「問はず語り」…桂宮家つながり?
過日読了した道綱母著の「蜻蛉日記」に味をしめたわけではないが、今日から『問はず語り』(玉井幸助校訂 岩波文庫)を読み始めた。
← 『問はず語り』(後深草院二条/玉井幸助校訂 岩波文庫) (画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)
昔から古文は苦手。本書は、各段毎に大意(粗筋)は示してあるものの、読み下し文があるわけじゃなく、ほとんど文意を掴めなかったりする。
でも、感じや雰囲気だけでも。
本作品の凄味を端的に知りたいなら、「967夜『とはずがたり』後深草院二条松岡正剛の千夜千冊」が非常に参考になる(無論、「とはずがたり - Wikipedia」も!)。
まずは、「『とはずがたり』は、鎌倉時代の中後期に後深草院二条が綴ったとみられる日記および紀行文」のこと。高校の授業でも、ほとんど扱われなかった…はず。
「967夜『とはずがたり』後深草院二条松岡正剛の千夜千冊」にあるように、まず巻1がドラマチック。小生など、ほとんど文意を読み取れなかったにも関わらず、この第一巻にしびれた:
作者は14歳のときの文永8年(1271)に後深草院の寵愛を受けた。すでに4歳から院の後宮に上がっていた。
翌年、作者は父親を失う。母親は2歳のときに死んでいた。両親を失った悲しみと寂しさからなのか、その年、作者は以前から慕っていたらしい「雪の曙」という男性と交わってしまう。ところがその翌年の文永10年、後深草院の皇子を生んだ。それだけではなかった。作者は後深草院にはいつわって、雪の曙とのあいだの女児も生んだ。雪の曙は理解を示して、この子を引き取って自分の妻に育てさせる。
けれどもそこに悲報が届いた。皇子がわずか2歳で死んでしまうのである。作者はもはや出家するまでと覚悟するが、その決断がなかなかできないでいる。
ここまでが巻1の出来事になる。
小生はまだ巻1を読みかけで、先の話については語らないが、ただならぬ人生を感じさせる。
「967夜『とはずがたり』後深草院二条松岡正剛の千夜千冊」でも、「とはずがたり - Wikipedia」でも指摘されているが、「。二条の告白として書かれているが、ある程度の物語的虚構性も含まれると見る研究者もいる」という。特に「源氏物語」が意識されているようだ。
が、息の詰まるような人生を日記に綴りつつ、そこに物語的虚構性を構築することで、息抜きというか、苦しい喘ぎの息をしていたような気もする。
さて、本書。「写本として今日ただ一本だけしか伝わっていない」。
内容は、「後深草院に仕えた女房二条の14歳(1271年)から49歳(1306年)ごろまでの境遇、後深草院や恋人との関係、宮中行事、尼となってから出かけた旅の記録などが綴られている」もので、1300年頃に成立したと見られている。が、著作後、長くその名さえも知られずに時が過ぎた。
そもそも、「問わず語り」が公開されたのは昭和二十五年、宮内庁書陵部蔵の唯一の写本が活字本として刊行せられた時」なのだ(本書の解題より)。
→ 夾竹桃がいよいよ繁茂。この生命力は何処から来るのか。
それもそのはず、校訂の玉井幸助氏が、「昭和二十五年に初めて問わず語りを読んで、わが国の古典の中に、こんな大胆な現実暴露の文學があったことを知って驚いた」ほどのものなのである。
上記したように、「写本として今日ただ一本だけしか伝わっていないというそれは、「桂宮家旧蔵本として現に宮内庁書陵部に襲蔵せられ」ている。
過日、「桂宮さま「斂葬の儀」行われる」(NHKニュース)といったニュースがあった。
桂宮さまつながりということで、この話題を採り上げてみたのである。
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