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2014/04/30

楽しみなような、怖いような

 表の荒れた土地を耕した。昔は田圃だった。耕作放棄されて久しい。気が付けば、ドクダミの野に成り果てていた。
 耕作放棄というが、怠慢とか減反とかじゃなく、父母の体が思うように動かなくなったから、荷が重くなったのだ。
 息子の自分が手伝わなかったというのが的を射た説明かもしれない。

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← ど根性カエデ!

 五月の連休やお盆の時にちょっと手伝うくらいじゃ、追い付くはずもないし、そもそも、稲作も畑も作業を学んでいないので、付け焼刃の知識すらない。
 それでも、数年前、帰郷してから、やれと云われたわけじゃないが、ボチボチ手を出し始めた。

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2014/04/29

苧環や風に清楚の花紡ぐ

 今朝、庭を歩いていたら、苧環 (おだまき)の花がとうとう咲いているのが目に留まった。まだ一輪だけだが、これからドンドン咲き揃っていくだろう。

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→ 今朝、苧環の花が一輪、咲いていた。

 つい先日、紫色の蕾に気付いたばかり。椿の赤紫色の花の時期がほぼ終わって、また地味な色合いの庭になりそうだったのが、ジャーマンアイリスに続き、この苧環の開花で彩ってもらえる。
 今日、気づいた花には、ムラサキツユクサも。一輪だけ、咲いている。この花は長く咲いていてくれる。

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2014/04/27

プレッシャー

 プレッシャー。この言葉で人は何を思い浮かべるだろう。
 科学や技術の用語として、あるいは『ウルトラマンレオ』に登場する宇宙人の名? それとも精神的な重圧の意味合いでだろうか。

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 小生の場合は、日常の中で日々感じ受ける精神的な重圧そのものである。
 夢の中で、粘るような空間をやっとの思いで前進する、という場面によく遭遇する。
 空気だって、風が強ければ風圧として受ける圧力は相当なものになる。

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2014/04/25

木蓮は一億年の夢と咲く

 我が家の近所の家の庭には、白木蓮の木が一本ある。四月早々だったか大ぶりの真っ白な花が開花。
 花びらが散るごとに路上に舞う。時には我が家の庭にも舞い込んでくる。

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 開花が済むと、葉っぱが芽吹いてくる。
「開花しているときの風景は、白い小鳥がいっぱい木に止まっているように見える」(「季節の花 300」より)のは誰しものようで、小生も以下のような句を詠んだことがある:

白木蓮小鳥の憩う宵ならん

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2014/04/23

木蓮は一億年の花と咲く

 小説「百年の孤独」で知られ、コロンビア人ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケス氏が、この17日に死去した。

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← 庭先のアセビが鈴蘭のような小花をいっぱいに咲かせている。

 恐らく20世紀でも最高峰の奇怪な小説『百年の孤独』は、これまで通算3度、読んだ。が、若い頃読んだ時は何やら生臭さのようなものを感じるだけで、読破したという満足感以上の印象は残らなかった。

 若さに任せて勢いで読んで、即、感銘を受けた作家(の小説)もあれば、ただ読破することに夢中だっただけに終わった作家もいる。

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2014/04/22

雨音を窓越しに聴く日長かな

人知れず鼓(つづみ)鳴らせし風ならん      いかにも路傍にひっそりと生えているたんぽぽ。誰にも聞こえないような鼓の音が風に紛れていく。ちなみに、「江戸時代にはタンポポはツヅミグサ(鼓草)と呼ばれていた」。   4月22日

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→ 裏庭のたんぽぽ 帰郷して間もない五年前の春に撮影。 (画像は、拙稿「たんぽぽの句? 苦?」参照)

吾輩の書く句は、あくまでただの句です。季語は意識してもこだわりはしない。季節感のなくなってきた今日、言葉への感覚も変わるはず。ただただ気ままに句作する。    04/21

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2014/04/21

学生時代の日記より

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1/28(金)小雪
  
    1時半頃、一度目覚め 首筋の凝りと寒気を覚えた昨夜は、7時頃寝入ったのだし、もう少し眠りたくて……すると今度目覚めたのは丁度PM3時で、しばらく茫(ぼう)としている頭が冴えてくるのを待って そして『夏の花』を読みだした。気が付くと4時で あわててget upして 今日は買い物に出掛けようか ――今、オー・ダーリンを聴くため中断していた、昨年の11月以来 久しぶりにレコードをかけている ―― どうしようかと冷蔵庫の中をのぞき込みながら思案して  今日一日はなんとか食いつなげそうなので 出掛けない  あと必要が生じたら外出すればいいと考えた。

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2014/04/19

咸臨丸の壮挙を想いつつ、富山湾の海を眺める

 今日も荒れた畑の整地作業。一昨日までのうららかな晴天とは違って、昨日からは三月下旬の寒さが戻ってきている。麦わら帽子をかぶって作業する身には、かえってそのほうがありがたい。

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→ 過日、岩瀬浜へ行く機会に恵まれた。咸臨丸の壮挙を想いつつ、富山湾の海を眺める。

 が、一歩、家の中に入ると寒い。一昨日、灯油のポリ容器は納屋に仕舞ったし、現に使える暖房器具は、電気ストーブだけ。午後、たまらずに使い始めてしまった。
 ドクダミの巣窟と化していた荒れた畑の土の掘り起こし作業も、お蔭様で今日で終了(やや無理やりだが)。

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2014/04/17

いのち吹くかくあれかしと思うなり

 

あらたふと青葉若葉の日の光      芭蕉

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← おそらく、「もみ」の木。つい先日まで、枯れ木のようだったのに、いつのまにか若葉が。

 この句は、初夏のものだとされているようだ。毀誉褒貶の多い句:「奥の細道日光
 なるほど、きっと初夏になれば、濃淡に渡る樹木や草の緑が印象深く感じられるのだろう。

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2014/04/15

舟川新桜並木を観てきた

 過日のこと、舟川新桜並木を愉しむ機会に恵まれた。
 仕事の上での道行きで、自由に散策というわけにはいかなかったが、スケールの大きな桜並木を愉しむことができた。タイミング的に絶好な時期だった。テレビでも特集が組まれていたっけ。

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→ 舟川新桜並木の光景。以下、同様。

 富山市にも松川沿いはもとより、神通川沿いに負けず劣らずの桜並木がある。が、神通川の桜並木は、川の片側だけというのが、ちょっと残念。それでも、壮観だけれど。

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2014/04/14

今日も晴耕晴読

 今日もほぼ無風快晴。お出かけ日和。でも、吾輩は家事。庭仕事に畑仕事に精を出す。
 昨秋に駆り落とした枝葉などは庭の方々に溜めて放置したままだった。
 それを袋詰め。

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← チップ・ウォルター (著)『人類進化700万年の物語―私たちだけがなぜ生き残れたのか』( 長野敬/赤松眞紀 翻訳 青土社) 今日から読み始める。 (画像は、「紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 袋は、これまた昨秋までに刈ったり毟ったりした雑草を詰めて庭の隅に防草シート代わりに置いてあったビニールの袋を使う。
 雑草を詰めた時点では、目いっぱい、それこそ袋を縛るのがやっととうほどに詰め込んであった。

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2014/04/12

耕すのは大変

 富山は今日も快晴だった。やや風があったが、それがまた気持ちいい。
 こんなに晴れ続きというのは、ちょっと富山らしくない。特に今年は冬の間も、晴れ渡って、立山連峰の雄姿がくっきりという日が多かった。

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← 高橋松亭 『市野倉(いちのくら)』 「(1922.2 Size (H x W) cm:24.0 x 36.4 Image Source: Robert Muller) 小生は市野倉に住していた。子母沢寛が住んでいた子母沢とは隣り合っている。(画像は、「Shôtei.com   Shôtei Gallery」より。高橋松亭のことなら画像も含め、ここ!) 

 冬の北陸(富山)というと、鉛色の空、曇天続きというのが当たり前のはずなのだ。
 晴れて嬉しくないわけはないが、例年と違う気候というのが気にかかるのである。
 今日も、畑や庭仕事に精を出した。前日の営業が意外なほどに忙しく、帰宅が未明の三時半過ぎ。ビスケットだけ齧って、一時間以内には寝床に潜り込んだ。

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2014/04/10

組合のこと どうしたものか…

 吾輩は、会社の労働組合の執行部副委員長を務めている。
 といっても、ホントのサブで、実際には議案書を書いたり、団交の文書を書いたり、届出などの文案を練ったりで、組合においての影響力はない。

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→ 昨日9日(水)こそ、富山市は桜が満開。桜の名所・松川べりを行き交う人でにぎわっていた。

 前の執行部が執行委員の一人の不正があり、途中で総退陣したので、急遽、頼まれて執行部に入ったのである。
 要は人材不足で、他になり手がなく、小生は頼まれると断れない弱気な性格なもので、後日、正式な執行部が成立するまでの繋ぎの意味合いで引き受けたに過ぎない。

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2014/04/08

晴耕雨読ならぬ晴耕晴読

 今日も昨日に続き、快晴。しかも、やや風があったので、外仕事していても気持ちがいい。
 二週間に一度の連休なので、過日、畑の土起こしや肥料撒きも終えたことだし、ナスやキュウリなどの苗を植えようと勇んでいた。

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← ローレンス・クラウス著『宇宙が始まる前には何があったのか?』(青木薫訳 「無から有がなぜ生まれたのか? 最先端の量子物理学は、いまや宇宙誕生の謎を解明しつつあります」だって。ホントかな。宇宙像の大転換期にあることだけは、確かなようだ。今日未明から読み始めた。 (画像は、「文藝春秋BOOKS」より)

 が、ガーン、である。ホームセンターには目当ても苗が売っていない。あるのは、ブロッコリーやキャベツ、ハーブなどばかり。
 少々早いのかと、昨年の本ブログを捲ってみると、今月の二十日頃に苗を植えている。
 そうか、まだ、焦らなくてもいいんだ。

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2014/04/07

終わりよければすべてよし

 あれは、大団円を大円団と思い込んでいたころ、そう、そんなに遠い昔とは言えない頃のこと、そうそう、悪銭身に付かずをしみじみ実感した頃でもあった。ホント、あの頃は、青菜に塩じゃった。病気までして、弱り目に祟り目とはあのことじゃ。

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← 富山市の松川にて。一昨日辺りが最盛期だったか。

 朝起きは三文の徳と、朝から晩までせっせとあくせく働いて稼ぐのが一番と思い知ったものだ。親の意見と冷や酒は後で効くっちゅうか、親にもいろいろ意見されたけど、やっぱり、凡人は何でも後の祭りなのだね。
 兄弟は他人の始まり、まして親子は、ね。

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2014/04/06

月を眺める猫

 ボクは猫を眺めていた。ベランダの手摺に凭れて、息を潜めるようにして、 猫を眺めていた。
 猫の奴は眺められるのに馴れている。それとも、ただ、ボクに無関心なだけ なのかもしれない。
 でも、そんなんことはどうでもいい。大切なことは、猫を眺められる、心行 くまで猫の姿を楽しんでいられるという、そのことだ。

 あいつがオスなのかメスなのか、未だに分からない。
 何しろ、近づいて触ってみたことがないんだから。尻尾を持ち上げて、その 辺りを調べれば分かるんだろうけど、いいんだ。オスだろうがメスだろうが、 猫には違いがないんだし。

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2014/04/04

末期の光

 穴の中にいる。そうに違いない。真っ暗闇。身動きはできる。でも、灯りひとつない窖の中じゃ、動こうにも、怖くてならない。
 暗闇。黒き闇。それでいて、真っ赤な闇でもある。

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 ホントは血の色の滲むような深紅の世界なのが、闇に沈んでいるばかりに、つい暗黒という言葉を浮かべてしまうのだ。
 肉襞の一点が空いている。ぽっかりと穴が開いているのだ。

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2014/04/02

晴耕雨読とはいかないが

 今日は晴れ。風もやんわり吹く程度。ということで、本日はいよいよ今年度の畑仕事開始。
 作業着に着替えて、恰好も気分も本格的である。

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→ 赤紫色の椿。淡いピンクの椿など、今、咲き誇っている!

 一昨日のうちに、肥料や牛糞、鶏糞や野菜用などたっぷり200キロも買い込んである。
 もう、やるっきゃない。
 まずは、晩秋から被せてあった防草シートを剥がす作業から。さすがシートの下には草はほとんど生えていない。
 でも、日の目を見たなら、雑草は一気に活性化するに違いない。
 鋤や鍬などを使って、畑を耕し、そこに肥料を加えて、再度、土を混ぜ返していく。

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