至上の虚実皮膜

 絵画など、芸術作品だけは、鑑賞の対象であるべき、というのも、不思議といえば不思議である。絵画作品が額に収められてこそ、作品として完結する(ほぼ全ての作品がそうだ)というのも、馬子にも衣装という知恵もあるのだろうが、同時に、絵画作品に特権的な地位を与えたいという画家(それとも画商なのか)の知恵と戦略があるのだろう。

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← クラウディア・ベンティーン著『皮膚―文学史・身体イメージ・境界のディスクール』(田邊 玲子【訳】 法政大学出版局) 「皮膚(身体)が文化的構築物であるという観点は、フーコー以来の共通理解となっている。本書はそれを立脚点に、言語、歴史、ジェンダー論、言説分析、精神分析などさまざまな分野と方法論を縦横無尽に動員し、聖書、慣用句、文学作品、芸術論、科学の理論といった言語資料、解剖学図版・模型、絵画や現代アートなどの図像的なものを駆使して、17世紀から現代にいたる皮膚観のパノラマを展開する」とか。ひたすら好奇心……と、自分なりのテーマに関連することもあって、読み始めた。 (画像は、「 紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 美女(美男でもいい)を目の前にして、額の中の美女(美男)で我慢しろ、というのは酷な話である。額縁ショーではないのだ。
 距離感の錯綜。距離感の喪失。距離感への嫌悪。距離を置くことへの忌避の念。

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2014/07/07

踏切の音

 眩しく広がる空に惹かれて歩き出していった。何処へ行くあてなどない。家の中に籠っているのが億劫になっただけかもしれない。
 外には誰かがいる。何かがある。そんな期待があったのだろうか。
 あまりに遠い昔のことで、ろくすっぽ覚えちゃいないのだ。
 今も印象に鮮明なのは、真っ白過ぎる空の広さ。なのに、青空だったかどうか、記憶があいまいなのはなぜだろう。
 臆病な自分が、遠くへ歩いたはずがない。けれど、気が付いたら見知らぬ集落にいた。林や藪や原っぱに囲まれ、その外側には田圃や麦畑が広がっていた。自分の住む町と似ている。でも、馴染みのない地区。

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2014/07/06

カボチャの脅威

 今日は、数日前に買ったクリの木の苗を畑の隅っこに植えるつもりでいた。
 買ってから下手すると一週間も経っているかもしれない。見たら、プラスチックの鉢の中の土が乾き始めている。目算では、雨の吹き込む玄関の外に置いておいたのだが、あまり濡れなかったようだ。

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← ガルシア=マルケス/メンドーサ著『グアバの香り―ガルシア=マルケスとの対話』(木村 榮一【訳】 岩波書店) 「ノーベル賞作家にして稀代の語り部ガルシア=マルケスが、長年の親友である作家・ジャーナリストのメンドーサを相手に膝を交えて語り尽くす、自らの生い立ちや文学への目覚め、若い頃の習作時代、いかにして『百年の孤独』は生まれたか、そして成功後の名声がもたらしたもの」。今日からやわやわと。 (転記文と画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 慌てて、というほどでもないが、気は焦りつつ、畑へ。
 その前に、苗木の鉢に水を遣ったのは言うまでもない。

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