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2014/10/18

五箇山の落ち武者伝説と民謡を巡って

 過日、合掌造りで有名な白川郷や五箇山を訪れる機会に恵まれた。
 白川郷では、たまたま「どぶろく祭り」などが行われていて、厳かな一方、華やかな一面を持つ祭りの様子を見物することができた。

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 とはいっても、仕事での訪問なので、自分勝手な行動はできず、合掌造りの家や地域の佇まいをゆっくり観光し堪能するというわけにはいかなかった。

 今日は、ここでは富山県の観光地である五箇山について少々。

 五箇山は、「富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指す」。
 五箇山(に限らないが)には、「平家の落人が住み着いたと伝えられている」落ち武者伝説が古来より付き纏ってきた。真相は分からない(以下、「五箇山 - Wikipedia」など参照)。

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→ 「合掌民宿 なかや」 およそ築350年の合掌造りで、囲炉裏を囲める。

 まことしやかなのは、「1183年、富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠で、木曾義仲(源義仲)と平維盛(平清盛の孫)が戦った(倶利伽羅峠の戦い)。この時、義仲は火牛の戦法で平家に大勝した。その残党が五箇山へ落人として逃げ隠れたとされる。物的証拠はないが、一部の五箇山の民家の家紋として残っているとされている」からである。地名にも、平村があったりする!
 さらに、「南北朝内乱期に、吉野朝遺臣によって地域文化が形成されたとも伝えられており、『五箇山誌』(1958年)には「五箇山の文化は吉野朝武士の入籠によって開拓され、五箇山の有史は吉野朝からである。養蚕・和紙製紙は吉野朝遺臣によって始められ、五箇山へ仏教が入って来たのは後醍醐天皇第八皇子、天台座主宗良親王によってである」とか。
 こうした伝説や由来話を聞くと、平家の落ち武者伝説を信じたくなる。
 けれど、有史ということになれば、遡っても南北朝時代であり、鎌倉時代の墓は一切、見つかっていないというのが惜しい。

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 一方、「世界的にみても有数の豪雪地帯であり、そのような風土から傾斜の急な大きな屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれた」くらいなのだが、何故か、「「五箇山は民謡の宝庫」と言われ、発祥や伝播の経緯が定かでないものが数多く存在する」のである。
「現在伝承されている五箇山民謡」を列挙すると、「こきりこ(こっきりこ)節・麦屋節・長麦屋節・早麦屋節・小谷麦屋節・古代神・小代神・四つ竹節・といちんさ節・お小夜節・なげ節・五箇山追分節・神楽舞・古大臣・しょっしょ節・草島節・輪島節など」である。

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 こんな山間の交通不便な地にしては異常な位に民謡が多い。何か、理由があるに違いないと、思いたくなる。
 平家かどうかは別として、落ち武者らがこの秘境の地に都の文化を植え育てたのかもしれない、とも想像を逞しくしたくなる。戦乱は幾たびも繰り返され、そのたびに落ち武者は何処かの地に土着したに違いないわけである。

 また、平野部だと、次々に新しい文化などが流入し、前の文化を拭い去り上書きしていくが、山の奥の地だと、一旦根付いた文化は置き去りにされたまま、根付いていくという考え方も成り立つかもしれない。

 五箇山は、「江戸時代には、加賀藩の流刑地」だったというからには、そうした流刑者(あるいは彼らに付き従った身内)が、都の文化を伝えたのかもしれない。

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← 五箇山・合掌村の入り口付近にある茶屋。

五箇山 - Wikipedia」によると、「伝承ではお小夜という遊女と関係が深いという。加賀騒動の首謀者と遊女たちが輪島に流刑になったが、お小夜は輪島の出身だったため、意味がないということで、小原(上平)に流され、歌を教えたとされる」とか。
 これが本当なら、「五箇山民謡」と、お小夜という遊女の活動していた加賀(?)の文化や民謡(が残っているとして)との文化的音楽的相関が見いだされるはずであるが、さて。

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コメント

合掌民宿なかやですか。
素敵な建物です。
一度は泊まってみたい。
築350年というからには、合掌造りは丈夫なのでしょう。
落ち武者もロマンです。
信ぴょう性を感じますが、いかがですか。

投稿: 砂希 | 2014/10/19 15:34

砂希さん

小生もこの民宿に泊まりたいと思いました。
仕事なので、関係者が宿泊するのを指をくわえて眺めているだけ。
合掌造りの建物、実は中をじっくり見学したことがありません。いつか、しっかり観たい。

落ち武者ロマン。落ち武者が平家なのかどうかは別にして、幾たびも昔から戦乱はあったわけで、落ち武者は山奥の何処かに落ち延びたのは事実だったのでしょう。
落ち延びるのは、追われるような有力な人たちでしょうから、文化程度も高かったと思われます。
文化も技術も仲間意識もあったのでしょうね。

投稿: やいっち | 2014/10/19 22:51

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