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2014/07/03

富山市の地貌 再び

 富山の街並み。帰郷して6年余りとなるが、どうにも印象が薄い。綺麗な町。道路も幅広いし、ゴミが落ちていることも少ないし、一戸建ての庭付きの家が多いせいか、小さな緑が市の中心部でも方々で目にすることができる。
 それでいて、緑が濃いという印象を受けないのは何故だろう。

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← G・ガルシア=マルケス/著『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』(木村榮一/訳 新潮社) 「大のスピーチ嫌いで知られるこの作家が、生涯に22回だけ、文学、友情、軍隊、独裁者、教育、ジャーナリズム、祖国、ラテンアメリカ、世界人類が抱える切実な課題を、具体的なエピソードと数字を挙げて、真摯かつ自在に壇上から語りかけた」。今日から読み始めた。(画像は、「G・ガルシア=マルケス 木村榮一『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』|新潮社」より)

 無論、ちょっと車を走らせると、山の緑に包まれることができる。緑が足りないなんて、そんなことは断じてない。
 問題は市の中心部である。たとえば、高岡市だと、中心部に古城公園がある。緑が濃いし、公園も大きい。

 翻って富山は、富山城があるし、城址公園の整備も大分、進んできた。
 だからこそ、木々は植えられたばかりで、鬱蒼と生い茂った森…とは到底、いかない。
 松川沿いや神通川沿いには樹齢60年以上の桜などの並木が、それは立派である。
 戦後、平和を祈念して植えられたもので、県庁前の噴水公園も綺麗である。

 富山は上記したように、ちょっと車を走らせると、緑深い山があるし、市街地からは立山連峰の雄姿も遠望でき、自然が豊か…のはずなのである。田圃や畑も富山駅から遠くない地域に広がっている。
 なぜ、市の中心部で緑の印象が必ずしも強くないのか。それは、戦後餓えられた樹木が圧倒的に多く、戦前からの古木が少ないからなのかもしれない。

 戦時の空襲で市街地や沿岸部を中心にほぼ全焼したのだ。家屋はもちろんだが、寺社の樹木も。
 そう、市の中心部に緑の印象が薄いのは、本来は鎮守の杜(もり)などの樹木が極めて乏しいことにありそうだ。
 寺社の大半は戦災で焼失し、本殿も含め戦後の建築。寺社を囲む森や林も皆無に近い状態になっている。
 市街地の喧噪を一歩、寺社(などの)境内に足を踏み込むと、そこにはまるで違う世界が広がっていて、世間の雑事を一瞬でも忘れられる…なんてことが富山市ではほとんど経験できない。
 寺社の周りに樹木が並木となって囲んでいる事例はないではないが、ちょっと大き目な民家の庭ほどにも鬱蒼としているわけではない。

 寺社に限らず、樹齢百年を超すような木々の林立する一角というのは、人の気持ちを和ましたり、厳粛にさせたり、瞑想に耽らせたり、とにかく、違う空気の世界へいざなってくれるのだ。

 高層ビルの林立するという印象の強い東京のですら、「上野恩賜公園、井の頭公園、石神井公園、小金井公園、代々木公園、葛西臨海公園、旧古河庭園、有明テニスの森公園、夢の島公園、駒沢オリンピック公園、砧公園」など、そんな区域が方々にある(「東京の公園ガイド|TOKYOおでかけガイド」参照)。

 念を押しておくが、あくまで市街地のことを話している。
 富山市は戦災で名所旧跡も含め、残っていたら歴史と伝統に触れられていたはずの建物や、さらには森が失われてしまった、だから仕方がない、…のではあるが。
 森や林はともかくとして、起伏の少ない土地柄。幾度となく襲った洪水や氾濫でできた扇状地、そのど真ん中である富山市の市街地。平坦なのはやむを得ない。

 東京が(大方の予想や先入見に反し)坂の町でもあって、そのことが戦災にも関わらず残っている古い町並みと相俟って、奇妙に入り組んだ、時に迷路のような地貌を織り成している。
 ないものねだりはしても仕方がない。では、富山の町の地貌を面白くするにはどうしたらいいのか。答えはほんの糸口すら、皆目、掴めていない。


関連拙稿:
富山に地貌を
富山市の地貌

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コメント

やいっちさん、変換ミスを見つけてしまいました。
おそらく、「問題は市の中心部である」となるはずでしょうが…。
富山の歴史には詳しくないです。
激しい空襲があったのですね。
歴史的建造物や寺社、緑が破壊されただけでなく、尊い人命もたくさん失われたのでしょう。
その爪痕に気づかない人がたくさんいるような気が。

投稿: 砂希 | 2014/07/05 19:52

砂希さん

誤字の指摘、ありがとうございます。早速、直しておきました。

富山市は、単位面積当たりの空襲の激しさは、全国でもトップクラスだったとか。
小生が小学生の頃(昭和30年代半ば)は、まだ戦災の爪痕が残っていたっけ。我が家の蔵の壁にも、アメリカの戦闘機グラマンにより父が機銃掃射を受けた弾痕が残っていた(今もかもしれない)。

我が家は当然、全焼です。というか、地域がほぼ消滅。
三千人の人が亡くなったとか。
以下にもあるように、「当時の市街地の99.5%を焼失し、広島、長崎への原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった」のです。


参考:富山大空襲
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2


投稿: やいっち | 2014/07/05 21:53

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