« 李冰 2300年後の現在もなお機能する水利・灌漑施設:都江堰 | トップページ | 雪国の者には、シーシュポスの神話が童話に思える »

2014/12/04

やばい客

 乗せた客は、見るからにその筋の人たち。私は中央高速を八王子目指して突っ走っている。
 ゴーという風の唸り音がしっかり閉ざした窓から聞こえてくる。タイヤの悲鳴も混じっている。私は、ハンドルを握る手が汗ばんでいるのを感じていた。
 というのも…
 ゆうべよー、新しい薬が手に入ってよ、使ってみたら、すげえの。女、よがりまくってよ、とまんなくてよ。新しい薬。オレの知らない奴か。かもしれん。ちょっといきさつがあって、たまたま手に入ってな、よんべ、早速、試してみたのさ。やばいほどだったぜ。てめえ、オレにも寄越せよ、それ。ああ、云々。

 話は段々、佳境に入って行く。薬の入手方法やら、女がそのあと、どうなったかやら、もう、耳に栓をしたくなるような、それこそやばい話だ。
 そんな話、聞いていいのか。運転手が目の前にいるのに、平気で奴らは喋りつづけている。こんな客なんて、早く下ろしたい。でも、無事、降りてくれるのか。現地はどこだろう。八王子インターを降りたら、あとは指示するから、というだけ。私は言われた通り走るしかないのだった。
 高速は国立府中インターチェンジをとっくに通り過ぎた。あと僅かだ。だが、その僅かが長く感じられる。

 その手の客を乗せたのは初めてではない。やつらは、よほどチンペラでない限り、素人相手には、トラブルは起こさない。まっすぐ帰って、待つ相手、待たせている相手に早く会いたいのだ。実際、支払いはきちんと、というか、釣りはいらねえよ、くらいで済ませるのが習いだった。
 が、車中でこんな物騒な話を無遠慮に喋る連中には初めて遭遇した。いいのか、私にそんな話を聞かせて。それとも、轟音が前席と後部座席とを遮断してくれていると思っているのか。
 それにしても、そんな声高に喋っちゃ、あかんだろうに。

 私の中では、妄想が膨らんでいた。むろん、薬物で女が快感の地獄を彷徨し、身を持て余して転げまわる場面……なんかじゃなく、奴らが、余計な話を聞きやがってと、いちゃもんをつけて、運転手の私をどうにかする、という場面だ。
 八王子のインターを降りたら、何処か人の目の届かない場所に車を走らせ、私の口を封じる……。そんな最悪の事態が想像されて、ハンドルを握る手に脂汗が滲んでいる。
 ああ、やっぱり、歌舞伎町なんて流すんじゃなかった。赤坂からの客を歌舞伎町で降ろしたら、さっさと自分の縄張りへ戻ればよかった。つい、色気を出して、せっかくだからと歌舞伎町をながしたばっかりに、こんな客を乗せる羽目に。

 夜半をとっくに回って、そろそろ夜中の二時になろうという頃だった。丑三つ時って奴だ。ヘッドライトには何も浮かばない。闇の中に灰色の路面が浮かんでいるだけ。路肩の白線が死へ誘う運命の糸に思えてくる。
 週末の深夜とて、前後に車が走っている。まさか、すぐそばを走るタクシーの車内でこんな会話が交わされているなんて、夢にも思わないだろう。まして、その会話に運転手が心底、怯えているなんて、想像だにつかないだろう。

 それでも、車は進んでいた。八王子インターへあと二キロ。あと一キロ。ああ、本選を逸れる道が見えた。私は頭の中を無にしていた。何も考えない。ただ、車を走らせる。私はロボットだ。感情のない、運転マシンなのだ。ただ、決められて道を走るだけ。
 料金所を呆気なく通過する。ETCなので、係員と顔を合わせることもないのだ。合わせたからといって、何ができるものではなかろうが。

 料金所を出たら、奴らの一人が道を指示した。住所を言えば、カーナビで何も言われなくても目的地に向かえるのだが、乗った時点で、何も訊ねる気にはなれなかった。八王子インターへ行け。あとはオレが指示するというだけだったのだ。従うしかない。

 車はドンドン、人里を離れていく。ああ、やっぱり、思った通りの筋書きになるのか。私の人生も今日で終わりなのか。目の前には無線のマイクがあるが、手にするわけにもいかない。携帯電話だって上着のポケットに潜ませてある。ドライブレコーダーだって…。ああ、だめだ、これは車内は録画してない。まあ、録画してあったって、私の運命には助けにならない。

 気が付くと、大きなマンションの前に車が止まった。なぜか私の心臓も一緒に止まったような気がした。
 カネは? いくらだ? 私は料金メーターの数字を読む。
 ○▽■×☆円です。
 そうか、と男は言われた額を払ってくれた。ということは、私は無罪放免なのか。
 車内での会話は秘密にしろ、とも男たちは言わない。私が喋るはずがないと高を括っている。

 確かに、乗務員証に名前も示されている。タクシー会社だって、ひと目見れば分かる。どこから情報が漏れたかなんて、即座に分かろうというものだ。
 男たちは、何事もなかったかのように、やはり、声高に喋りながらマンションへと消えていった。

 奴らの影が消えた瞬間、あっと気づいた。高速料金を貰うのを忘れた。到着したら、支払ボタンを押し、さらに清算のボタンも押さないといけない。それで初めて、運賃に通行料金を合算した額が出るのだ。むろん、9000円を超えた分については、その一割を遠距離割引される。それも、支払・精算のボタンを押すことで全て自動的に計算してくれる。
 ただ、私は上がっていて、ボタンを押すのをミスったのだ。
 帰り道、そんなことを反省しつつ、安心すると、そんな些細な…でもないが…ことが気になってくるものだと、自分で自分が可笑しくなった。

 それにしても、私は通報しなくていいのだろうか。…が次の瞬間、通報なんて論外だと思った。無事が何よりなのだ。何もなかったのだ。それでいいではないか。私は自分にそう言い聞かせて、帰路を急いだのだった。

 
[本稿は創作です。決して東京でタクシードライバーをしていた頃の思い出話ではありません! 実際、何もなかった…はずですから。]

|

« 李冰 2300年後の現在もなお機能する水利・灌漑施設:都江堰 | トップページ | 雪国の者には、シーシュポスの神話が童話に思える »

タクシーエッセイ」カテゴリの記事

創作・虚構・物語」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

創作(オレもの)」カテゴリの記事

コメント

おお、ちょうど良い話だ。
今日裁判傍聴して来ましたが、一件は、覚醒剤取締り法違反の女性。
簡単な裁判でしたよ、即決裁判というんですか、30分で終わって、すぐ判決、執行猶予付き。
その後の詐欺の女性は長かった。
被害者まで証人に来て、2000万円騙された。女を十年刑務所にぶちこんでくれと言っていました。判決は24日とか。クリスマスイブも裁判には関係なしと。
弥一さんは通称、ろくでなし子さんの再逮捕はどう思いますか?

投稿: oki | 2014/12/04 21:59

okiさん

裁判を傍聴してこられたんですね。
小生も、以前、書いたように、一度は傍聴してみたいと思っています(裁判員にはなりたくないけど)。
とくに性犯罪に関心があります。
犯罪者がどのように裁判を受けているのか。弁護士や検事の応酬。

「ろくでなし子さんは今年7月、自らの女性器をスキャンし、3Dプリンターで出力するためのデータを配布したとして、「わいせつ電磁的記録記録媒体頒布罪」の疑いで逮捕・勾留されたが、その後、釈放された」あの件ですね。
残念ながら、作品を観ていないので、意見を述べる準備がないです。
作品を見てから、ですね。
ただ、女性にしろ男性にしろ、性器を象る作品は結構、あったような。

投稿: やいっち | 2014/12/04 22:17

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: やばい客:

« 李冰 2300年後の現在もなお機能する水利・灌漑施設:都江堰 | トップページ | 雪国の者には、シーシュポスの神話が童話に思える »