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2014/06/16

ワールドカップあるいは共生を証しするスポーツの祭典

 連日、2014ワールドカップ(ブラジル大会)の試合を観ている。全試合というわけにはいかないが、それでも地上波で放送されているものは可能な限り。
 予選に出場しているどの国も、第一戦目を終えたところ。

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→ ホタルブクロ…だろうか、夕方、庭を見て回ったら、ちょっと人目につかない奥にひっそりと。

 日本は惜しくも…と云いたいが、圧倒的な差を見せつけられて、2対1という点差以上の負け方をした。
 その日は仕事だったが、幸か不幸か仕事が暇で、車中で試合のほぼ全体をテレビ観戦することができた。
 そして、試合が終わって、単に負けた以上の落胆というか失望を覚えた。

 一人の選手(ドログバ)の登場で、試合の局面が一気に変わり、あっという間に逆転される、その惨状。
 雨や湿気で疲労困憊していたとはいえ、動けない日本選手に歯がゆさを覚えるばかり。同時に、前線で戦えない、戦わせてもらえない惨めさ。! と言いたい。

 ところで、日本以外の国の戦いも幾つかは実況で見ることができた。スペイン対オランダ、スイス代表対エクアドル代表など。
 無論、他の国の戦いもダイジェストで。

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 見ていて、当たり前ながら、どの国の選手も監督やコーチ、スタッフ、サポーターも懸命だし必死だったりる。
 単にスポーツを観戦している…なんてもんじゃない。
 日本のサポーターたちもだが、各国のサポーターたちも真剣なまなざし。選手たちはそれこそ、体を削り合うようにして戦っている。
 自分自身の名誉や誇り、勝利への渇望、応援する国民の目、試合後の待遇、何もかもがないまぜになっている。
 国の名誉を背負っている。戦いぶりを観ていて、当たり前な話だけれど、ナショナルな情熱が燃え盛っている。
 我が日本に寄り添えば(寄り添わなくても)、日本が負けるはずがない、第一戦は仮に負けても、これは次以降のドラマのための伏線だと思ってしまう。

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 一方、他の国同士の戦いを見ていると、どっちの国の代表選手だろうと、感情移入というのか、どっちの国にも勝ってほしい、負けてほしくない、などと思ってしまう。
 どの国もどの代表選手も、熱い思いで戦っているのだ。自分の国が悲劇に見舞われるなんて信じられないし、信じるはずもない。負けても、これはいつの日かの倍返しのための辛い試練なのだと思う、誓う。
 自分の国を信じる、自分の国だけは特別だと思う。それはどの国のどの民族の代表やサポーターも同じように感じている。

 沸騰するナショナルな熱情。宗教や民族や国家や歴史や伝統や仲間や。
 自分の信じ属する集団だけが唯一絶対だという、穢れなき無謬神話。

 ここにこそ、ギリギリの瀬戸際がある。自分が唯一絶対なのは、それはそうなのだが、相手も同時に掛け替えのない絶対者なのだという尊重の気持ち。
 幾つもの唯一絶対が並び立つ世界、それがワールドカップなのだ。

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← 相変わらず名称不詳の樹木。ウルシ科らしいのだが。ドンドン成長する。

 いつか、国の代表じゃなく、それぞれの宗教(宗派)や民族などの代表が集まって催される、信念と信仰のワールドカップが行われたらと思う。それぞれが絶対。それぞれが唯一無二。それが摩訶不思議にも共存し共生する世界の素晴らしさを体感できるかもしれない…なんて夢を見てしまう。
 各国の代表たちの戦いぶりを観ていて、ふと、そんなことを夢想したのだった。

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