見逃した特別展「川瀬巴水—生誕130年記念—」の周辺
→ 川瀬巴水『馬込の月』 (画像は、「渡邊木版美術画舗」より)
さらに会場に貼ってあった大きなポスターは、ほしいなーと眺めていたら、係員の方が、よろしければどうぞと、一枚くれた。
そのポスターも今、持っている。持っているどころか、在宅の場合、その大半の時間を過ごす居間(茶の間)にわざわざ貼ってある。
← 川瀬巴水「東京二十景」より 「芝 増上寺」 (大正14年) (画像は、「川瀬巴水 - Wikipedia」より)
それほど、思い入れのある版画絵師なのである。高橋 松亭(たかはし しょうてい)と並んで好きな近代の版画家でもある。
小生の場合、川瀬巴水が晩年の十年ほどを過ごしたのが東京都大田区ということで、地元の懐かしい風景を描いてくれた絵師としても、思い入れが深い。
→ 川瀬巴水「池上市之倉(夕日)」
参考のため、川瀬巴水が晩年の十年ほどの居住地を示しておく(「川瀬巴水の名作「馬込の月」、大田の風景」より):
川瀬巴水は大正15年(1926)に大森新井宿子母沢(現・大田区中央4-12)に住み、その後、昭和5年(1930)に馬込町平張975番地(現・南馬込3-17、区立馬込第二小学校の裏あたり)に移り住んだ。第二次世界大戦中は那須塩原に疎開したが、戦後、昭和23年(1948)から池上町1127番地(現・上池台2-33 都立荏原病院のそば)に戻り、昭和32年(1957)にこの地で没した。
この頁「川瀬巴水の名作「馬込の月」、大田の風景」には、小生には懐かしい地の風景の版画が幾つも載っていて嬉しい。
← 川瀬巴水「泉岳寺」(昭和6年(1931)1月作) (画像は、「渡邊木版美術画舗」より)
言うまでもなく、川瀬巴水については、何度か本ブログでも扱ってきた。関連の拙稿と併せ紹介しておく:
「川瀬巴水 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 没後50年展」(2007/12/02)
「川瀬巴水 回顧的その心性の謎床し」(2006/10/21)
「浮世絵版画に文明開化:小林清親(後篇)」(2007/12/27)
「織田一磨…消え去りし世を画に遺す」(2007/11/26)
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 庭木の剪定に汗を流した(2023.05.30)
- 雨の休日らしく過ごす(2023.05.29)
- ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム(2023.05.26)
- 蓮でも睡蓮でもなく石蕗です(2023.05.25)
- 「蜷川新右衛門」ゆかりの城跡へ(2023.05.22)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 天才は天才を知る(2023.05.07)
- 月面着陸船 燃料つき落下か(2023.04.26)
- 60年代は<砂>の時代だった ? !(2023.02.05)
- 民謡歌手・中村優の歌に母の歌声を思い出す(2022.12.18)
- ぐったり三昧の一日(2022.10.24)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 歳暮……雪囲い作業やり直し(2021.12.16)
- ハーンのイギリスへ嘗ての中国へ(2020.05.30)
- 山村…古道を歩きたい(2020.05.22)
- 片雲の風に誘はれて(2020.04.09)
- 宇宙をアメリカを思いつつ雨晴へ(2017.11.28)
コメント