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2014/07/24

小川の思い出

 あれは遠い夏の日のこと。そう、夏休みということで、里帰りするお袋に連れられ、お袋の田舎へバスで行った。
 手帳だったか、何かのメモだったか、お袋が頻りに気にしていた。
 何度も何度もメモを確認していた。バスに乗り、富山駅で乗り換え、何処かのバス停でまた乗り換える。
 お袋がそわそわしているのが、ガキだった当時の私にも感じられた。
 でも、その理由が分かったのは、ずっと後になってのことだった。
 というより、当時、私はとんでもない邪推の念に囚われていたのだ。

 お袋は方向音痴というのか、一人で旅行するのは苦手だったのだ。自分の田舎に帰るのだから、間違えようがないようなものだけど、それでも、お袋は、恐らくは父に書いてもらったのだろう、メモの一言一言を幾度も確かめずにはいられなかった。
 まして、小学生になりたての息子を伴っているので、余計に緊張していたのだ。里帰りして、お袋の母や兄妹らとお喋りに興じる場面を思い浮かべる余裕は、ちゃんと田舎の歩き慣れ見慣れた風景に再会するまではまるでなかったのである。

 そんなことなど、当時の自分にはまるで想像が及ばなかった。というより、あの頃の私は自分のことで頭がいっぱいだった。
 私は……そう、ボクは、田舎の兄ちゃんに会うのが怖かった。誰もが優しい兄ちゃんだというけど、ボクにはそんなふうにはまるで見えなかった。いや、みんなと一緒のときは、優しく声を掛けてくれるし、いろいろ気遣いしてくれる。
 疲れたか? お八つ食べるか? 着替えるか? 早速、遊びに行くか?

 ボクはお兄ちゃんの言いなりだった。優しい兄ちゃんに逆らうわけにはいかなかった。お袋は息子共々、無事に家に辿り着いたという安堵感と、両親や兄妹らとのお喋りに夢中になっていた。
 息子のほうは、お兄ちゃんの役目だと、数年の慣習で、自然と決まっていた。
 ボクはお兄ちゃんに誘われるがままに、二人して外へ遊びに行った。

 R村は、街道にほど近い大きな村だった。田圃や畑がどこまでも広がっていて、その間に人家が数軒、方々に寄り添うようにして散在していた。
 礪波などの散居村とは違って、数軒の農家が塊となり、その周りを杉などの巨木が取り囲んでいた。遠目には、一軒の家を樹齢数十年の杉並木が守っているようにも見えたかもしれない。
 散在する家々の塊を農業用水でもある小川が数珠を繋ぐ糸のように流れていた。

 小川は、幅にしたら一メートルもない。ただ、やたらと深い。
 少なくともガキだったボクには深く感じられた。雑草の生い茂る土手を降りると、ボクなどすっぽり埋もれてしまう。小川の流れは、時期によって急だったりすることもあるけど、梅雨が明けて、雨の季節が一段落すると、ゆったり緩やかに流れるのだった。

 お兄ちゃんは、何より、小川の獲物探しに熱心だった。
 季節によって違うけど、ドジョウ、ザリガニ、フナ、タニシといろんな獲物が取れた。
 別に釣竿を使ったりするわけじゃない。ザルやカゴなどで小川のあちこちを掬うだけだった。
 フナなどは、小川の土手で焚き火を起こして、串刺しにして火に炙り、むしゃむしゃと喰うのだった。
 兄ちゃんは、ちゃんとナイフを持参してきている。それとも、普段から持ち歩いていたのだったか。
 そのナイフでフナをさっさと捌いて、近くの竹林から手ごろな竹を折り取り、即席の串を作る。慣れたものだった。

 同じく農家育ちのボクだったけれど、ボクの町では、そんな真似はしたことがなかった。
 ボクは、近所の魚屋さんが行商して来る魚ですら、生臭く感じられて、お袋、どうしてそんなもの買うのかな、それよりカレーとか玉子焼きとか、お肉とか食べさせてくれないかなと思うような奴だった。
 魚だったら、フライとか天麩羅とか刺身くらいなら、どうにか我慢できる……。
 釣った魚、ましてボクの目にはドブ川とさして違わないように見える川から採った魚をその場で食べるなんて、信じられないのだった。

 お兄ちゃんは平気だった。当たり前のことだった。採れたての獲物を、さすがに生ではないけれど、火を熾して食べるのは、子供の特権とばかりにやっていた。
 ボクもそれを楽しんでいると、心から信じ込んでいるようだった。ボクはお兄ちゃんに逆らえなかった。
 フナをむしゃむしゃ喰う兄ちゃん。ボクのほうはといえば、内心、恐る恐る食べていた。
 どうや、さすがに醤油や塩はないけど、さっぱりして美味いやろ!
 ホクホクしながら、ドンドン食べる兄ちゃん。ボクも負けずに、勢いで食べていた。

 フナは不味かった。美味しいと思ったことは一度もなかった。白身の魚は醤油を垂らさないと口に合わない。
 でも、兄ちゃんの前では、そんな不平は口にできない。
 それより、いかにも田舎者らしい兄ちゃんの好きそうな、野趣溢れる、豪快な雰囲気を堪能するしかないのだった。

 フナの腸から目を背けるのが、これまたボクにはできない。見なきゃいいのに、そっちばかり見る。どうせ捌いてくれるのなら、腸なんて、小川にさっさと流してくれればいいのに……。
 生臭い匂いが暮れなずむ夏の空を黄色っぽく変えていた。フナ特有の匂いなのか、それとも、腸の匂いなのか、あるいは、ザルのタニシやザリガニの泥の放つ匂いなのか。
 ボクの中では、兄ちゃんは泥臭いフナの匂いと一緒だった。お坊ちゃまってわけではないけど、何処か甘やかされて育ったボクには、兄ちゃんは畏敬の対象というより、野蛮な存在でしかなかった。

 貴重な体験をさせてもらっていたのだと、今にして思う。でも、当時のボクにはたまらなく嫌なバッカスの祭りに過ぎなかった。
 もしかして、嫌なものを嫌と言えない自分に辟易していたのかもしれない。
 自分を押し殺して、野趣を思いっきり楽しんでいると、無理やり演じている自分が嫌だったのかもしれない。
 それどころか、当時ボクは、お袋のことさえ猜疑心で観ていた。お袋は、ボクがこんな苦しい思いをしていることにもしかして気付いているんじゃないか、分かっていて、わざとこんな野蛮な体験を強いているのではないか……。

 ボクは、<真実>を確かめる勇気はなかった。もっと素直にお兄ちゃんの好意を受け入れることがどうしてできなかったのか。なんて、今さら反省しても、追い付かないのだけれど。

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