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2014/04/07

終わりよければすべてよし

 あれは、大団円を大円団と思い込んでいたころ、そう、そんなに遠い昔とは言えない頃のこと、そうそう、悪銭身に付かずをしみじみ実感した頃でもあった。ホント、あの頃は、青菜に塩じゃった。病気までして、弱り目に祟り目とはあのことじゃ。

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← 富山市の松川にて。一昨日辺りが最盛期だったか。

 朝起きは三文の徳と、朝から晩までせっせとあくせく働いて稼ぐのが一番と思い知ったものだ。親の意見と冷や酒は後で効くっちゅうか、親にもいろいろ意見されたけど、やっぱり、凡人は何でも後の祭りなのだね。
 兄弟は他人の始まり、まして親子は、ね。

 今では懸命に働いても、出ていくほうが多いし早い。爪に火を灯す生活とは、オレの暮らしのことよ! 宵越しの金は持たぬ! 武士は食わねど高楊枝と虚勢は張ってみるものの、その実、無い袖は振れぬ、なのだ。背に腹は代えられぬ、だね。
 艱難辛苦汝を玉にすというが、一向に己は磨かれん。玉は磨いてきたが。
 それでも、柳に風、実るほど頭を垂れる稲穂かなと生きるすべだけは覚えてしまった。焼け石に水だがね。この頃はもう、後は野となれ山となれ、の心境だ。起きて半畳寝て一畳、これはこれでいいもんだよ。

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→ 同じく松川縁を練り歩く、チンドン屋さんたち。「第60回全日本チンドンコンクール

 鬼の目にも涙というけれど、正直者は馬鹿を見るそんな厳しい世間も、大人しく生きるものには、少しは優しいのであってほしいよ。
 奥さんはって? そんなのとっくに逃げちゃったよ。あれは、月夜に釜を抜かれる、だったのかなー。畳と女房は新しい方が良いなんて、嘯いたのがまずかったのかねー。ウソでもいいから、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花って、褒めときゃ、今頃は、オレの支えになっていてくれたかもな。
 夜目遠目傘の内、みてくれはともかく、水火も辞せずって女で、あれはあれでいい女だったんだがなー。でも、オレにゃ、宝の持ち腐れか。

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← 月に二度の連休ということで、畑にナスやキュウリなどの苗を植えるつもりでいた。が、ホームセンターにはまるで並んでない。仕方なく、作業小屋の解体作業に取り掛かった。とりあえず、小屋の中身をすっかり片づけた。

 出る杭は打たれるというが、出る杭の打ちどころを失くしちまったよ。天は二物を与えず、なんて、一物だけでも持ち余してるよ、まったく。
 弘法筆を選ばずじゃないけど、あちこち他流試合したのがいけなかったかな。弘法にも筆の誤りを地で行っちゃったよ。来るものは拒まず去るものは追わずは、夫婦の間じゃ、まずかったもしれん。堪忍袋の緒が切れるってことか。ああ、帰ってきてくれー!
 子は鎹(かすがい)というけれど、その子もとうとう授からなかったし。金の切れ目が縁の切れ目って、夫婦のことを指すのかね。

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→ 手前は古い小屋。使われなくなった稲架などが収められていた。奥の小屋は新しい作業小屋。農機具などが収められていたが、もう、稲作はやめたので、今は物置となっている。

 まあ、繰り言はやめとこう。去る者は日々に疎し。もう、どうでもいいや。自業自得、身から出た錆だしね。搗いた餅より心持ち。来年の事を言えば鬼が笑うというが、今のおいらは、今日明日が見えない。とにかく今は飯の種が大事よ。終わりよければすべてよし、死ぬまでは生きてるんだから、頑張らないとね。

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コメント

今年はグランドプラザを中心にチンドンを見ましたが、松川べりの桜の下をチンドンマンが練り歩く2日目の午前中が一番絵になるような気がします。今年、その時間帯は天気が良かったのに残念ながら仕事でした

投稿: SILVIAおじさん | 2014/04/07 22:16

SILVIAおじさんさん

「松川べりの桜の下をチンドンマンが練り歩く2日目の午前中が一番絵になるような気がします」!

小生はまさにその二日目、つまり土曜日、松川縁を練り歩く光景に遭遇しました。
空は晴れ桜は満開で、その桜並木に愛でられるようにして、チンドン屋さんの面々が練り歩く。
シャイなので、近寄って行って写真を撮らせてくださいとは言えなかったのが残念。
ある地方からのチンドン屋さんの一行にお客さんにもなってもらいましたよ。

投稿: やいっち | 2014/04/07 22:51

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