待ちぼうけ
あの日、オレはガラス窓の外を眺めていた。雨が降り続いていた。雨 だから相手は来ないのかもしれない、なんて思ってもいたような気がする。
すっぽかされたと思いたくなかったのかもしれない。
日中なのに雨天のせいか薄暗い外を行き交う人影を追っていた。裏通りなので、たまにしか通らない車を初めて見る異物のように飽くことなく眺めていた。
路肩に落ち零れた枯れ葉が雨に打たれて、小刻みに震える。鞭打たれる女の姿態。
そのうち、枯れ葉が雨水に少し流された。
葉っぱの下から蝉の屍骸が現れた。夏の容赦ない陽光に灼かれて、 中身の涸れ切った骸。抜け殻だけが蝉の形を辛うじて残している。殻が、なんだか意地を張っているように見える。
そんなに突っ張らないで、あっさり蕩け去ってしまえばいいのに、コンクリ ートの壁面に踏ん張って、命の影の形をこの世に遺そうとしている。
雨よ、早く、蝉の抜け殻をドブの中に流し込んでくれ、オレの目の前から消 し去ってくれ。
なのに、葉っぱと一緒になって空疎な骸は惨めさを誇張するのだった。
目を背けたかった。でも、それができない。窓の外に、きっと誰かの影が立つに違いないから? そうじゃないのだ。意地を張っているのは虫の屍骸では なく、オレのほうなのかもしれない。窓の外を眺めるのをやめたら、あとは一 体、どうしたらいいのか、分からなかったのだ。
そうだ、道の向こうの理髪店の前に置いてある観葉植物を眺めればいいのだ! それとも、クルクル回る青と赤と白の看板を眺めるのもいいかもしれない。
窓外を眺める姿勢を崩せないでいるオレは、不意に面白い現象に目を奪われ た。視線の下を何か黒い影が過(よぎ)ったのだ。
(ん? 虫でも飛んできた?)
が、テーブルの上には白いコーヒーカップ&ソーサーと文庫本とミルクポッ ト以外には何もなかった。カップには三杯目のコーヒーが僅かに残っている。 それもすっかり冷めている。
(飲み干そうか、それとも、もう少し待とうか)
文庫本にはオレのお気に入りの書店のカバーを被せてある。何処の本屋で本を買おうとも、カバーだけは、某店から貰ったベージュ色の紙のカバーと決めているのだ。
すると、そのカバーの上を黒い影がまた一瞬、現れては消えていった。それはまさに影であって、周辺には何処にも影の実体などありそうになかった。
すぐに影の正体は知れた。考えるまでもなかった。影は、窓ガラスを伝う雨粒の悪戯に過ぎなかった。
時折、店の入り口にざわめきを感じる。誰かが去っていくのかも知れないし、 誰かがやってきたのかもしれない。でも、オレは見向きもしない。見る度、違 う人だったから、もう、騙されたくない、失望したくない、待ち設けている相 手だったら、先方から声をかけてくるに決まっているのだし。
だから、オレは、断固、窓の外を見詰める!
オレは無理やり、ガラスについての聞きかじりの薀蓄を脳裏に浮かべてみよ うとする。数千年の昔、エジプトかメソポタミアの遺跡から発見された世界最 古のガラス玉、世界で初めて固くて透明な物質を作り出した奇蹟に遭遇した人 は、どんな衝撃を受けたことだろう。
それでも、それは完全な無色透明なるガラスではなかった。だからこそ、ステンドグラスという形、ベネチアングラスという造形が発達した。
やがて、それがボヘミアンガラスとなり、さらに鉛クリスタルの発明に繋がっていった。
オレはガラスが好きなのだ。透明だから? まさか。ま、それもありだけれど。じゃ、割れるから? それもそうかもしれない。
でも、オレが一番好きなのは、手吹きガラスである。職人の手でガラスの塊 に命が吹き込まれ、一気に形となる。そうして出来た器というのは、まさに命 の形に思える。
変幻自在に生まれたガラス器を眺めていると、オレは見飽きることがない。
オレは、いつの日か、雨粒をその形のままにガラス器に写せたらと思ったりする。
雨滴が窓を叩く。弾けて散って飛び去っていく。雨滴には出会えない。せいぜい、窓枠の上から滴る雨水の流れを追うことができるだけだ。
一様な、それこそ工業生産されたガラス窓は磨き抜かれているはずなのに、 店の人が窓拭きに精を出しているはずなのに、雨粒にすればでこぼこの、排気 ガスや埃に塗れた、障害物が一杯の砂利道なのだろう。
伝い下りてくる雨水は、曲がりくねり、時に止まって行末を案じ、やがて、 意を決したかのように一気に流れ下り、また、何処かで進行を躊躇い、淀んだ水溜りに身を没してしまう。
窓外の風景がゆがむ。ひずむ。狂う。乱れる。全てが夢のようにも思える。 そうだ、夢なのだ。待ちぼうけを喰らうオレなんて、そんなことがあってたまるものか。
オレは、夢の中の窓ガラスとなっていた。透明なのに、厚みが方々で違うた めか、それとも、表面を雨の水が這っているために、局所的に撓んだように思えるのか、そのガラス窓を通した世界は、全てが滲んで見えるのだった。
(終わりなのかもしれない)
そんな呟きも、雨音に掻き消される。たとえ終わりだとしても、世界が終わるわけじゃない。オレの小さな世界が崩れ去っていくだけなのだ。世界は、大凡において続いていく。何事もなかったように今日のように明日も移り変わっていく。オレの心を呑み込んで、濁流のようになって、それだからといって、今日とは違う光景を明日、 見せてくれるわけでは決してない。似たり寄ったりの明日が待っている。
変わり果てているのはオレの心だけなのだろう。
雨は性懲りもなく降り続いている。そしてオレも、依怙地になって窓際に坐 って窓外を眺めている。
他に見詰める何もないかのように。
暮れなずむ空を眺めていて、ハッとオレは気づいた。待ち合わせの店を間違えていたことに。
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コメント
そういうオチってアリ??
でも、救われるラストですね。
続きはどうなるんでしょう。
店を出て、正しい場所にたどり着き、彼女に会えたのですか。
雨に打たれる枯れ葉が、鞭打たれる女の姿態だなんて、考えたこともありませんでした。
そういわれれば、そうですね。
他の方の文章を読むと、視点の違いが勉強になりますよ。
投稿: 砂希 | 2014/07/12 20:31
砂希さん
この短編は、十年前に書いたもの。
ラストは、今回、アップするに際し、付け足したもの。
今回、読んで、主人公の心境の吐露があまりに惨めったらしく、窮屈なので、ちょっと揶揄気味な滑稽味を加えたくて、ラストを付け足しました。
こうすることで、次への展開の可能性も開けるし。
小生としては、踏切の音 http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2014/07/post-cf07.html
のほうを読んでほしかったな。新作だし。
投稿: やいっち | 2014/07/13 23:07