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2014/12/17

ムージルから『孝謙・称徳天皇 出家しても政を行ふに豈障らず』へ

 富山(北陸)も雪である。今のところ、喧伝されたほどには積もっていないが、しかし、庭が日陰で日中、日が出ても雪の融けづらい我が家、昨夜未明から雪掻きに追われている。

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← 勝浦 令子 (著)『孝謙・称徳天皇 出家しても政を行ふに豈障らず』(ミネルヴァ書房 ミネルヴァ日本評伝選)  (画像は、「本:hontoネットストア」より)

 庭に融雪(消雪)装置を施したいが、少なくとも百万円は要するだろうから、今のところ、論外。
 人力に頼るしかない。つまり、自分で頑張るしかない。
 実は、今、奇矯とも思われそうな奇策を弄そうと企んでいる。既に設定は済んだので、後日談を書くかもしれない。


 さて、今日から、勝浦 令子著の『孝謙・称徳天皇 出家しても政を行ふに豈障らず』(ミネルヴァ書房)を読み始めた。
「孝謙・称徳天皇(718~770、在位:749~758、764~770) 異例の女性皇太子を経て即位し、藤原仲麻呂ら多くの政敵と闘い、父聖武天皇の仏教政策を継承しつつも、道鏡を重用し独自の政治を行った孝謙・称徳天皇」。
 謎の道鏡。
 道鏡は、「道鏡を天皇にしようとする称徳の野望は、宇佐八幡に送られた和気清麻呂が、それを否定する神託を受けたと報告することで、はかない夢と消えた」といった、和気清麻呂との関わりで好奇の対象として、敬して遠ざけられてきた。

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→ R. ムージル (著)『ムージル著作集 第1巻 特性のない男』(加藤 二郎 (翻訳)  松籟社) (画像は、「Amazon.co.jp 通販」より)

 道鏡との色恋沙汰で片づけて、臭いものには蓋式な通り過ぎ方。
「たとえ血統を受け継がなくても、「天」が授ける者であれば天皇になれるとする思想は、「万世一系」を否定する論理を兼ね備えていた」(「書評:孝謙・称徳天皇―出家しても政を行ふに豈障らず [著]勝浦令子 - 原武史(明治学院大学教授・政治思想史) BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト」より)という、とてつもない政治思想家である孝謙・称徳天皇の思想や人間像に迫らないと、真相にはたどり着けないだろう。
 が、果たしてその真相は。ホント、取り沙汰される、一方では、徹底して忌避される風潮がある女性天皇が現実味を帯びている(?)近い将来を見据え、本書などを通じ、天皇制を含め考え直してみたい。
 
 一方、今朝未明から、ムージル著の『寄宿生テルレスの混乱』(丘沢静也/訳 光文社)を読了した。
 いかにも、ヴィトゲンシュタイン研究者でもある丘沢静也ならではの訳。実に面白かった。彼だからこその訳し方だと感じた。

 この作品の理解については、ネットでは、「うつと読書 第26回 「寄宿生テルレスの混乱」|てらこやのどんとこい読書」が参考になると思う。

9784334751654

← ムージル/著『寄宿生テルレスの混乱』(丘沢静也/訳 光文社) (画像は、「寄宿生テルレスの混乱 ムージル、丘沢静也-訳 古典新訳文庫 光文社」より)

 同ブログで引用されている以下の言葉は、あと一歩でヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』と感じさせる:

「ある思想がぼくのなかで行きはじめたと、ぼくが感じるときには、同時にぼくはこう感じるのです。思想が沈黙しているときに、ものごとを見ていると、ぼくのなかでなにかが生きているのだ、と。それは、ぼくのなかにある暗いものです。あらゆる思想のなかに隠れているけれども、思想では測れないものです。言葉では表現できない生ですが、ぼくの生なんです……」

 小生は、過去、二度読んで違和感しか残らなかった、ムージルの『特性のない男』を丘沢静也氏の訳で再読したいと思う。
 夢、実現しないかなー。

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コメント

ウィトゲンシュタインか、ヴィトゲンシュタインか。
ネットの変換だと、ウィトゲンシュタインが出ますがー。
僕は研究者では、中村昇さんが好き。
ウィトゲンシュタインーネクタイをしない哲学者、とか、ウィトゲンシュタインと小林秀雄とか。
丘沢さんというのは知らないなぁ。

投稿: oki | 2014/12/17 21:57

okiさん

丘沢静也氏は、小生の中では、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著の『反哲学的断章』(青土社 1982)の翻訳者として銘記されています。小生の大好きな本です。
本書で同氏は、ヴィトゲンシュタインと敢えて表記しています。小生はその表記を引きずっています。
その後、ウィトゲンシュタインという表記が原語の発音に近いということになってきていることは承知しています。

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインについての研究者で好きな人物は(少なくとも日本には)いません。
納得できる解釈や理解を示している人は居るのかどうか、不勉強で分からないでいます。

ただ、小生の中では、ウィトゲンシュタインと小林秀雄とを併記することはありえません。

投稿: やいっち | 2014/12/19 04:38

孝謙天皇は重祚したんですよね。
日本史で暗記したおぼえがあります。
しかし、道鏡との関わりまでは知りませんでした。
どこかに魅力を感じたのでしょうね。
しかし、公私混同はいけません。
権力者が奇行に走ると、国が傾きますよ。

投稿: 砂希 | 2014/12/19 20:08

砂希さん
孝謙・称徳天皇は、初の女性皇太子を経ての、女性の天皇。
そして、道鏡を天皇に据えようとした。
天皇の系統を断ち切る可能性もあった。
天皇たる人は、人間としての能力じゃなく、あくまで血統なのに、前代未聞の試みをしようとした。
なので、彼女と道鏡とは色眼鏡で見るような風潮が作り上げられたわけです。
女性天皇の問題は、現代においていよいよ現実味を帯び始めている。多分、阻止されるだろうけど。

投稿: やいっち | 2014/12/19 21:33

原語というか、Wittgenstein,で、オーストリアの人ですよね。
ドイツ語読みなら、ヴィトゲンと唇をかむ発音になるはずなんですがー。
ここは、指揮者で、ゲオルグ ショルティとジョージ セル、っていますが2人ともGeorgでして、2人ともアメリカで活躍した、セルはクリーブランド、ショルティはシカゴてすね、2人ともヨーロッパ生まれなのに、なぜ区別するのかという問題とも関わること。
さて、日展って、富山にも、巡回するんですねえー。

投稿: oki | 2014/12/19 22:19

okiさん

上掲書で丘沢静也氏はヴィトゲンシュタインと表記する理由を書いています。爾来、小生はヴィトゲンシュタイン派。

日展は富山にも来るみたい。あまり興味が持てないけど。
何か、日展作家が選ばれる基準が分からない。

投稿: やいっち | 2014/12/21 22:04

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