野菜畑から果樹園へ?
今日は晴天。やや風あり。時間があるわけではないが、思い切って畑へ。
今季もそれなりの収穫を恵んでくれた我が家の畑。それも、もう、店じまいの時を迎えていた。
ナスやピーマンは未だ生っていた。トウガラシも。ゴーヤは、先週、蔦をかなり刈り込んだので、傷を負わせたのだろう、収穫は皆無だった。
キュウリは、八月のうちにお仕舞。苗が悪かったのか、ほんの数本、収穫しただけで、九月に入る前に音沙汰はなくなってしまった。
トマトは、かなりの収穫があったはずなのだが、忙しく、畑に出ることを怠っているうちに、熟し過ぎたり、鳥に啄まれたり、あるいは落下したり。
正直、組合の役員を担うようになってから、庭や畑のことは気がかりだったのだが、書類作りやら会議やらで、自宅に居ても心は上の空だったような気がする。
しかし、畑に身が入らなかったのは、他に理由がある。
そもそも、野菜が好きではないことは、第一の怠慢の理由だろうが、それ以上に、せっかく作った野菜を貰ってくれる人が見つからなくて、作る上での張り合いがなくなった、というのが大きい。
例年、貰ってくれる人も、ありがたいと思っているのか、有難迷惑なのか、気持ちが分からない。
組合のことで頭がいっぱいだったりして、畑も庭もほったらかし状態になってしまった。
昨年の三本に加え、今年も三本、クリの木を植えた。今年植えたクリの木もとりあえず、育っている。
昨年、植えた三本は、見違えるほど大きくなって、栗の実が何個も生り、小生が放置していた間に、育ちすぎて、下に幾つも落っこちてしまった。
小生、栗の実が路上に落ちる光景をなぜか見たくて、昨春、発作的に栗の木の苗を植えたのだが、少なくとも畑の隅っこの地面に落ちている栗の実の光景だけは眺めることっができたわけである。
ただし、小生が観たいのは、今は未だ小生の身の丈ほどのクリがもう少し育ってくれて、頭上の枝から栗の実が垂れ、あるいは落ちてくる光景である。上手くいけば、緑色っぽい実が、茶褐色に変色した、つまり熟した栗の実をこの手で捥ぐことができるかもしれない。食べることだって夢ではない気がする。
その栗の木が六本。三本ずつ、畑の畝に育っている。徐々に畑を侵食しているわけである。来春は、あるいは他の果物の木(の苗)を植えることも考えている。
ナシかリンゴかモモか未定だが、場合によっては野菜のための畑ではなく、果樹園っぽい畑に変貌するかもしれない。
野菜が嫌いだし、貰い手は見つからないし、となると、畑を終いにしないかぎり、活かすには、果樹園という手が考えられるというわけである。果物の収穫も夢じゃないし。
余談だが、我が家の近くに、つい数が月前、コンビニが開店した。今は車で、あるいは自転車でスーパーへ買い物へ行けるが、そんなに遠くない将来、そんな元気がなくなったら、あるいて一分のコンビニは重宝しそうである(普段でも、忙しい折には助かるし)。
そこへ、過日から久しく放置されていた更地で工事が始まっていた。コンビニの対面である。敷地の端っこに何やら事務所らしき建物。何処かの会社かな、と思っていたら、なんと、お弁当屋さんだった。
おお! これで、歩いて一分弱の場所にコンビニとお弁当屋さん。これにクリーニング店ができれば、もっと嬉しい。それはさておき、コンビニの空白地帯だった我が町がようやく埋まった。実際、自分に資金があったら、コンビニを経営したいと真剣に考えていたのだ。
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