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2014/05/27

薔薇とバラの間に

   前略

(あるテレビ番組を観て)チラッと疑問に思ったことがあったので、忘れないうちに覚書程 度に書いておきたい。
 それは、薔薇の花のバラと、ものがバラバラという時のバラとは、語源的に 同じなのか、という疑問だった。
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 が、それは、調べるまでもない、それこそ取るに足りない疑問に過ぎないと、 さすがに小生もすぐに気が付いた。薔薇とバラのバラの語源が同じわけ、ない じゃん!
 でも、念のためなので、薔薇のほうのバラはともかく、バラバラという時の バラについては「広辞苑」で調べておこうと思った。

 すると、「ばら」の項の冒頭に目当ての「バラ」があった。漢字で「散」と 書いてある(うーん、勉強になる!)。クリックしてみると、「(1)まとま っていたものがばらばらになっていること。また、そのもの。「ばらで買う」 (2)散銭(ばらせん)の略。」とある。

 なんだか、狐に抓まれた面持ちがある。「ばら」の説明なのに、「ばらばら になっていること」とあっては、足が掬われたような感じで、気分が悪い。堂 々巡りというか、同語反復というか、トートロジーというか、落ち着かない。
 仕方ないので、「ばらばら」を調べる。すると、以下のようだった:

(1)小石や大粒の雨など粒状のものが連続して強く打ち当る音。また、その  さま。「雹(ひょう)がばらばらと降る」(2)複数のものの存在や発現が  空間的・時間的に感覚があるさま。日葡辞書「ヒトガバラバラトタツ」(3)  一体であるべきものが離れ離れになったり統一されていなかったりするさま。  「一家がばらばらになる」「意見がばらばらだ」

 そうか、なんとなく「ばらばら」のほうが大本で、それがばらばらになって 「ばら」でも使われるようになったのか、と推察される。
 それでも、じゃあ、なぜ、「ばらばら」がばらばらってことを意味するよう になったのかは、分からないままである。使い方や意味合いを問うているわけ ではないのだ。

 ところで、薔薇を英語では、ローズという(英語表記は、英語を読めない人 もいるかもしれないので、省略する)。そのローズというのは、ケルト語の赤 に相当する単語「rhod」がやがて薔薇を示すようになったという説がある。
 また、「ペルシャ語の「wrda」(ヴァレダと読みます)が語源とする説があ」 るとか(下記のサイト参照):
 http://park.ruru.ne.jp/minie/garden/rose.htm
 引用を続けると、「後者の説では、ペルシャ語のヴァレダ(wrda)が初期のギ リシャ語でプロドン(prhodon)、それがさらにロドンrhodonに変化してローマ に伝わり、ラテン語では「rosa」となったと言われます。これはバラがペルシ ャの原産であることを示しています。」だって。
 では、日本語の薔薇については、どうなのか。同じサイトから続けて引用さ せてもらう:

 日本語のバラは古語で「ムハラ」「ウバラ」で、「イバラ」と同じ意味です。  江戸時代まで日本にはツルバラしかなく、今日知られるようなバラは「花イ バラ」と呼ばれていました。漢字の「薔薇」は墻靡(垣根にまとわりつくと  いう意味)の当て字といわれています。
                                 (引用終わり)

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 そうか、薔薇って、気の強そうな花というイメージがあるけど、垣根にまと わりつくのか。
 ってことは、表面的には豪奢で、その花の周りにいつも人垣ができるようで はあるけれども、その実、薔薇本人は寂しいのか甘えん坊で、垣根にしがみ付 いていないと生きていけない花なんだ! よしよし、メモしとこ。
 一読されて分かるように、このサイトでは書いてないが(多分)、ペルシャ 語のヴァレダ(wrda)がやがて「rosa」となったように、日本語の薔薇も、ペル シャ語のヴァレダ(wrda)からの転訛だろうと推察することが可能かもしれない。
 つまり、日本には、江戸時代まではツルバラしかなかったとして、そのバラ という言葉がいつ成立したかを遡ると、もしかしたら、遠い昔、ペルシャ(乃 至はアラブ)の商人がバラの花を持ち込み、その際、ペルシャ語での花の呼称 も「バラ」と受け止められた(バラと聞こえた)のではと推察されるというわ けである。
 小生は、以前、青い薔薇について、些少のことを書いたことがあるが、薔薇 については、その花も語源も、薔薇の花の色についても奥が深いと、つくづく 感じる。薔薇を巡っての随筆だけでも、軽く一冊の本は書けそう(あ、もう、 書かれてるのか。失礼しました)。

 さて、話を戻そう。そもそも小生が疑問に思ったのは、薔薇の花のバラとバ ラバラを意味するバラとは語源的に同じなのかどうか、であった(そもそも、 そんな疑問を持つこと自体、碌でもないことではないかという疑問は、黙殺す る)。
 但し、大急ぎで断っておくべきは、擬音語としてのバラバラ(パラパラ)は、 恐らくは、薔薇の花を意味するバラとは語源的に違うだろうということだ。こ の点は比較的明らかなような気がするので、この方向への探求はやめておく。

 問題は、家族がバラバラだという時の「バラ」である。
 ここから先は、時間の都合もあり、多少、端折って説明することになるが、 事情を推察の上、あまり深くは小生を追求されないで欲しい。

 冒頭で、薔薇の花を巡るドタバタの場面を見て、薔薇とバラを巡る疑問が浮 かんだと書いた。
 実は、これは正確ではない。というのは、薔薇の花を何本も束で貰うか、そ れとも一本だけをバラで貰うか、遠い昔より、男は女性に薔薇の花を贈る際に 迷ったのではないかと、ドタバタ劇を見ながら感じたのである。
 つまり、薔薇の花というのは、束でも素晴らしいが、一本でも強烈な印象を 与える花である。青い薔薇もいいが、やはり薔薇というと深紅に止めを刺す。
 一本の深紅の薔薇。それだけでも、存在感はタップリなのだ(ああ、あの人 もそうだった)。

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 そうしたことから、一気に小生は、バラバラのバラというのも、そうした男 の薔薇の花束を贈るべきか、それとも一本の深紅の薔薇をこそ贈るべきかとい う永遠の迷いに淵源しているのではと思い立ったのが、最初だったのだ。
 薔薇の花を束で贈るべきか、それとも一本の薔薇にするべきなのかという迷 いから、バラバラの意のバラという言葉の用法が生れた…。薔薇とバラバラの 意のバラは実は無縁ではないのだ…。
 もしかしたら、仮にこの説が正しいとしたら、小生の直感は、かなり鋭いも のがあるのかもしれない…。
 バラバラの意のバラに、こんな奥床しい意味合いがあったら…、興趣深いと 言えるのではなかろうか。
 ちょっと強引でしたか? ま、強引、弥一の如しというから、許してね。


(本稿は、もう十年以上も昔のもの。我が家の裏庭のバラがようやく開花したので、薔薇に絡む旧稿を載せる。近所のバラには随分と見劣りするけど、咲いたことでよしとする。「薔薇とバラの間に」(03/10/31)より)


薔薇関連拙稿:
冬薔薇(ふゆそうび)
薔薇の褥
薔薇の芽それとも青いバラ

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