鏡の中の白い影
「白いドレスの女」の後日談:
あれから何年が経ったろう。あれから…。
いや、今さらどうしてあれからなのだ。何があったというのか。何もなかったじゃないか。
オレの思い込み、勘違いに過ぎないのだ。そう、自分に言い聞かせてきた。
← マタ・ハリ (画像は、「ファム・ファタール - Wikipedia」より)
幸い、仕事の方は順調すぎるほどに忙しかった。街中を流していると、格別、繁華街などを探し回らなくても、矢継ぎ早にお客さんに遭遇した。 あまりの繁盛ぶりに、トイレへ行くタイミングを見つけられなかったり、食事もままならないほどだった。
夜中にロングのお客さんに導かれるままに、郊外の町に自分を見出す。お客さんを下ろしたあとは、通りすがりに目をつけておいた食堂へと舞い戻って、それなりの売り上げを確保したという安堵の念もあって、ゆっくりじっくり、店のお勧めメニューに舌鼓を打つ。
日に300キロどころか400キロを超えることもざらだった。営業所に戻る頃には精魂尽き果てている。日報の提出や納金はともかく、洗車は同僚に千円のチップを渡して頼み、家路を辿る。
帰ったら、倒れ込むようにベッドに横たわる。そのまま寝入ることができたら、どんなに幸せだろう。
だが、神経が昂ぶっているのか、眠れるはずもないことを知っている。
しぶしぶ起き上がって、冷蔵庫から冷蔵してある焼きそばなどを取り出す。寝入る前に食事してはいけないと分かっているのだが、何かを腹に収めないことには、体が言うことを聞かない。
神経を誑かすためだけのために、お腹を満たし、飲めないビールを流し込む。
家では、喰っちゃ寝の生活が続いていた。何をやる元気もない。
女房はオレに愛想を尽かして出て行った。子供が出来なかったことを責めたつもりはないのだが、女房は身を引くようにして去って行った。それとも、オレに見切りをつけたのかもしれない。
将来への展望など何もなかった。仕事をこれでもかというほどやって、家ではのんべんだらりとするオレを捨てたって、文句など言えない。
とうとう会社の定期検診でいろんな数値が引っかかるようになってしまった。
それでも、生活のパターンを変える気にはなれないでいた。何かを拭い去るように暮らすしかない、そんな強迫観念のようなものがオレを掻き立てていた。
気が付くと、あの日のことも思い出さなくなってきていた。これでいい。何もなかったんだから、思い出すことだって、何もないはずなのだ!
或る日のこと、食事をしつつ漫然とテレビを観ていたら、気になるニュースがオレの耳目を引いた。
ニュースなのか、ワイドショーのネタなのか、女性に乱暴し路上に捨て去って逃亡した男性二人が自首してきた、という内容だった。
白いドレスの女を車に連れ込んで、山中で強姦し、女を置き去って、車で逃げ去った。
その車窓から白いドレスの女が狂乱の体で道路へ飛び出していくのが見えた。
その時は、知ったことかと車を駆ったが、数日後のニュースで、その女らしき轢死体が発見され、死体の余りの惨状は正視できない、という悲惨を聞いて、居たたまれなくなって、二人とも自首してきた、というのである。
警察は最初、犯した女の口を封じるため、車で轢き殺したのではという疑いを持ったが、二人の証言や車の状態などから、轢いたのは他の車だと考えを改めている、などと報じていた。
警察は、強姦事件と共に轢き逃げ事件についても、立件し、本格的に捜査を始めた模様ともレポーターが語っていた。
オレはあの雨の夜の出来事を改めて思い返さざるを得なかった。思い出したくもない、忌まわしい出来事。
だが、オレは何をやったというのか。オレは、オレのタクシーに手を挙げた白い影を振り切っただけじゃないか。
あの白い影が、レイプされ轢死帯で発見された白いドレスの女と同一人物だという証拠があるのか。
仮にそうだったとしても、オレは女を乗せなかっただけのこと。それがそんなに悪いことか。
大体、真夜中、山の中で、あんな豪雨の最中、人が、女が飛び出してくるなど、誰が予想しよう。
オレはあんな時間にあんな田舎で、客が、それも若い女が現れるなんて、思いも寄らなあった。オレはのんびり流して帰ろう、仕事じゃなく、半ばドライブ気分で走ろうとしていた。すっかり油断していた。
ラジオの深夜番組で何か好きな曲でも流れてこないか、そんなムードだった。
オレが乗せなかったことで、女は落胆し、絶望し、視界の失われた丑三つ時の雨の中、通りすがりの車に轢かれてしまったのだ。それも、レポーターの話によると、何台もの車に轢かれて、体は見るも無残な惨状になっていたという。
オレが乗せるべきだったのか。そうなんだろう。ただ、オレは轢いてなんがいない。それだけは断言できる。
悶々としながらも、仕事の疲れに体も心もくたくたになっていた。気が付いたら寝入っていた。
ただ、眠りの中でも女のことがオレを責め苛んでいた。夢…。オレは夢だとはっきり自覚していた。
だが、夢から覚めることはできないのだった。
あなた、それでいいの?
いいのって、仕方ないじゃないか。乗せなかったのは悪かったけど、それだけのこと、そんなにオレが悪いのか?
いいえ、わたしが訊いてるのは、そんなことじゃないの。あなた、ホントは乗せたんじゃないの?
え? オレが乗せた? そんなはずは……。
自信を持って乗せてないって、断言できる? あなた、ホントは気づいてるんでしょ? 乗り込んでくる彼女の白い影をバックミラーで観たはずよ。ボロボロの白いドレス。雨に濡れぞぼった長い髪が濡れた顔に裸の肩に張り付いていたのを観たでしょ!
いや、オレは観てない。怖くてそんなもん、見れなかった!
ほらみなさい、乗せてたんじゃない。乗せたこと、気付いてたんじゃない。
いや、オレは後ろは何も見なかった。怖くて、前だけ観ていた。ホントなんだ、バックミラーには黒い影しか写っていなかった。オレは、オレの流儀として、後部座席はお客さんのプライベート空間だと思っている。なので、他のドライバーと違って、バックミラーには客の姿が映らないような角度に調節している。客と話すときも、客の顔や表情を観て、なんてことは一度もしたことがない。
たまに、お客さんに、またお世話になるね、なんて言われることがあるけど、お客さんの方はオレを覚えているけど、オレはお客さんのことは一向に覚えていなくて、お客さんにがっかりさせることがある。声や話題でやっと思い出す始末なんだ。だから、オレは女の白い姿なんて、まったく観てないんだ。
そうだとしても、乗せたことには気づいていたのよね。
← 「白いドレスの女」(監督ローレンス・カスダン) (画像は、「白いドレスの女 - 作品 - Yahoo!映画」より)
分からない。オレは闇の中から浮かんできた白い影にすっかり怯えてしまったんだ。ドアに手が伸びたのはサイドミラーで観て気が付いたけど、怖くて振り切ったと思ったんだ。だから、降りきられた女が、その反動で路上に倒れ込み、精神的なショックもあって、起き上がれず、そのうち、真夜中の豪雨の中、路上の黒い影…道路の亀裂とばかりに、車に次々と引き裂かれていった、そうに違いないんだ。
まだ、そんなこと言ってる。乗り込んだ振動や気配、感じなかったとは言わせないわよ。
……だったのかもしれない。でも、オレは後ろを見る勇気もなかったし、ひたすら前を向いて走っていたんだ。
テレビの報道、観たんでしょ。彼女、レイプされた現場から数キロも離れた場所で轢死体となって発見されたって。そう、どうみても、あなたが車に乗せたのよ。それを、どうやってか知らないけど、それこそ振り切って、車から外に放り出したのね。客席のドアー、開けたんでしょ。ドアに凭れかかっていた彼女、すっかり気が抜けて体を預けきっていたから、突然ドアが開いたら、たまらないわよね。投げ出されるしかなかったわよね。
……オレのせいなのか……。
気が付くと目覚めているようだった。脂汗で体が気持ち悪かった。
…ところで、夢の中でオレを問い詰めた女はいったい誰なんだ。
オレの目をじっと凝視していた女。その女の目線に強さに負けていたとはいえ、オレは女の顔を観ていたはずだ。なのに、顔は白い闇の中に沈んでしまっていて、思い出せないのだ。
オレの車のバックミラーのように、黒い影が揺らめくだけで、白い影の名残りさえ、オレの脳裏に浮かんでこなかった。
オレを捨てた女房? あの白いドレスの女?
(続く…?)
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