雪の朝の小さな旅
あれは三八豪雪(さんぱちごうせつ)があった、その翌年のこと。。
その頃の私は暇さえあれば、雪原の世界を歩いて回るのが好きだった。時には、未明の朝などにこっそり家を抜け出したりもした。
あの頃はまだ雪がタップリ降っていた。田園地帯の一角に位置する農家だ ったけれど、ともすると一階の窓からは降り積もる雪に視界が遮られて外には何も見えなかったりする。
降る雪だけではなかった。屋根から落ちる雪、雪降ろしで堆積した、除雪した雪などが積 み重なっていた。しかも、建物に面する雪の山は夜半を過ぎると、凍っていって、粗目(ざらめ)のよう な、それでいてツルツルに磨きたてられたような、不思議な雪の姿を見せつける。
不思議なのは、視界が完全に塞がれているにも関わらず、夜になり部屋の明か りが消されると、外がボンヤリとだけれど、明るく輝いているように見えることだ。分厚い雪の堆積を透かして外部の光が漏れ込む? だけど、真夜中だったり 明け方だったりするのだから、外は暗いはずなのだ。
障子戸の外が妙に明るい。雪が白いから、なんてのは子供にも納得できる説明ではな かった。雪の欠片の中に光が閉じ込められている。
昼間とか、家の中が明るい時は、そうした真綿で包まれたような雪の光は大人しくしている。だけど、一旦、 夜ともなり家々の明かりが疎らになり、やがてポツンポツンと凍えるように灯る電柱の蒼白な光しかないようになると、雪に籠っていた蛍の光は命を燃やし始めるのだ。
とっくに玄関の鍵は閉められている。家族の誰も皆、寝入っている。自分は眠れなかったわけではなく、早々と寝入っていた筈なのだけど、何故かはしゃぐよう な気持ちの昂ぶりがあって、起きるはずのない時間に目覚めてしまう。
すると、障子越しに蒼白い光が部屋の中に漏れ込んでいることに気付く。目を開けた瞬間、最初は暗闇だったのが、 次第に薄明に変わって行く。いつしか眩いほどに満ち溢れる。まるで光の洪水だ。
光の洪水。だけど、決して騒々しいものではない。むしろ静か過ぎるほどだった。外の世界に漲っていた光が、窓のほんの僅かの隙間を通して足音を忍ばせて流れ込んできたのだと思われた。そして部屋の中が青い光で溢れかえっているのだ。
とてもじゃないけれど、じっとなどしていられなかった。気配を悟られないようにと静かに起き上がって、 アノラックを羽織り、長靴を履いて、ついでにスキー板をも手にして、 玄関の鍵を息を殺して静かに開ける。誰も気がつきませんように。
そうそう、手袋は忘れちゃならない。
外に出ると、世界は白銀と紺碧の空が広がっていた。たっぷり積もった雪の中にさえ、空の青が浸み込んでいて、青一色の世界に感じられた。
空は晴れ上がっていた。きっと、そんな時だから尚のこと、外の世界への憧れ、遠い世界への郷愁の念が強まったのだろう。
北陸の空は、冬は常にといっていいくらい雲が重く垂れ込めている。どんより とした陰鬱な空。浜辺などに立つと、波も猛々しくて、荒涼の感をひしひしと覚 えてしまう。平野部にあっても、そんな北の空が感じられて、思わず人恋しくな ってしまう。でも、はるかな世界への誘いは魅惑に満ちている。
そうだ、その朝は、北陸の冬にはめったに恵まれない星の瞬く空だったのだ。 何かそんな空が自分を待っているような予感があって、それで不意に目覚めてし まったのかもしれない。
満天の星。悲しいかな、月が照っていたかどうか、まるで覚えていない。冬な らではの無数の星たちの煌きばかりが印象に残っている。そしてそれで十分な僥倖だったのだと、今にして思う。
家の周りは田圃や畑や野原が広がっていた。それが今ではマンションや工場や 駐車場となってしまって、ほんの僅か残った田圃や畑が肩身の狭い思いをしているだ け。我が家にしても猫の額ほどの田圃さえなくなってしまった…、父母さえもこの世の人ではなくなって…。そんな日が来るなど、あの頃は夢にも思わなかった。
前の晩に降ったのだろうか、一面が新雪の原になっている。銀色一色の世界…。決してただの絵空事の表現ではないことを実感する。
子供だった自分には茫漠すぎるほどの世界が見渡す限り広がっていた。スキー板を履いて、表面が凍り始めている雪面を歩く、滑る、走ってもみる。かすかに 畦道らしき起伏があるだけの、キラキラと白く輝く世界。夜空が地上世界の強烈な光のシャワーに圧倒されてしまうのではと思えるほどだった。
けれど、冬の空は、何処までも青い闇が深い。星の瞬きが天空の底知れない深さのゆえにか、目どころか心の中をも射抜くほど強烈に感じられる。
淋しい! だけど、まるで自分が故郷を捨て去ったかのように、我が家をあとにして遠くへ遠くへと滑っていく。
音のない世界。音が生まれようとしても、雪の中に吸い込まれていく。耳が痛 いほどの沈黙の世界。そんな中、スキー板が凍て付く雪面を削る音だけが、響いては消えていく。生きる証しは、そのガリガリという音、そして純白の霧を吐く、息の音だけのようにさえ、錯覚されてしまったり。
だから、走ることを止めることはできないのだ。この世界に明かりの灯る家は、 ほんの数えるほど。ホントはもっとあるのかもしれないが、雪に埋もれて外には洩れてこないのだ。
それでも、走っているうちに橙色の灯りを遠くに見つけることがある。あれが 目的地だ! なんとなくそんな気になってしまう。当てどなく走っていたのが、 そこに筋道が出来たような気がする。はるかに遠いあの弱々しげな蝋燭の焔に会 いに行くのだ。蛍の光にも似た命のささやかな慄きに触れに行くのだ。そのために生きているような、そんな気さえしてくる。
でも、所詮は臆病で引っ込み思案の自分だった。スキーの板の描くシュプール は円を描いて、思わず知らずの内に我が家へと向っている。
空が白みかけている。もう、帰らないといけない。誰にも気付かれないうちに 家に入って、蒲団の中に潜り込むのだ。体は火照って汗さえ滲んでいる。
そうそう、鍵を閉め忘れちゃダメだぞ。
そうして、朝になりお袋に起こされるまでの残り少ない眠りの中で、勇気がなく て実際には行けなかった、はるかな彼方へ、それとも限りなく透明な青い空へと 旅する夢を貪ったのだった。
参考:「真冬の明け初めの小さな旅」(04/02/02)
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