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2014/04/08

晴耕雨読ならぬ晴耕晴読

 今日も昨日に続き、快晴。しかも、やや風があったので、外仕事していても気持ちがいい。
 二週間に一度の連休なので、過日、畑の土起こしや肥料撒きも終えたことだし、ナスやキュウリなどの苗を植えようと勇んでいた。

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← ローレンス・クラウス著『宇宙が始まる前には何があったのか?』(青木薫訳 「無から有がなぜ生まれたのか? 最先端の量子物理学は、いまや宇宙誕生の謎を解明しつつあります」だって。ホントかな。宇宙像の大転換期にあることだけは、確かなようだ。今日未明から読み始めた。 (画像は、「文藝春秋BOOKS」より)

 が、ガーン、である。ホームセンターには目当ても苗が売っていない。あるのは、ブロッコリーやキャベツ、ハーブなどばかり。
 少々早いのかと、昨年の本ブログを捲ってみると、今月の二十日頃に苗を植えている。
 そうか、まだ、焦らなくてもいいんだ。

 焦るというのは、近所というか、目の前の畑(我が家の昔、田圃だった場所)では、近隣の奥様方が早々と野菜作りに丹精している。もう、ネギなどいろんな野菜が出来ていて、収穫さえ始まっている。
 その勢いに圧倒されているのだ。
 
 せっかくの休み。勿体ないので、昨日は稲架や竹竿などを収めていた朽ちかけている小屋の解体作業に取り掛かった。
 けれど、小屋の中身を一掃し、ガランとさせる段階で終わった。もう、汗だくだったし、それ以上に本体の解体は実に厄介だと思い知らされ、作業は中断。
 今日は、いよいよ本体の解体に取り掛かった…わけではなく、目の前の畑(我が家の昔、田圃だった場所)の中の我が家の割り当て分である畑のメンテナンス。
 ドクダミの巣窟となっているので、昨秋、ドクダミを含めた雑草が生い茂らないよう、応急処置としてブルーシートを張っておいた。
 今春の畑作業が始まるということで、ブルーシートを取っ払う作業に没頭。
 撤去するといっても、ブルーシートが風に飛ばされないよう、水を張ったバケツやらコンクリートブロックやら借り倒した樹木やらを重しにしているので、案外と手間取った。
 一昨年から、草むしり作業の手間を少しでも減らそうと、防草シートを庭や畑の通路などに張り巡らした。その効果を確認したので、今年は一層、厳重に張り巡らす。除草剤を撒きたくないという思いもある。
 除草剤は確かに効果があるが、困った面もある。
 用心深く樹木などの幹から離れて散布しているが、除草剤が深く浸み込んでか、樹木の根っこから吸い込んでしまうようだ。どうも、やや弱弱しい樹木の緑は、そのせいなのか、とも思われる。
 なので、除草剤の散布は最低限に抑えたいのだ。

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→ とりあえず、小屋の中は綺麗に整理したものの、肝心の本体の解体という段階でストップ。簡単そうで、案外とてこずりそう。どうしたものか。

 作業を終えると、汗だくで、急いでシャワーを浴び、衣類の洗濯。
 衣類を外に干せるのが嬉しい。風に揺れる洗濯物…という光景がこれほど快適に見えたのは、季節が暖かくなったことを実感しているからなのか。
 部屋の中でも、暖房は少々で済む。嬉しい。

 昨日は、作業の合間などにバーバラ・N・ホロウィッツ/キャスリン・バウアーズ共著の『人間と動物の病気を一緒にみる   医療を変える汎動物学(ズービキティ)の発想』の残り部分、百数十頁をせっせと読んだ。
 鳥インフルエンザなど、動植物と人間との間を細菌やウイルスがドンドン行き来している。もう、人間だけの医者(医学)、動物相手だけの獣医ではダメで、生き物全般そして進化の歴史(遺伝)などを踏まえた総合的な、著者の言う、汎動物学(ズービキティ)の発想が大事だと小生も認識させられた。
 医学の科目などの仕切りを取っ払って、生き物としての人間を再認識すべきだろう。

 未明に上掲書を読了後、ローレンス・クラウス著の『宇宙が始まる前には何があったのか?』を未明から読み始めた。地にある生き物を巡る考察から、一挙に宇宙論へ。たまらない飛躍だ。

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← バーバラ・N・ホロウィッツ/キャスリン・バウアーズ共著『人間と動物の病気を一緒にみる   医療を変える汎動物学(ズービキティ)の発想』(土屋 晶子【訳】 インターシフト) 「ヒトの病気の治し方は、動物に聞け!がん、肥満、心臓病、うつ、依存症、性病、ストレス性疾患―動物もかかる病気の研究から、ヒトの新たな治療法が生まれる」といった内容の本。 (画像や情報は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より) 「人間と動物の病気を一緒にみる インターシフト」で目次などを見ることができる。 

 外仕事の合間や作業終了後、洗濯などや買い物を済ませて、読書を楽しむ。これが楽しい。
 晴耕雨読という言葉がある。実際、休日でも雨の日は外仕事はしないことに決めている。
 でも、晴れの日であっても、終日、外仕事をするのではなく、体の具合などを鑑み、晴耕雨読ならぬ晴耕晴読も、これまた楽しきかな、である。

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