「さらさらと」をさらっと
道綱母の日記『蜻蛉日記』を読んでいたら、「さらさらと」という言葉に出会った(再会した…なのかな)。
言うまでもなく(?)、中原中也の詩集『在りし日の歌』「一つのメルヘン」での印象的な用法を連想したのである。
← 春の小川 (画像は、「春の小川 - Wikipedia」より)
せっかくなので、「さらさらと」という言葉の使われている作品を幾つか、串刺ししてみた。
他意はない。ただの好奇心の営為である。
「さらさら」には、大きく二つの語義がある。一つは、漢字で書くなら更々で、 「(あとに打消しの語を伴って用い)少しも。決して」の用法。
もう一つは、やはり副詞だが、擬音語的に使われるもので、「1 物が軽く触れ合う音を表す語。「風が笹の葉を―(と)鳴らす」 2 浅い川の水がよどみなく軽やかに流れるさま。「小川が―(と)流れる」 3 つかえずに軽快に進むさま。「―と署名...」というもの(「「さらさら」と一緒に使われるキーワード - goo辞書」より)
本稿では、擬音的用法に焦点を合わせる。
以下、例を幾つか挙げてみる。
小生、中原中也の詩集『在りし日の歌』「一つのメルヘン」での印象的な用法を連想した、などと書いたが、例を物色してみたら、『春の小川』なんて文部省唱歌がネット検索では筆頭に浮上した。
実際、思い返してみると、「春の小川」は、「春の小川はさらさらいくよ 」という印象的な歌詞とメロディで脳裏に深く刻まれていたのだった。
中原中也もこの文部省唱歌を歌ったのだろうか…?
「春の小川」 作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一。春の小川はさらさらいくよ
岸のすみれやれんげの花に
すがたやさしく色うつくしく
咲けよ咲けよとささやきながら(1912年に発表された文部省唱歌 「童謡・唱歌 春の小川 歌詞」より)
「一つのメルヘン」秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。陽といっても、まるで珪石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
(1930年代後半(夭逝した彼の晩年)の作。「中原中也『在りし日の歌』「一つのメルヘン」」より)

→ 「富山県富岩運河環水公園」 画像は、小生が帰郷した2008年に公園を散歩した際に撮ったもの。
空を見れば月はいとほそくて、影は湖(うみ)のおもてに映りてあり。風うち吹きて湖のおもていとさわがしうさらさらとさわぎたり。
(『蜻蛉日記中 天禄元年七月』より)
浜際ニ立浪、打寄スル様ニサラサラト懸ル音ノ
(『今昔物語集』二六ノ一二 波音を表す擬音語。サラサラとの初出?)
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