バロウ著の『無限の話』の周辺
ジョン・D.バロウ著の『無限の話』(松浦俊輔訳 青土社)を読み始めた。
5年ほど前、図書館で見つけて、早速借り出して読んだことがある。一読、気に入っていて、いつかは手元に置いておきたいと願ってきた。
そのささやかな夢が、つい最近、実現したというわけである。
→ 裏庭にひっそりと紫陽花。日陰だからか、未だに一輪しか咲いてくれない。
小生は、本ブログでも幾度となく書いているように、バロー(バロウ)のファン。どの程度、理解が及んでいるか、我ながら覚束ないが、面白いんだから仕方がない。
本書については下手な感想などを書く野暮は避けておく。
前回、読んだ時にそうしたように、本書で引用されている、気の利いた文言を幾つか転記してしめす。
多くは、きっとどこかで目にしたことがあるに違いない。
← 種を蒔いてあったヒマワリ。こんなに立派に育ってくれました。
その前に、これも前回の記事で示したが、「ホテル無限大へようこそ」という章の扉の、一読すると、不可解な内容の一文を読んでいただこう:
三人の男がホテルに入る。それぞれ一〇ドルずつ持っている。三人は、一泊三〇ドルの部屋を一つとる。しばらくして、本社からホテルにファックスが届き、一泊二五ドルにするよう指示がある。そこでフロントはベルボーイに五ドル渡し、これを一部屋に泊まった三人に渡すように命じる。ボーイは三人からチップをもらってないし、五ドルを三人に分けることもできないので、二ドルは自分でもらい、三人には一ドルずつ渡す。すると、三人は九ドルずつ払ったことになり、ボーイが二ドルもらっているので、全部で二九ドルになる。もう一ドルは、どこへ行ったのだろう。
――フランク・モーガン
さて、以下、ウイットに富んだ含蓄のある言葉の数々を示す:
人が頭がいいかどうかは答えでわかる。賢いかどうかは問いでわかる。
――ナギブ・マフフーズ
一粒の砂に世界を、
野の花に天を見て、
手のひらに無限を、
いっときで永遠をつかむ
――ウィリアム・ブレイク
あまり長い間深みを見つめていると、その深みがこちらを見つめ返してくる。
――フリードリッヒ・ニーチェ
私はかつて天を測り、
今は地球の影を測る。
私の心は天にあり
今は私の体の影がここにとどまる。
――ケプラーの墓碑銘
かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
――「コヘレトの言葉」(「伝道の書」)
この手紙を発掘するまでは、本が無限だなど、どうしてありうるのかと思っていた。推測できたことといえば、周期的、あるいは循環的な本で、その最後の頁が最初の頁と同じになっていて、どこまでも進めるのではないかということだけだった。『千夜一夜物語』の中の、シェヘラザードが、千一夜の話をあらためて逐一同じに話しはじめる(筆録者の何かの魔法のような妖気を通じて)夜のことを思い出す。この話をする夜にまたたどり着くことになる――そしてそこでまた同じことになって永遠に繰り返される――危険がある……ほとんど一瞬にして私はそれがわかった――岐路の庭はカオス的な小説なのだ。「いくつかの未来(すべてではない)」という言葉は、私には空間的にではなく、時間的に枝分かれしているイメージを呼んだ……そのたびに、人は枝分かれする選択肢に遭遇し、一つを選び、それ以外を除去する。崔奔の作品では、登場人物は――同時に――すべてを選ぶ。それによって、「いくつかの未来」、いくつかの「回」を想像し、それがまた増殖し枝分かれする。……知らない誰かが[憑(フォン)の]扉をノックする。……もちろん、いろいろな結果がありうる――憑は侵入者を殺すかもしれないし、侵入者が憑を殺すかもしれないし、どちらも生きられるかもしれないし、どちらも死ぬかもしれない。崔奔の小説では、すべての結果が実際に起きる。それぞれがさらに枝分かれするための出発点となる。そのうちその迷宮の道が集まってくる。たとえば、あなたはこの家にやってくるが、ありうるある過去では私の敵であり、別の過去では味方だ……
互いに近づき分かれ、切り取られ、あるいは単純に何世紀も知られない時間の織物は、すべての可能性を含んでいる。その時間のほとんどでは、われわれは存在しない。ある時間では、あなたは存在しても私はいない。私が存在してあなたがいない時間もある。さらには、両方がいる時間もある。今いるこの時間では、偶然の手が私を存在させ、あなたは私の家に来た。あなたが庭を抜けて来ると、私が死んでいるのもある。またある場合には、私は同じことを言っても、誤り、幽霊だ……時間は、永遠に、無数の未来へ枝分かれする。その一つでは、私はあなたの敵だ。
――ボルヘス「八岐の園」

← ジョン・D.バロウ著『無限の話』(松浦俊輔訳 青土社) (画像は、「楽天ブックス 無限の話 - ジョン・D.バロウ - 4791762584 本」より)
神は過去を変えられないが、歴史家にはそれができると言われたことがある。もしかすると、神が歴史家の存在を許容しているのは、この点で神にとって役立ちうるからかもしれない。
――サミュエル・バトラー
(「無限の話の周りをとりとめもなく」(2009/04/08)より)
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