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2014/03/28

「観音湯」閉鎖に絡み

 過日、「観音湯」が三月一杯で閉鎖となるというニュースを聞きかじった。80年以上の歴史があった老舗銭湯がその火を消す。
 たまたま、自宅のボイラーが不調で、銭湯通いを再開していたこともあって(不調は、オイル切れが原因だった)、気になってしまった。

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← 「観音湯」(富山市) (画像は、「Google マップ」より) 「富山県の名銭湯 観音湯」参照。

 一昨年だったか、我が家の近隣の銭湯の一つが閉鎖になったばかり(当時は吾輩も通っていた銭湯だった)。
 ドンドンというと、大袈裟になるだろうが、でも、次々に火種が消えていくという実感はぬぐえない。
「観音湯」は、「富山駅前繁華街で一際目立つ威風堂々とした構えの老舗の銭湯。 立山・剣岳の登山者達、全国の山仲間の馴染みの銭湯でもある。 屋号の謂れは馬頭観音を祀ってあることから」といった特徴がある。
 駅前、それこそ二三分も要さずにお湯に浸かれる。
 ホテルなどの展望浴場は、駅前にも幾つもあるが、銭湯は格別である。
 せっかくなので、(銭湯絡みの小文は幾つか書いてきたが)銭湯をネタの雑文を一つ、転記してみる。

風呂、銭湯、温泉…」(02/11/26)

        (前略)
 風呂は日本では、昔は蒸気風呂だった。風呂の「風」は暑い蒸気を意味する。
「呂」は、(「せぼね」で)奥深い場所を意味する。入浴料を取るような本格的 な銭湯は江戸時代以降のこと。風呂敷という言葉は、文字通り風呂に由来する。 蒸気風呂(サウナ)では、蒸気を拡散したり足もとが暑くなりすぎないよう、火 傷しないよう、スノコや布を敷いた。その布が転じて風呂敷と呼ばれるようにな った。云々。
 念のため「広辞苑」の説明を紹介しておくと、風呂は「「ムロ」の転か。一説 に「風炉」から」となっている。
 さて、せっかくなのでネットで調べられる範囲を紹介してみる。

 一般庶民が蒸し風呂に入れたのかどうかは分からないが、以下のサイトでその 蒸し風呂の雰囲気が知れる:
 http://www.arainodendo.com/mailmag2/20020723.html

 風呂も修行の一環であり、修行僧にとっては「禅宗のお風呂は、食堂・禅堂と ならぶ 三黙堂の一つで無言の場」だったという。
 しかしだからといって風呂が禅宗と共に始まったというわけではないようだ。 有史以前のことは分からないが(温泉浴、蒸気浴は、古来よりあったらしい)、 538年の仏教伝来と共に風呂(といっても仏教のこととて、沐浴のようだが)の 「歴史」が始まるようだ:
 http://www.fujifilm.co.jp/sorsata/sorsata_vol23/special/indexp03.html

 このサイトによると、「日本最古で最大の浴場だったのが東大寺の「大湯屋」。 切妻造りで、中には円形の鉄製の浴槽が置かれ、湯をはって沐浴ができるように なってい」たという。この風呂には建立に関わる職人だけでなく、一般庶民も利 用したというが、その庶民というのはどの程度まで広げられるのだろうか。
 また別のサイトによると、「諸国の尼寺を統括する大和の国分尼寺(法華減罪 之寺)と呼ばれていた「法華寺」の境内には「カラ風呂」があ」ったという:
蒸気から湯へ
 
 さて風呂敷は蒸気風呂を利用する際、床などに敷いて使ったと記したが、江戸 時代になり銭湯が一般的になると、先頭に通う際、手拭い、浴衣、垢すり、軽石 を包む布が発達した。お湯に必要な道具類を包む布ということで、今日我々も馴 染みであり、最近見直されつつある風呂敷包みとなったわけだ。
 つまり、江戸時代以前の風呂敷は、床に敷くという用途からしても、吸湿性と か丈夫さとかが肝要で麻素材の風呂敷だったらしい:
 http://www.miyai-net.co.jp/rekisi.html

 一方、蒸気のサイトによると、「将軍足利義満が室町の館に大湯殿(おおゆど の)を建てた折り、もてなしを行うに際し近習の大名を一緒に風呂に入れたとこ ろ、大名達は脱いだ衣服を家紋入りの絹布に包み、他の人の衣服とまぎれないよ うにし、風呂から揚がってからはこの絹布の上で身繕いをした、という記録が残 ってい」るという。
 ということは、床に敷く麻地の布が風呂敷と呼称されるに至ったという説は正 しいのだとしても、他方では、室町時代に入浴の際、衣服を包む布の使用という 文化があったわけで、これが後の風呂敷包みに繋がった可能性もある。

 仏教の伝来と共に風呂の「歴史」が始まったと書いた。そもそも風呂は仏教の 修行の意味合いが濃いわけである。しかし、仏教の施設を何処にでも簡単に作れ るわけもない。しかし、修行というものは日々、在所がどこであっても肝要なも のである。その修行の一環として入浴が必要だと言うなら、風呂も簡易でないと いけない。
 「行水」という言葉がある。「ぎょうずい」と読む。これは今日、一般的には 夏の暑い日に庭先などで盥に水か湯を注ぎ込んで、湯浴みをする意味に使う。
 広辞苑によると「潔斎のため清水で身体を洗い清めること」という意味もあるという。恐らくは、こちらのほうが由緒正しいのだろう。そして古来よ り修行僧(も、きっと修行の目的とは縁のない庶民も)は行水の形で、山野の片隅で修行(?)したのではなかろうか。
(中略)
 ただ、戦後のある時期までは銭湯が当たり前だった。その銭湯の脱衣場で、あ るいは湯殿の中で近所の人たちの間で雑談に花が咲いたものだった。ガキの頃、 ついに男風呂に入ることを余儀なくされたある日、薄板一枚の向こう側から若妻 らしき方の呼びかける声が響いてくる。こちらで亭主らしき方がその声に答える。 小生はなんとなくドキドキしたものだった。

 銭湯通いが普通だった頃は小生も若かった。洗い場では、髪を洗うのと共に、必ずというほど垢を 擦った。ボロボロと垢が出た。そうしないと風呂に入った気がしなかった。体が すっきりしないのだ。
 今は、垢すりなど論外である。肌が弱くなって、下手したら擦り傷になりそう だ。垢を擦る際、大切な真皮をも剥ぎ取ってしまうと聞いては、ビビルのみであ る。今昔の感を覚える。

 あるいは脱衣場で火照りを冷ましつつ、片手を何故か腰にあてがって、ビン入 りのコーヒー牛乳を一気にゴクゴクと飲み干してみたり。あるいは、番台でのお カネなどの遣り取りの際、仕切りの向こう側を盗み見てみたり。大概は、おばち ゃんかお婆ちゃんだった。
 銭湯を巡る思い出は尽きない。
 ま、それはともかく、洗い場や湯船での語らいや憩いの一時というのは、大切 な地域文化だったように思われる。

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→ 「番台」 昔の番台はこうだった。運がよければ女風呂も覗けた(逆もまた大いに真である)! 小生が行った銭湯では、今は、番台はロビーにある。(画像は、「銭湯 - Wikipedia」より。)

 やがて内風呂が当たり前になった今日、銭湯は疎遠なものとは言わないまでも、 贅沢なもの、非日常の体験をする世界となった。で、どうせ非日常の気分を味わ うなら、何処かの由緒ある温泉地で、となるのだろう。
 小生にしても、もっぱら内風呂である。しかもユニットバスで、湯船に小生の 両肩がぶつかる。小生は風呂場でも肩身の狭い思いをしているのだ。
 愚痴はともかく、内風呂と温泉との中間的形態である銭湯の値打ちを見直して みるのもいいのではないかと思う。銭湯での和気藹々の語り合い…、夢というほ どには難しくはないと思うのだが。


(拙稿「風呂、銭湯、温泉…」(02/11/26)より抜粋)


銭湯絡みの拙稿:
銭湯へ!
銭湯探し余談…今日は馴染みの銭湯へ

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コメント

ついこの間、栄西と建仁寺という展覧会行ったのですが、栄西は、お茶を禅の修行の一つとして伝えたわけですね。
風呂も、仏教と関わっているんですか、まあ日常生活みな修行とも言えますね。
うちの近くの銭湯も潰れちゃった。
風呂は家にあって、好きな時間に、夜中でも入れる、というのが当たり前になりましたね。
中には風呂に本を持ち込む人も、ワンセグテレビ風呂で見る人も。
時代の流れといえばそれまでだけど。

投稿: oki | 2014/03/29 21:52

お寺のような建物。
立派な銭湯なのですね。
閉鎖とは残念です。
自宅の徒歩圏に、もはや銭湯はありません。
郊外に行くと、スーパー銭湯があります。
そちらのほうは流行っているみたいです。
レジャーの要素がないと、商売にならないのかも…。

投稿: 砂希 | 2014/03/29 21:59

okiさん

お茶の湯(作法)が栄西が伝えたものというのは、割と知られているようですが、風呂も、奈良時代から仏教と縁が深かったわけですね。
体を清める。滝に打たれたりなど、風呂じゃなくても、修行の一環だったものが原形、乃至は関連があるのかも。


風呂は時代に連れ、あり方も変わり、変わるだけじゃなく、多様化している。
近代現代では、娯楽でもあるわけです。

投稿: やいっち | 2014/03/30 03:11

砂希さん

80年の歴史。ほとんど昭和の始まりから平成の今まで。
多くの銭湯は結構な歴史を持っていたのに、次々と消えていく。
時代に連れ、新しい形態の風呂が登場するのは時代の要請なのでしょうね。
お風呂も、そう娯楽でありレジャーである。
入浴だけなら自宅の風呂で十分ってことでしょうか。
ただ、時代の変化だけに銭湯が消える理由を求めるのは、間違っているのかもしれない。
アベノミクスで、円安政策を取っていて、自動車など輸出産業に有利な環境を作る目的があった。それはもう失敗に終わりつつありますが(多くの大企業は海外での生産体制をかなり進めていますから)、円安の結果、天然ガスや石油などの輸入価格が高騰し、それが燃料費の占める割合の高い銭湯を直撃したわけです。
そうでなかったら、もう少しは持続できた銭湯もあったのではないでしょうか。
お年寄りなどは、スーパー銭湯より近所の銭湯がいいという方が多いのでは、などと残念な思いが湧いてしかたありません。

投稿: やいっち | 2014/03/30 03:19

「立山・剣岳の登山者達、全国の山仲間の馴染みの銭湯でもある」と読んで、これは私が生涯最初に入った銭湯かもしれないと思いました。着替えた服がまた同じようなものだったのでさっぱりと言う感覚とは遠かったかもしれませんが、神岡から廻ってきてマス寿司を頬張って、夜行に乗る前に二月の駅前から向かって右側の商店街で飲んだと思います。記憶は定かではありませんが、懐かしい富山の思い出です。恐らく、1978年ごろではないかと思います。

投稿: pfaelzerwein | 2014/03/30 04:28

子どもの頃は、東京でも当たり前だった銭湯も、ひとつ…また一つと姿を消していきました。
そんな中で以外にも銭湯が点在している所が東京にもあったんです。北池袋です。ここは、バスなしの昔ながらのアパートが多いせいか利用する人が多いみたいでした。
去年まで主人の仕事場が、銭湯近くのマンション6階にあり、風向きによって煙突からの煙が入って困ったもんでした。
銭湯は、入浴時のマナーを覚えるいい場だと私は思うんですが…。

投稿: 和乃香 | 2014/03/30 14:32

pfaelzerweinさん

「立山・剣岳の登山者達、全国の山仲間の馴染みの銭湯でもある」というのは、今回、調べて初めて知りました。

ふと、昔、岩瀬浜で海水浴を楽しんだ帰り、浜の近くの銭湯で一風呂浴びてが習いのようだったのを思い出しました。

そうですか、pfaelzerweinさんも利用された一人だったのですね。
1978年。
75年か76年頃の夏、学生時代の仲間と一緒に立山にのぼったのを覚えている。雷鳥も足元に見たっけ。いかにも保護色で、自分は気が付かなかったのですが、友人が教えてくれて、この目で間近で見ることができたのでした。
78年の春に仙台を去り、上京した。
78年の2月、上京のための資金を稼ごうと、土方(人足)のアルバイトをしようとしたのですが、当時として生涯最悪の風邪(← 多分)を引いてしまい、仙台郊外のアパートで寝込んでしまった、そんな記憶がよみがえってきました。

駅前は、富山駅が新幹線駅となるということで、主にビジネス客を当て込んで、一層、食堂街として発展しています。夜は、吾輩もタクシーで流すエリアでもあります。

投稿: やいっち | 2014/03/30 21:54

和乃香さん

池袋が銭湯の点在している地域だとは初耳でした。
銭湯って、案外と東京にも散在しています。
高輪に居住していた頃、内風呂が使用不能になったとき、近くの銭湯へ通ったものでした。
夜の東京の町を散歩がてらに銭湯へ、というのは、なかなか気分のいいものでした。

銭湯の煙突というのは、昔ながらの町中のなじみ深い光景ですね。
でも、住宅が密集したりすると、その煙突(の煙)が邪魔になる。
煙突はともかく、煙を出ない工夫は不可能ではないはず。経費は掛かるでしょうけど。

銭湯は、社交場でしたね。でも、番台が脱衣場ではなく、エントランスフロアーに対するように変わった時点で、社交場ではありえなくなったのでしょう。
人びとの気質も変わったことと相関しているようにも思います。

投稿: やいっち | 2014/03/30 22:04

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