暗中模索も楽しからずや
一昨日より、あのフラクタル理論などの創始者であるベノワ・B.マンデルブロ著の『フラクタリスト―マンデルブロ自伝』(田沢 恭子【訳】 早川書房)を読みだしている。
→ 「左上:場所 a の拡大図,右上:場所 b の拡大図,左下:場所 c の拡大図,右下:全体図」 (画像は、「マンデルブロ集合 - Wikipedia」より)
欧米の書き手の自伝の常として、彼の生前、つまりは一族の前史から書き始めるので、読み始めて二日目の今日、既に130頁以上、読んでしまっているのだが、まだやっと少年期を脱したところである。
「マンデルブロはポーランドに生まれたが、幼少時に家族とともにフランスへ移住した。フランスとアメリカの二重国籍を持ち、教育はフランスで受けた」とあることで容易に察しがつくように、文字通り激動の時代を激動に弄ばれる地で一家(一族)が生き抜いてきた。
彼の父や母などの知恵や決断力もあるし、親戚の助けもあるし、知遇を得たひとや見知らぬ人に助けられたこともある。幸運に恵まれたこともあったが、よくぞ生き抜いたと感嘆させられる。
幸運に恵まれたとはいえ、また、本人の知的関心や嗜好もあるとしても、決して教育環境に恵まれたとは言えない。才能…特に数学の天賦の才能は子供の頃から目立っていたのだとしても。
少なくとも少年期までの本書はポーランド生まれ(但し、家系はリトアニアからの移民)の彼(ら)の生きた激動の同時代史としても読めて面白い。予想外の収穫だった。
この辺りの概要は、「ブノワ・マンデルブロ - Wikipedia」の「幼少期から青年期まで」なる項目で窺い知ることができる。
本書、いよいよ彼の本領発揮となりそうな雰囲気。これからも読むのが楽しそう。
[閑話休題]
以前、以下のように書いたことがある(「バブルのツケの清算」より):
詳しくは書かないが、90年頃から引きずってきた大きな負担要因に決着をつける決断を一昨日、下した。
まだ決着を見たわけではないが、一旦、方針が決まったからには、なんだか肩の荷が下りたような気がする。
長い長い苦しみの日々だった。どんな日もどんなに嬉しいことがあった日も、その負荷が自分の足を大地にめり込ませていた。
決断し、ケリを付けるという覚悟が決まると、なんだもっと早く踏ん切りがつかなかったのかと逆に不思議に思えてしまう。
バブルのツケがやっと清算できる…はずなのである。
庭木の剪定のように、こちらのほうも、素人の知恵と経験で片づけるとなると、至難の業だったのだ。
二十年ぶりのほんの少しの光明となるかどうか。
← 「マンデルブロ集合内外におけるジュリア集合」 (画像は、「マンデルブロ集合 - Wikipedia」より)
やや時間が掛かったがようやく形が整う道筋が見え、形が成るギリギリの段階に来た。
引き摺ってきた肩の荷をようやくおろせる。他人からすると、だから何ってことだろうけど、当人には大問題。
思えば皮肉なもので、この件の発端の時期と小生がワープロを導入し執筆(創作)活動を始めた時期とがほぼ重なっている。
というより、ある種の覚悟もあっての90年の決断だったのだから、偶然とか皮肉とかじゃなく、連動していたのである。
ただ、東京に骨を埋める覚悟の場を富山に移したという大きな違いは今や決定的に生じた、とは云える。
創作についても、東京で遠い富山、あるいは遠くなった昔の幼少期を想うという構図ではなく、地元富山にいて、富山という土壌の中で空想ではない富山を地盤に書くという構図に変わる。
未だ道は見えないけど、暗中模索も楽しからずや、である。
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コメント
引用の弥一さんの文句覚えています。
なにか人生で重大な決断をされるんだなあ、と。
解決の糸口が見えましたか、それは良かった。
ワープロというのが世に出たのが、僕が修士論文書くときで、研究室でもワープロ使う場合は、と議論ありましたね。
僕は原稿用紙に手書きでしたが。150枚が修士論文だった、注を入れて。
さて、弥一さん、数学の本がお好きなのかな。
僕は最近アーレントにはまってます。
岩波ホールでアーレントの映画やったし。
投稿: oki | 2014/01/07 23:02
okiさん
バブルのつけ、目途は付きましたが、だからといって、一気に明るい未来が展望できるわけじゃない。
まあ、暗い要素が一つ、減るかなということです。
小生、大学の卒論で手書きに辟易しました。
わずか50枚の卒論だったけど、不器用な小生、手先に目いっぱいの力を入れてしまうので、書き直しを二度三度やるうちに腕があがってしまった。
自分には手書きは合わない。
88ねんごろ、友人らが仕事でワープロを使っているのをみて、うらやましく感じ、自分にも使えるかもと感じ、89年の成人の日、秋葉原でソニーのワープロを買ったのでした。
ワープロを入手したことで、書く上での腕の心配がなくなって、創作に集中することができた。
(それと、手書きだと、自分が書いたのに後で読めない、なんてことがしばしばだったけど、そんな不都合もなくなったし!)
投稿: やいっち | 2014/01/09 21:29
卒論が50枚!
東北大学ってそんな少ないんですか。
東大倫理学の場合は100枚ですよ。
教授が誤字はしないでくれ、と中間報告会で言いましたが、必ず自分で書くと誤字は出ちゃうんですよね、何度も見直ししても、いやいや。
投稿: oki | 2014/01/09 22:54
okiさん
小生、卒論、二回、書いてます。
一度目は、創作めいた「闇の世界へ」。
これは断固、卒論としては却下。
なので留年。
次の年は、一応はヴィトゲンシュタインを扱ったもので、「言語の自律性について」。
これはかろうじてパス。まあ、温情でしょう。
どちらの卒論(?)も50枚前後。
何度も書き直したので、それぞれ下書きも含め、数百枚は書いてます。
下手な字で書いたので、教授連、読むのも読解するのも難儀だったろうなーって、思います。
投稿: やいっち | 2014/01/13 02:25