赤いロウソク(後編)
その名案というのは…。
親戚の家の仏壇に赤いロウソクがあった。何かの法事で使ったとか云ってた。その燃えカスを…。
ボクにはもうとても神社の裏手に一人で突っ込んでいく勇気などなかった。いったん、楽な考えが浮かんだらなおのこと、前に進む気力は涌こうはずがなかった。
誰も見ていない!
お婆ちゃんに、神さん仏はんは、人間のやることなすこと、みんな、見とんがんぞ、なんて繰り返し諭すように云っていた、呪文のような言葉が脳裏を駆け巡っていた。
そうながか。千手観音の無数の手や腕がボクを雁字搦めしていた。
ためらう心さえ、ボクの足を止めることはできなかった。
あと一歩のはず、という思いが足枷のようにボクの足を重くしていた。でも、怖いという思いにはかなわない。ボクはそんなことさえできない奴。ありったけの勇気を振り絞ろうとしても無駄だった。今、思い返してみると、あの爺さんの「何か足りんのー」という謎の言葉が効いていたようだ。
粘着く足取りだったけど、段々早くなるのが自分でも滑稽だった。恥ずかしいと思うべきなのに。
帰り道はあっという間だった。崖を真っ逆様に転がるように戻ってきていた。おじちゃんの家の灯りが懐かしかった。ボクだって冒険したんだ、そう言いたかった。ただ、手には何一つ収穫がない。手ぶら。
そうだ、帰ってきたからって、それでいいわけじゃない。赤いロウソクだ。燃え残りでいいんだ。
みんな、居間のほうに集まっているようだった。台所にも明かりが灯っている。なぜか、勝手口の木戸が開いて、ギーギー鳴っている。誰か外に出ているのか。
立派な生け垣に沿って屋敷の裏手に回った。納屋や土蔵、昔は馬小屋だったという藁の詰め込まれた小屋を伝いながら、裏の縁側の前にきた。カーテンを透かして居間の灯りが漏れていた。縁側の廊下に面する座敷の奥に仏間がある。
さて、どうやって忍び込むべきか。
それにしてもやけに慌ただしい雰囲気が漂っていた。夕餉の前の団欒、賑やかさと言うのとは何か違う。
ボクの頭の中は赤いロウソクのことでいっぱいだった。手ぶらじゃ家に入れない。みんなにあわせる顔がない。
チャンスをうかがって息を潜めるしかなかった。蚊の奴がボクの顔やら足やら腕をところ構わず刺しやがる。
すると表の方が一層、慌ただしくなってきた。色めき立ってると言ってもいいほど。みんなの口々の声が殺気立っている。神社とか、灯籠とか、云っているような。おじさんの叱りつけるような声さえ聞こえる。何かあったのだろうか。
そのうちみんなが玄関を飛び出して行ったようだった。
シーンと静まり返るお屋敷。チャンスだ、今なら誰にも気付かれずに仏間に入り込める!
奥の床の間に大叔母さんが臥せっているだろうけど、それはごまかせる。
改めて玄関の方へ回っていって、中の様子を伺いながら、障子戸や板戸などを幾つも開き、廊下をしのび歩きして、奥の仏間を目指した。
心臓がバクバクしている。喉がカラカラ。まるで泥棒している気さえする。
でも、恥をかかないためには、何としても赤いロウソクが欲しい。
と、ここまで来てふと疑問が浮かんだ。
ホントに今も赤いロウソクの燃えカスが残っているがか…。とっくに捨てたってこと、ないがか。
ある! あってもらわんにゃ困る!
シーンと静まり返った屋敷の奥へ、奥へ。座敷の襖を開けて、いよいよ仏間だ。
暗い!
座敷までは、居間の灯りが少しは漏れているし、縁側の外から街灯の灯りが障子紙をやんわり照らしている。暗さに慣れるに連れて、ゆっくりなら進めたけれど、仏間を覗き込んだら、そこは真っ暗闇だった。仏間には窓が一切、ない。
仏壇のロウソクの燃えカスを入れる銅か何かの金属製のお椀の形をした器にすっかりちびった白や赤のローソクの燃えカスが収められていたはずだなのだ。
もう、すり足差し足そして手探りで探すしかない。お椀さえ手にしたら、中のロウソクを全部、持ち去ればいいんだ。
不意に玄関のほうで賑やかな声が聞こえてきた。何処へ行ったがやら。あんにゃら、ちゃんと連れてこんにゃあかんかろがい!だって、すぐに戻るはずだったがやし。神隠しなんてことないよな。何をそんな。でもよ、あんだけ探したがに見つからんってことは。警察に頼んだほうがいいがないが。警察だと、大袈裟な。でも、もう、真っ暗やぜ。8時、回っとるにか。
何か大事があったみたいだった。でもボクはそれどころじゃなかった。とにかく、今は赤いローソクなんだ。溝(どぶ)に墨を垂らしたような真っ暗闇の中で手探りが続いていた。畳に這い蹲って、匍匐(ほふく)前進していた。ああ、誰か来ないうちに早く!
ようやく、ローソクを手にした。やった! すると、不意に座敷が明るくなった。
そこにおんが、誰け? あれ、ボクじゃないが! そこにおったがけ。
声の主はチヨちゃんだった。仏間で何しとんが、みんな探しとったがやぜー。
チヨちゃんは仏間の灯りを点けた。闇が真っ赤に燃え上がった。目が痛いくらいになった。
赤いロウソク…という呟きが出てきただけだった。
赤いロウソク? それがどうかしたが。もう、みんな大騒ぎしとったがやぜ。
みんな! ボク、ここにおったよ ! !
あああ、そんな大声で叫ばなくても。
すると、みんな駆け寄ってきた。小父ちゃん、小母ちゃん、アンちゃんやタッちゃん、そして母ちゃんも。
母ちゃんは、何、しとんがいねー、みんなに迷惑かけて。と、怒った顔を見せていた。小父ちゃんたちは安心してか、顔は笑っていた。あんにゃ、ここで寝取ったがけ? と、タッちゃんが声を掛けた。
まさか、ねー、とチヨちゃん。みんなより遅かったはずやし。探しに出る前、家の中、見て回ったがやし。
そうだよなー。あんにゃ、何処におったがよ。
何処にって…。ボクは返事に窮した。赤いローソクを取りに仏間まで忍び込んだなんて、云えるはずもなかった。
赤いローソク…と、ボソッと。
はーん、ゲットくそになって、赤いロウソク、取ってきて、それでここで休んどったがかー、とアンちゃん。
ボクは曖昧に頷いた。
そうか、なんとか、やり遂げたんやな、それだけは感心だ。
何、云うとんが! あんにゃら、神社のお供えで遊ぶからこんな騒ぎになるがやぞ! バチが当たったがや。まあ、無事だったからいいようなもんやけどな。
小父さんがボクじゃなく、アンちゃんらを叱った。
お袋は、呆れてか、安心してか、居間へ向かった。
チヨちゃんは優しく、何も食べ取らんがやろ? お腹(なか)、空いたろ、あっちで何か食べられま、と言ってくれた。
やっぱりチヨちゃんだ。バツの悪かったボクを促してくれた。
意気揚々というわけにはいかないけど、男のメンツがギリギリ立ったという思いで台所に向った。
お袋が味噌汁を温め直している。チヨちゃんもご飯を盛ってくれている。ハエ取り紙が網戸越しの風に揺れている。賑やかな夕餉の時が始まる。
お袋は食事の用意が済むと、みんなの居る部屋へ立ち去った。チヨちゃんとボクの二人が台所に残った。
ああ、大好きなチヨちゃんと二人きり。チヨちゃんに世話してもらっている。こんな最後が待っているなんて、夢にも思わなかった。
味噌汁を啜ろうと、お椀を手にした時だった。チヨちゃんがボクの耳元で囁いた。
あの、赤いロウソク、わしが持ってきたがよ。アンちゃんやタッちゃんたちがお菓子、全部、取ったもんだから、赤いロウソクのちっこくなった奴、持ち帰るしかなかったがやちゃ。
そして悪戯っぽく笑って、チヨちゃんも居間に向った。
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