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2014/04/10

組合のこと どうしたものか…

 吾輩は、会社の労働組合の執行部副委員長を務めている。
 といっても、ホントのサブで、実際には議案書を書いたり、団交の文書を書いたり、届出などの文案を練ったりで、組合においての影響力はない。

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→ 昨日9日(水)こそ、富山市は桜が満開。桜の名所・松川べりを行き交う人でにぎわっていた。

 前の執行部が執行委員の一人の不正があり、途中で総退陣したので、急遽、頼まれて執行部に入ったのである。
 要は人材不足で、他になり手がなく、小生は頼まれると断れない弱気な性格なもので、後日、正式な執行部が成立するまでの繋ぎの意味合いで引き受けたに過ぎない。

 世の中は、非正規労働者が増えたり、サービス残業が露骨に強制されたり、労働環境は顕著に悪化している。
 現内閣も労働者の環境をどうしようという発想は皆無で、むしろ、企業側経営側の都合のいいように差配している。
 その意味でこんにちは、労働組合の必要性は高まっていると思う。

 思うが、あくまで一般論である。自分に組合員としての責任感や組合としてどうすべきかという意思や展望はまるでない。
 労働組合は必要だと思う。だから、会社に入った際も、正式な組合に加入した(全く、活動しない名目だけの組合もある)。生活費さえままならぬ収入の中で、組合費を払うのも苦しいのだが、それでも、組合は大切だと思うので、敢えて加入したのだ。

 余儀なく執行部に、しかも、副委員長という立場として加わったが、相談を受ければ応えるが、自分の意思として組合はどうあるべきだ、会社とはどう交渉すべきだという強い意志も考えもない。
 ないけれど、まあ、大過なく務めてはきた。
 御用組合という組合も社会にはある。我が組合がそうなのかどうかは、執行部や組合員次第だが、現執行部は真面目だが、弱体の組合を立て直すほどには及んでいない。

 ただ、前執行部の不手際を正すくらいのことは(現書記の尽力絶大)、やったし、組合員の生活の上で必要な幾つかの要求は交渉の上、通すことは少しはできた。
 乗務員の半数にも満たない人員で構成する組合。
 その組合と会社との交渉で、通った懸案は、組合員以外にも適用される(インフルエンザの予防注射の費用の一部を補助するとか)。
 組合員は組合費を払って頑張っているのに、そのささやかな恩恵ですら、全乗務員に適用される。
 これが組合の宿命といえばそれまでだが、何か、納得いかないものを感じてしまうというのは、正直な感想である。

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← 今朝、新聞を取ろうと玄関のドアを開けたら、庭の一角に何やら桃色の花が。おお! 昨春に植えた桃の苗木だ。今年も開花してくれた。思いがけないプレゼントを受け取ったようで、嬉しかった。

 その現執行部だが、間もなく、現委員長が定年を迎えるということで、退任する。
 困ったことに後任がいない。
 自分も、現執行部が立候補する際、現委員長と一緒に活動するということで、執行部入りを承知した経緯もあり、辞めたいのである。 

 活動をどれだけやっても、文句は言われても、ほとんど実費程度の手当を貰えるだけで、ホントにボランティアである(一番の手弁当な活動ぶりを示しているのは、書記で、彼には頭が下がる)。しかも、誰からも評価はされない。労われることもない。

 委員長が辞めたら、職責上、副委員長たる小生が委員長代理を務めることになる。
 この自分が代理と言え、執行部の委員長とは。
 世も末である。

 建前としては組合は大事と、これは正直、そう感じるけれど、でも、いざ、自分が活動するとなると躊躇する。躊躇以前に自分には組合がどうあるべきか、何の考えもないことが如実に感じられて、正直、辛いのである。
 組合員の中には、親睦会の形へ性格を移行させては、という考えを表明する人もいる。
 親睦会ならすでに立派に活動している組織が現にあることはさておくとしても、親睦会では、会社側と籠城条件その他のことで(団体)交渉する権能は喪失してしまう。会社側は、せいぜい、経営側の配慮で会ってやるか、くらいのものである。

 自分の考え方として、組合はやはり痩せたりとはいえ組合であるべきなのである。
 組合がなくなれば、会社側経営者側は自らの都合を押し通すだけだろう。一切の歯止めがなくなってしまう。
 また、会社側も従業員側の不平不満を個別に直接受け止めるしかなくなる。
 お互いに不幸だし、不都合なのではないか。

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→ 表の庭の片隅に、これまた水仙の花たち。通りから一番、見やすい場所にあるのだが、フェンスで見えないかも。

 話は堂々巡りとなっている。迷っているのである。
 一般論として組合は大事。だけど、自分にその職責を果たす能力があるかどうか、それ以上に、組合として執行部としてどうあるべきなのかの意思やビジョンがないのが一番、問題なのである。

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コメント

東京では、教員の組合も弱いです。
私の職場も、加入率20%くらいかな(笑)
一応、私も入っています。
人数が少ないと、役職が回って来るんですよね…。
私も組合色の弱い人間で、こうあるべきだとか、これは間違っているなどという思想を持っているわけではありません。
任せられても困っちゃう。
似たようなことで悩んでいますね(笑)

投稿: 砂希 | 2014/04/12 20:27

今は日教組もだらしなくなったし、若い人は組合なんて入らないでしょう。
思い出す。国鉄時代は良くストライキやって、朝の電車が動かなかったりした。
私鉄もストライキやりましたよね。
しかし、今はストライキなんて聞かない。電車が動かないなんてこともない。
電車もタクシーもサービス業ですから、お客様に迷惑かけちゃいけないな。
弥一さんのタクシー組合では、ストライキの代わりにどんな運動やっておられるのかな?

投稿: oki | 2014/04/12 21:33

砂希さん

日教組は組織が弱体化していますね。政府や保守、右翼が毛嫌いしている。
小生の母校(高校)にも、日教組に加入している先生は一人だけでした!
他の先生に異端視されていた。富山は保守王国だから、組合は弱い。

組合に加入している以上、役職が回ってくる。よりによってこの小生に。
とはいっても、真面目に努めます。
真面目に、という意味は、与えられた課題には対処する。でも、自分からは何も訴えるテーマはないってことです。

投稿: やいっち | 2014/04/12 21:53

okiさん

日教組に限らず、組合の弱体化、御用組合化は、ご多分に漏れずですね。
小泉政権などで組合潰し政策が徹底された。
その結果、覇権とかサービス残業が常態化した。企業側・経営側のしたい放題。ブラック企業の横行へつながっていきました。
それも、組合が組合員や社員の防波堤になれないから。
組合嫌いや敵視・軽視は人の勝手でしょうが、その結果の悲惨なる現実は認めざるを得ないでしょう。

若い人は組合の大事さを認識すべきでしょう。
でも、結果の悲惨は受忍できないはず。

どんなにダサくても、組合は重要なのではないか。

タクシーは、大抵の会社の組合はしないけど、個別の会社では、昨年も、富山市の大きなタクシー会社がやりました。
タクシーは現金商売。一日でも半日でもストライキされると、会社は大変なのです。
なので、ストライキの効果は絶大。
お客の立場にすると、他の会社のタクシーに乗るから大丈夫ですが。
なので、多分、他の業種でもストライキの効果は(宣伝効果も含め)絶大なのです。

投稿: やいっち | 2014/04/12 22:10

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