« たとえ低線量でも、放射能は無視できない | トップページ | 山の版画家・畦地梅太郎の世界 »

2014/05/19

『黒部の山賊』の世界!

 今日も富山は快晴無風。帰宅が丑三つ時と、比較的早かったので、日中は早めに起きることができた。
 読書…と行きたいところだが、庭仕事に精を出した。

800pxmount_kasa_from_mount_suisho_2

→ 「三俣蓮華岳」 標高2,841mの山。 (画像は、「三俣蓮華岳 - Wikipedia」より)

 ホームセンターで砂利などを購入し、庭の通路などに撒いた。あと何回、同じ作業を繰り返したら、一連の除草剤無用の庭作りが完了となるのか。登山で言えば、やっと五合目ほどか。先は長い。
 ま、気長に続けていくしかない。

 作業を終えてシャワーを浴び、洗濯。ようやく一服。読書…のはずだったが、疲れ果てて寝入ってしまって、寝ては起きを繰り返し、夕方五時過ぎになってやっとホントに目が覚めたような。
 ミネルヴァのフクロウ?

 自宅では、伊藤 正一著の『定本 黒部の山賊 アルプスの怪』(山と溪谷社)を読み始めている。

800pxmount_kurobegoro_from_mount_ya

← 槍ヶ岳から望む三俣蓮華岳周辺の山。 こんなところを踏破する人間の気持ちが知れない。畏怖するばかり。まして、生活している! (画像は、「三俣蓮華岳 - Wikipedia」より)

 昨日も転記したが、「北アルプスの最奥部・黒部原流域のフロンティアとして、長く山小屋(三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋、湯俣山荘)の経営に 携わってきた伊藤正一と、遠山富士弥、遠山林平、鬼窪善一郎、倉繁勝太郎ら「山賊」と称された仲間たちによる、 北アルプス登山黎明期、驚天動地の昔話」といった本。
 小説じゃなく、実話。昔語りである。

 小生は、山は、それこそ、立山や富士山には上ったことがある。立山黒部アルペンルートの周遊の経験もある。黒部ダム(第四発電所)へも一度ならず、訪ねたことも。ずっと麓ではあるが、有峰湖の湖畔の宿に泊まったことも。
 でも、山岳地帯に足を踏み入れたことはない。
 父は若い頃、山登りに熱中したことがあった。寝室の押入れの奥に、登山靴など装備品が仕舞われていたっけ。

800pxmount_suisho_from_mount_jii_20

→ 「水晶岳」 標高2,986 m 別名は、黒岳 (画像は、「水晶岳 - Wikipedia」より)

 一方、小生は、オートバイでのツーリングに財産を傾けた。
 山は、海と同様、小生には敷居の高い領域。地図で山岳地帯を眺めるだけで、気が遠くなる。想像力の貧困な小生でも、山道…道なき道の山岳を踏破する厳しさのほんの一端は感じる。
 ツーリングでさえ、雨の中、雪道、風の日だったりすると、長く走っている間に、寒さと恐怖に怯え耐え辛抱を強いられる。

 それが、山の中となれば、ビバークするといっても、簡単じゃなかろうし、想像するだけで怖い。

Img_main_mitsumata_2

← 「三俣山荘」 「三俣山荘は北アルプスの最奥部、黒部源流の稜線上、鷲羽岳と三俣蓮華岳の鞍部に位置」する。稜線の一角にへばりつくように建つ山荘。昔の小屋は、吹き荒れる強風に吹き飛ばされることもあったとか。こんなところに暮らす! (画像は、「三俣山荘 北アルプス黒部源流 三俣山荘・雲ノ平山荘・水晶小屋」より)

 富山市の中心を車でうろうろする毎日だが、天気がいいと、立山連峰の雄姿が目を楽しませる。
 美しい。険しささえもが心底を揺るがすほどの高貴さを醸し出している。
 そう、遥か麓から高峰をただ眺めやるだけなのである。
 恩恵のほんの一端、お零れを頂いているだけ。


|

« たとえ低線量でも、放射能は無視できない | トップページ | 山の版画家・畦地梅太郎の世界 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

社会一般」カテゴリの記事

富山散歩」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『黒部の山賊』の世界!:

« たとえ低線量でも、放射能は無視できない | トップページ | 山の版画家・畦地梅太郎の世界 »