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2014/02/01

筍の家

 あれは、保育所に通っていた頃だから、ボクがまだ五つか六つだったと思う。
 ボクはお袋に連れられて、お袋の妹の家に行ったことがあった。今となっては懐かしいボンネットバスに揺られてのことだった。国道でさえ砂利道のところが 残っていて、国道を逸れてもすぐには分からない。

Takenoko

← 筍(たけのこ)   by kei

 田舎の道は、巾が細いし、道端には雑草が生い茂っている。道がデコボコしていて、前日、相当に降ったらしい雨が水溜りになっていて、バスは避けようもなく、勢いよく水を撥ねるのだった。
 少しずつ、坂道が急になり始め、両脇の林が道に覆い被さるようになっていく。まだ、昼までには数時間はあるはずなのに、生い茂る枝葉で周囲が暗くなったりする。

 ボクはお袋と一緒なのに、段々、心細くなってきた。このまま、何処かの山の中に置いてけ堀を食らうんじゃないかと思われてきたりした。
 さんざん悪戯などして、お袋をてこずらせたし、家の手伝いもろくすっぽ しないガキだった。畑で働くお袋にお小遣いをせびって、とうとう怒らせて、ナスの実などを切るハサミを持つお袋に何度、追いかけられたことか。
 とうとうボクはお袋に呆れ果てられてしまったんだ、妹のところだなんて言ってるけど、嘘っぱちで、実は、何処かの怖い家に置き去りにされてしまうんだ…、そんなふうに思って、知らず知らずシャツの裾をギュッと握り締め てしまうのだった。

 不意に空が開けてきたと思ったら、バスは無理やり切り開かれたような赤茶 けた場所に止まった。
 その頃には、バスの客はお袋とボクの二人だけになっていた。
 そうだ、今、思い出したけど、バスには若い女性の車掌さんが乗っていたんだっけ。ボクはそんなことさえ、忘れ果てている。覚えているのは、運転手の 帽子とか制服の肩だけ。
 車掌さんは、スカートだったかパンツだったかもハッキリしない。
 ボクらが降りると、バスは、排気ガスの臭いを残して、さっさと走り去ってしまった。  
 ボクは、追いかけていきたい気分だったけど、バスは、鬱蒼とした林に飲み 込まれて、あっという間もなく消え去ってしまった。車道も闇への通路に過ぎな いようで、立ち竦むばかりだった。

 お袋に手を引かれて、二人が並んで歩くのがやっとの急峻な杣道(そまみち)をドンドン 分け入っていった。とある曲がり角には古びた小さな祠があって、お地蔵さんがにこ やかな表情を湛えて立っているのが妙に印象的だった。
 いざとなったら、ボクはここに逃げてこよう、きっとお地蔵さんが助けてくれる…そんなことを思ったことを覚えている。
 が、そんな思惑など、すぐに吹き飛んだ。道が幾重にも曲がりくねっている し、脇に逸れる小道が何本もあるので、とてもじゃないけど、一人ではバスの停留所へ戻れそうにないのだ。

 三十分ほども歩いたろうか、お袋が、「ここだよ」とボクを促した。
 ボクにはそれが家(うち)と いうより、祠を大きくしたような、雨露を凌ぐためだけのボロ家にしか見えなかった。 ほんのちょっと風でも吹こうものなら、吹き飛ばされるに違いなかった。
 そんなところに、叔母さんと小父さんとの二人きりで暮らしているなんて信じられなかった。
 そろそろ梅雨の季節を迎える頃だったはずだけれど、涼し いというより寒いくらいで、道端に雪が消え残っていてもおかしくない、そんな寒さが身に沁みていた。

 お袋が家のほうに声をかけるまでもなく、家から二人が出てきて、出迎えてくれた。二人は、お袋との挨拶もそこそこに、ボクをにこやかに迎えてくれた。 その優しささえ、ボクには怪しいものに映っていた。最初は、暖かく持てなし ておいて、お袋が去った後、途方に暮れるボクを……
 もう、ボクは疑心暗鬼の塊になっていた。懸命に笑顔を作ろうとしたけれど、 頬が強張っているに違いなかった。

「あれから二年かね。早いもんやね。随分、大きくなって」
 叔母さんは、棚から竹篭を持ってきて、テーブルの上に置いた。中にはお菓子が山盛りになっていた。
 お袋との遣り取りを聞いていると、どうやら、ボクを歓待するために、わざわざ里まで降りていって、ボクのために飲み物やらお菓子やらを買い揃えてくれたら しいことが分かった。
 それさえも、ボクにはわざとらしかったけれど、でも、 お菓子はドンドン食べていった。お腹が空いていたし、何か食べていないと不安な気持ちが治まらないのだった。

 お昼には裏山で千切ってきた笹の葉を適当に洗って、叔母さんが作ったおに ぎりを挟んで食べたりした。笹の葉の香りがおにぎりの米粒と絡んで美味しくて、 どれだけ食べても、もっと欲しくなるのだった。

 一頻り、お袋と小父、叔母の三人のお喋りが続いたが、そのうち、小父さんがボクを連れて家の裏手へ向った。小さな家だと思っていたけれど、裏の庭や 畑がびっくりするほど広いのだった。
 ボクは小父さんの手で山の中に……?

 小父さんは、木や竹の切れっ端を小刀で器用に切り出し、何本かの細い棒を 作り出した。ボクには手品みたいな手捌きで、あっという間に竹とんぼを作っ たり、輪ゴムを飛ばす鉄砲を作ったり、虫篭を作ったりしてみせた。
 そう、昆虫採集に行こうというのだ!

 ボクは、初めの不安などどこへやら、小父さんに誘われるままに、竹鉄砲で輪ゴム飛ばしをしたり、森の中のいろんな昆虫を掴まえたりした。
 森の斜面を下っていった先の小さな清水の湧き出し口で手で掬って、冷たい、でも、美味しい水をゴクゴク飲んだりした。
 何の種類なのかボクには分からない木の実をも いで食べたりして、時間の経つのを忘れて遊び呆けた。
 夢中だった。夢のような世界があった。

 そんな日中の時も、過ぎてみれば呆気なくて、早くも夕餉の時になっていた。
 囲炉裏の周りでグツグツ煮える鍋料理を前にしていた。材料には、事欠く はずもなかった。ありとあらゆる山の幸がタップリと煮られ、いつの間に採ってきたものやら、ボクには名の分からない魚の肉も投じられ、御飯を何杯、お代わりしても、飽き足りないのだった…。

 そして、夜。
 そう、問題の夜だった。幸い、まだお袋は残っていた。
 ボクの予想では、何かの用事があってお袋はボクを置いて先に帰ってしまうはずだっ た。なんだか、肩透かしを喰らった気分だった。そうか、ボクが寝静まってから、お袋はこっそり去っていくのだ。そうに違いない!
 ボクは、一晩、決して寝ない覚悟だった。寝たらお終いなのだ。それを潮に、 お袋は姿を消してしまう。そんなことをさせてなるものか!

 が、不覚にもボクは、床につくまでもなく、あっさりと寝入ってしまった。 それも、他の三人は、まだ起きてお喋りしていたはずだから、三人がいつ、ど のようにして寝たのかも、さっぱり分からないまま。昼間、遊び呆けてしまったのだから、無理もないのだけど。
 ただ、あまりに早く寝付いたものだからか、それとも、鍋料理の汁をあまり の美味しさに腹一杯飲みすぎたせいか、尿意で目が覚めた。真っ暗闇の中だっ た。ボクは、囲炉裏の間で寝入ったはずが、気が付いたら、お袋と並んで寝て いた。

 あんなに小さな家に見えたのに、部屋が幾つもあることに驚いたものだが、 そのうちのどの部屋に泊まっているのかなど、まるで分からない。トイレは、 囲炉裏の間の脇を抜けた、土間の隅にあることは分かっている。が、 その囲炉裏のある部屋が真っ暗闇ということもあり、さっぱり分からないのだ。

 お袋の寝息が聞える。さすがにお袋も疲れたのだろう、寝息というより、軽い鼾だったかもしれない。とても起こすわけにはいかない。
 起こしたら、それこそ薮蛇で、お袋が<用件>を思い出してしまうかもしれない。そんなこと、できるはずもない。

 ボクは静かに起き上がった。闇というものが、気の遠くなるほどに奥深く、 濃く、掴み所のないものだと、初めて知った思いだった。虫が入らないよう、 窓もしっかり閉じられているようだった。夕餉の前だったか、トイレに立って、 外を便所の窓から見上げた時、月が出ていたはずだった。外が青白く、透明な輝きに感動したのを覚えている。
 近くの作業小屋の屋根の上では、勝手に居ついてしまったという猫が月光浴していた。

 ところが、その頼りの月の影が消え去っていた。あるいは、たまたま目覚め た時、雲に姿を遮られていただけなのかもしれない。墨を流したような、どこまで分け入ってもどす黒い液体が目にも肌にも髪にもしつこく付 き纏うような、性質(たち)の悪い闇があるばかりだった。

 手探りだけが、闇の世界を進む術(すべ)だった。足をそろりそろりと畳を擦るように進めるしかなかった。
 一体、どれほど進んだろうか。不意に爪先に奇妙な感触を覚えた。板か棒っ 切れのように突っ立っているようでもあるけれど、どこか撓るようでもある。 乾いているようでもあり、濡れているようでもある。サラサラと滑るようでも あり、ザラザラとしたささくれ立った表面とも感じられる。

 その時だった、急に足元が明るくなった。光の細い帯が幾重にも折れながら、 家の中を伝っているのだった。
 月光!
 板壁の透き間から洩れ入る月の光に浮かんだものは、筍だった。し かも、その筍は、囲炉裏のすぐ脇の畳から顔を出しているのだった。
(こんなもの、あったっけ)

 どう、記憶を辿ってみても、あるはずがなかった。無論、筍が床に落ちているわけじゃない。畳の変に盛り上がった状態からしても、床下から生え出てきたに違いなかった。
 ボクが寝入った頃にはなかったはず…
 夕餉の時など、なんとなく、お尻の下がムズムズするような気がしたけれど、座布団の綿がおかしいからだろう程度に思っていたのだが、もしかしたらその頃には、頭の天辺くらいは突き抜けていたのかもしれない。

 でも、そんな場合じゃなかった。オシッコが洩れそう。ちびりそうだ。月光が幸いしている間に、便所へ行ってこないと。真っ暗闇の中でオシッコなんて、 怖すぎる。戻るのも難儀のはずだし。

 幸いにして、ボクが寝床に戻る間も、お月さんは光の帯を垂らしてくれていた。
 その後のことは、何も覚えていない。ボクが置き去りにされるなんて心配も、 夢見心地の中に掠れ去っていた。
 朝…だった。光が満ち溢れていた。それより、やたらと煩いのが気になった。

 お袋は……? 隣りの寝床に居ない。
 ああ! もしかしたら…!
 ボクは慌てて、みんなの声のする囲炉裏の間のほうへ走っていった。
 そこには小父や叔母だけじゃなく、お袋もいた! 

Neko

→ ぽりぽり   by kei

 みんな、囲炉裏の脇を見詰めて指差したり、笑ったりしている。見ると、それは筍だった。もう、到底、筍とは呼べないほどに育っていたから、竹と言うべ きかもしれない。畳をこれでもかというくらいにあちこち引き裂いて、30センチほどもの雄姿を誇っている。畳の下は、一体、どれほどあるのか……
 小父さんの話だと、50センチはあるはずだという。
 ということは、土の下も考えると、一メートルにもなろうという竹なのだ。

 朝は、もう、その話で持ち切りだった。小父さんたちによると、よくあるこ とだと言うことで、余裕の笑いを浮かべているのだった。
 その日は、お袋が家で用事もあるし、ということで、ボクらは朝食だけ戴い て、朝のうちに帰った。お土産は、タップリの筍だったことは言うまでもない。
 それにしても、ボクが置いてけ堀を食らわなくてよかった?!


                                   (04/06/14 作

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