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2014/11/17

『肉体の迷宮』から『失われた足跡』へ肉の闇つながり

 昨日は、谷川 渥著の『肉体の迷宮』(ちくま学芸文庫)を、今日は、カルペンティエル作の『失われた足跡』(牛島 信明【訳】 岩波文庫)を読了。

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← カルペンティエル【作】『失われた足跡』(牛島 信明【訳】 岩波文庫) (画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 昨日は営業の日だったのだが、死ぬほど暇で、読書も進み、読み止しの『肉体の迷宮』(ちくま学芸文庫)を読了するに至ったというわけである。
 そして今日は、予報では午後から雨ということだったので、外仕事は断念し、地連へ用事を果たしに、さらに、電気点でファンヒーターを買いに、といった所要だけ果たし、あとは家。

 このところ、隔日に銭湯へ通っている。昼間、行くので、ガラガラだし、のんびりゆったりできるのがいい。家でも風呂には入れるのだが、やはり、銭湯はいい!
 で、帰宅してから、カルペンティエル作の『失われた足跡』の残りの部分を一気に読み通した。

 本作には、マルケスほどには浸りきれなかった。が、物語も終わりに近づこうかという辺りで、癩病に冒された人物が出てきて、個人的に(つまり、話の流れとはやや離れた形で)不意にどやされたように、物語に引き込まれていった。
 この癩病患者は、当然ながら、人の輪からは離れた場所で隠れるように、息を殺すようにしてひっそり生きている。村の人々も彼らの存在はしっているが、隠れて生きることを容認している。だが、村の人々との接触は、決して許さない。

 癩病者の若い男が現れる。彼が問題を引き起こす。ある日、村の若い娘が惨めな格好で逃げ込んでくる。癩病の若い男に襲われてしまったのだ。
 村の連中は怒り心頭である。村の人間とはかかわりなく生きるべきなのに、よりによって若い娘を犯すとは!
 彼は村の人に惨殺されてしまう。当然の報いのように。

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→ つい先日、通販で衝動買い。万古焼の釜。ご飯、美味しい。なんといっても、十分で炊けるってのがいい。

 作家のアレホ・カルペンティエルは、1904年の生まれである。「パリ滞在中には画家の藤田嗣治と親交を結び、1931年に藤田夫妻をキューバに招待」というエピソードもある(「アレホ・カルペンティエル - Wikipedia」より)。
 さて、「近代から未開へと時間が逆行する不思議な音楽家の旅を描いた『失われた足跡』」は、1953年の作品である。

 気付かれるように、本書(訳書)では、癩病と、何の注釈もなくこの言葉が使われている。小生も、とりあえずは、本書の訳に従って援用(流用)している。むろん、現代ではハンセン病と呼称するのが通例となっているのは、言うまでもない。

ハンセン病 - Wikipedia」によると、「病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェー人医師アルマウェル・ハンセンの姓に由来する。かつて日本国では、癩(らい)、癩病[注釈 1]とも呼ばれていたが、その呼称を差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外では、一般的に避けられている。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称であること」からで、それに関連する映画なども作成されている」のである。

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← 谷川 渥【著】『肉体の迷宮』(ちくま学芸文庫) (画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より) 「東西の美術・文学・哲学を自在に横断しながら、“肉体”と格闘した美意識を論じる独創的な表象論」だとか。小生は、谷川 渥氏の扱うテーマの本が好きである。 

 欧米では、かねてよりの呼称(通称、蔑称)があったが、最終的に、「1952年にアメリカ医師会が「leprosy」を「Hansen's disease」に変更することで改名が実現した」という。
 日本では、1953年にまず、「全国国立ハンゼン氏病療養所患者協議会」(全患協)への改称という形で、らい病という呼称からの変更の動きが現れた。
 さらに、「1959年(昭和34年)に全患協はより一般的な英語読みの「ハンセン氏病」に改称し、さらに1983年(昭和58年)には、「氏」を削除して「ハンセン病」へと改称した」とのこと。

 さて、本訳書では、「癩」がなんの断りもなく使われている。
 なんといっても、原書は1953年に公表されたものであり、作品の中では、癩病者への偏見や接近することの恐怖が前提となっているのだから、それはそれで当然なのだろう(が、別記で、敢えて原文の趣旨に従って援用しましたと、断り書きを付すべきなのかな、と思った)。

 それはそれとして、癩病者だろうがなんだろうが、若い男性なら(あるいは若い女性なら)異性への想いも募るだろうし、綺麗な人(格好いい人)への焦がれる想いも湧くだろう。時に、我慢しきれず、暴発することもあるのだろう。
 常識的な付き合いなんて、夢のまた夢だろうし。ジャングルの奥、あるいは人の世の闇夜や迷路の奥で、俗世間に忌避されて、それでも、肉の欲求は普通に沸々と湧く、それを堪えて生き、死んでいかなければならない、<まともな>社会の人とは、縁も何も断ち切られれて、影から影へ流れていった、数知れな人がいたことを想うと、痛惜の念に堪えない。

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→ 過日、敷島こんぶをテーマにブログ記事を書いた。ふと、酢昆布を食べたくなって、スーパーで衝動買い。懐かしい味。

 奇しくも、結果的にだが、谷川 渥著の『肉体の迷宮』(ちくま学芸文庫)を、今日は、カルペンティエル作の『失われた足跡』(牛島 信明【訳】 岩波文庫)を読了と、肉体の闇夜つながりで読書する流れになったのは(というのも、『失われた足跡』に癩病者のエピソードが登場するとはまるで想像の外だったのだ)、偶然とはいえ、感懐深いものがある。

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