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2014/11/11

秋闘を前にして

 つい先日、定期大会が終わったなーと、ホッとしていたら、今はもう、秋闘のための運動を始めないといけない。
 秋闘で何をテーマにするか。

 大きな課題や要求事項は地連が案出するが、付帯的な要求項目は、各単組が個別に考える。
 各組合には、それぞれに問題や悩みを抱えている。組合員が減る一方で、そもそも運動自体が衰滅気味である。運動する活動費が限られているのだ。

 組合など、今時、何の存在意義があるか、そんなもの、失くしてしまえ、という発想の人は、経営者など会社側の人たちだけではなく、従業員(社員)にも多い。

 そんなものがあったって、会社も良くならないし、給料や待遇が改善されるものでもない。会社に不当な扱いがあれば、自分で文句を言うし、それでだめなら、他の会社へ移るだけ、自分は稼ぐだけで十分、という独立独歩の人が結構いる。

 二種免許さえあれば、会社が何処だろうと、堂々と働ける。そこがタクシードライバーの強味だと思っている…ようである。その自信や自負には眩しいものを感じるばかりである。

 タクシー業界には、若い人はまず、やってこない。待遇や給料が、他の業界に比べ、低すぎるのである。五十代六十代の新規参入者が実に多い。たまに四十代が来ると、かなりの若手扱いである!

 規制改革を標榜する集まりでも、タクシーなんて、年金を貰うような年配者が、のんびりやればいいものだと、見下している。
 昔と違い、車は誰でもが所有し運転する時代となっている。タクシーの運転なんて、二種免許があれば誰でもできるものだという思い込みがある。

 近い将来、運転はロボットがやる、つまりは自動(運転)化が当たり前となる、その趨勢はますます実感となって、押し寄せてきている。運転も荷物運びもロボットならお手の物、というわけである。

 思えば、産業用ロボットが登場したのが、脅威の前兆だったのだ。
 ロボットの登場は、昔は夢の実現であるかのように思えたものだった。鉄腕アトムの活躍にはわくわくしたものだった。
 だが、いざ、ロボットが身近に登場し活躍を始めてみると、いいことばかりではなかった。
(鉄腕アトムも、原子力で動いていたと気づいたのは、つい最近のことだった。明るい夢の半面には底抜けに深い危険が張り付いていたのだ。)

 掃除ロボットも、自動運転ロボットも、便利である。が、そうした高機能ロボットを買えるような家計であれば、である。
 太陽光パネルもいい、蓄電池もいい。高機能な車もいい。高度な福祉や医療もいい。但し、買えるならば、利用できるならば、である。
 買えなかったら、利用できなかったなら、それらはどんなに立派であっても、(庶民には)絵に描いたモチに過ぎない。

 工場で、産業用ロボットが、それまで人が行っていた単純労働を、より正確に且つ俊敏にこなしていく姿に、単純に、技術の向上ばかりに感動していてはいけなかったのだ。まさに、多くの人間にとって、脅威そのものだったのだ。

 産業用ロボットの登場でどれほどの人材が仕事を奪われたことか。
 単純労働、過酷な労働、危険な労働はロボットに任せ、人間はもっと創造的な人間らしい仕事に携わるべき…。


 しかも、ロボットや機械は文句を言わないし、疲れ知らずだし、必要に応じて休ませること、つまり、お払い箱にすることもできる。
 今の規制改革推進派の連中は、みんな有能な人間たちばかりで、頭脳が優れていて、勉強のできない連中を見下してきた奴らなのだろう。
 単純な流れ作業は(奴らにはそう見える)、ロボットなどの自動機械に任せればいい…。

 つまりは、大概の人間なんて不要なのだ。人間蔑視、人間不要こそ、彼ら規制緩和論者の本音なのではないか。
 少なくとも規制緩和派の発想を突き詰めていくと、大概の人間は、消耗品であり、ただの消費者でさえあれば、あるいは黙々とただ働きをすればそれでいいんだ、という理念が透けて見える。

 派遣で働く人間を、否、およそ労働者を消耗品として扱う風潮が、ますます強まっており、現政権も労働法の改悪(派遣の3年という制限を撤廃しようとしている。つまり、派遣はずっと派遣のまま、という悪法)で、一層、経営者側に便利に派遣労働者を使えるよう、目論んでいる。

 働く者は、消耗品であり、コストなのである。コスト、経費は安い方がいい。できれば、残業をたくさんさせる。その残業は、サービス残業なのは言うまでもない。
 タクシードライバーの業務の過酷さは、経験したものでないと、分からない。個々の仕事は、それぞれに、個別な悩みや苦労を抱えているのだが、そんな現場の表現の難しい困難さは、経営者や、まして有能なる学者やコンサルタントには想像も付かないのだろう。

 エコだとかいって、不要不急な際にはエンジンを切るように…当たり前のようでいて、何か釈然としないものがある。
 断っておくが、エコは大事だという認識に異論はない。むしろ大いに賛成である。

 だが、エコ至上主義には、大きな死角がある。
 営業の窓口が、たまに誰からも電話がない、あるいは来客がいないからといって、労働していない時間だと見做すのだろうか。その時間は、エアコンも切れば、部屋の照明も落とすのだろうか。
 そんなはずはない。
 営業中のタクシーには、待機中などにエンジンを切れ、と安易に命令する。反論の余地がないようにも見える。

 だが、待て、である。

 エコ至上主義者には、タクシーには空車の際でも、待機の最中であっても、そこに人間が乗っていることをまるで考慮に入れていない。タクシードライバーの健康状態に神経をとがらす一方で、エコのためだから、エンジンを切るべしって、ドライバーの健康のこと、仕事環境のことは考慮の埒外のようだ。
 何かおかしい。エコ至上主義の陥穽がここにある。
 エコも大事。しかし、働く人間も大事でしょ、と言いたい。

 その実、観光タクシーやら福祉タクシー、人に優しいタクシーであれと、要求(期待?)だけは、使用者や特に行政側から、高まる一方である。

 そんなにタクシーに期待しているのなら、まずはタクシー業界を席巻する環境を改善することにまずは努力すべきではないか。他の業界に比べての年収の格差は、異常なほどじゃないか。その現実をどうしてくれる!
 だが、そんな苦労や困難はタクシー業界任せ。つまりは自己責任で、業界自身で頑張れ、というわけである。

 こんな時代にあっては、労働者の権利や人権を擁護しようという組合など、邪魔なだけの存在に映るのも、容易に想像がつく。タクシーの経営者の中には、組合なんて不要という発想の人が多い。善意に溢れ、社員や乗務員の不平不満は、自ら汲み取って対処する…対処できると思っているようでもある。
 過酷な現場で働くものの実態や労苦など、想像を絶するというのに。

 一方、残業などの規定は、労働法に基づいての労使協定が必要という法律があるから、その協定にハンコを押してもらうだけのために、従順なる組合はあってほしい、と、かなりなご都合主義。
 働くものの気持ち、労働条件は、ますます救い無き隘路に追い込まれていく。

 そうはいっても、小さな単組は、大ぶろしきを掲げても、意味はない。地道に、ささやかな要求項目を案出し、要求していくしかない。生活者の目線、現場で働くものの目線以外に、現実に置いて大切なものはないのだから。

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