ワンちゃんから「蜻蛉日記」へ
あと、心配なのは、雪。布地のカバーでは、積雪に持たないだろう。まあ、その時はその時。除雪するか、カバーを外すか、追々考えていく。
一昨日、自宅で読んでいた、ジョン・ホーマンズ 著の『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』(仲 達志 訳 阪急コミュニケーションズ )を読了した。
「ニューヨーク誌のジャーナリストがラブラドールの雑種である愛犬ステラとの出会いから、その出自を追って世界中の研究者や犬にたずさわる人びとを取材したノンフィクション」とある。
← 太田匡彦著『犬を殺すのは誰か』(朝日新聞出版) (画像は、「犬を殺すのは誰か-太田匡彦-朝日新聞出版-独断でおすすめの1冊」より) 文庫版も出たらしい。「売れ残った子犬を冷蔵庫に入れて殺すペットショップ。違法業者たちがはびこるオークション販売。そして「飽きてしまった」という身勝手な飼い主たち。ペットブームの水面下に潜む「犬ビジネスの闇」に厳然と迫る。動物愛護法改正の舞台裏を大幅加筆」。「本書は、動物愛護法改正のうねりをつくった」とか。
興味深い事実も知ったが、やや記述が冗長。ジャーナリストらしくない。
大雑把な下書きを編集者が奇術のだぶりや冗長な記述の部分を削ぎ落とすはずが、そのままに本になったという感じ。
犬が放し飼いから、家の庭に、ついには家の中で飼われるようになったのは、欧(米)では、18世紀の前半らしい。徐々に犬との共感関係を築き上げ始めた。イヌにも、人間と交歓する心があると気づかれ出したのだ。
犬が役に立つ動物であるだけじゃなく、また、ともすると食用に供される、野良犬扱いの獣から、家畜へ、飼い犬へ、ペットへ。
ドストエフスキーの『罪と罰』の中に、虐待される馬を巡る有名な個所がある。
→ 裏庭を車道から覗き込んでみると。瓦チップを撒いた、珍しい庭。
主人公の夢の中の場面として描かれるが、恐らくは実体験がもとになっている、少なくとも、実際に遭遇した場面なのだろう:
彼が7歳の時、お祭りの日の夕暮れ近く父と一緒に散歩していました。
小さな痩せた百姓馬が大きな荷馬車をひいていました。ミコールカ(注1)という御者が皆に「乗れ、乗れ」と大声で叫んでいます。
大勢の農夫が乗って囃し立てる中、馬は走るどころか、ぜえぜえ息を切らしてもがいています。
御者は鞭を何度もふるいますが、やがて狂気のようになって棒で打ちのめし始めます。
「まだ生きてるぞ。」「何をしているんだ。斧を食らわせろ。」馬はもう放っておいても死ぬのに、ミコールカは鉄棒を持ち出し、馬の背をなぐります。
馬は苦しそうに息をひきとります。幼いラスコーリニコフ少年はわっと泣き出し、やせ馬に駆け寄り、血だらけの鼻面を抱きしめて接吻します。
「行こう、行こうよ。さあもうお家に帰ろうね。」父はラスコーリニコフの体を抱いて言いました。
(引用は、「お手軽文学散歩 第9話「ドストエフスキー「罪と罰」について(9)」」より)
19世紀前半、欧米などで(国を問わずなのか)、犬に限らず、動物への共感同情の感情が芽生え始めた。
医学など研究用を除いて、動物を虐待することに対する罪の意識が高まり、少なくとも表立って、残酷な形で殺すことへの非難の声が高まった。
動物に心があるかは、ある意味、人間に心はあるかと同等に近い問いとなった。頭ごなしにロボット、獣扱いはされにくくなったわけである。
しかし、ペットを含め、動物を殺す現実が消え去ったわけではない。
実際には、今日においても大量に殺されている。我儘勝手な飼い主たちが居る限りは!
← ジョン・ホーマンズ 著 『犬が私たちをパートナーに選んだわけ 最新の犬研究からわかる、人間の「最良の友」の起源』(仲 達志 訳 阪急コミュニケーションズ ) (画像は、「 阪急コミュニケーションズ - 書籍」より)
さて、ジョン・ホーマンズ 著の『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』(仲 達志 訳 阪急コミュニケーションズ )は、ワンちゃんを飼えない淋しさをせめて本だけでも、ワンちゃん絡みをと読んだ本。
一昨日の夜からは、趣をぐっと変えて、『蜻蛉日記』(今西 祐一郎【校注】 岩波文庫)を読み始めた。
「一夫多妻の社会で権勢家の妻となった、美しく才能豊かな女性の半生記」で、書き手は道綱の母と呼ばれる人物。
一夫多妻の社会。かつての遠い昔の話。でも、現代においても、貧富の格差が増大する現実は、結婚できない多くの男性と、結婚しない多くの女性を生み出しつつある。しかも、そうした女性は、相手を秘して子供を作り、母子家庭を気づく人も増えているとか。
相手は、特定の有力な(カネ持ちか、二枚目か、血筋か、人柄か、横暴極まりないか)男性が複数の女性を相手に子供を作るのだろう。
今も(あるいはこれからはいよいよ)日本は、一夫多妻の世となるのかもしれない。
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