面影が消えていく
近所の民家が今、取り壊し中。いよいよ更地に近くなってきた。
聞くところによると、コンビニに生まれ変わるとか。
その家は旧家。一族は近隣でもお金持ち・土地持ちで有名。不動産屋さんも経営している。
街道沿いにあるその家は、立派な塀に囲まれた立派なお屋敷。
塀は、まるで武家屋敷のような岩組みの上に板塀。むろん、瓦屋根の塀で延々と続く。別に武家の家ではなかったようだが、戦後、武家屋敷風に建てたのだろう。
黒板塀(?)が屋敷をぐるっと巡っている。板塀の中はどうなっているのだろう。少なくとも表側の塀は、内側を人が一人、歩けるほどの空間があったはず。
近隣は(我が家もだが)戦災で全焼している。戦争で焼けるまでの家屋敷はどのようだったかは聞いていない。
屋敷の中には、樹齢数十年以上の杉並木があって、屋敷を囲繞していた。松や泰山木など、いろんな樹木が鬱蒼と。
雑草も生えていて大変だったろうが、秋ともなると落ち葉も凄まじくて、特に強風の吹き荒れた翌朝など、お屋敷の方が早朝からせっせと落ち葉掃除。
昔は賑やかだったのかもしれないが、いつしか年老いたご婦人の一人暮らしになっていた。広い敷地の広い屋敷に一人で暮らして、どんな気持ちだったのだろう。
土地がある家とて、二階建てにする必要はなかったが、我が家もだが、屋根に空間があるので、屋根裏部屋のような部屋を設けてあった。その窓に明かりが灯ることは近年、全くなくなっていた。
足がやや不都合があったから、屋根裏部屋にのぼるのも難儀だったのだろう。そもそも上る意味もなかったろうし。
最後まで屋敷を守っていたご婦人も、この数年、ほとんど姿を観なくなった。仄聞するところによると、デイサービスそして何処かの施設に入ったとか。
御屋敷の内外の掃除は、近所の方に依頼されていたらしい。
御屋敷の中には、土蔵が幾棟か建っていた。
読めもしないのに小生は古文書が気になってならない。土蔵(蔵)の中には古文書が整理されないまま、埃をかぶっていたに違いない…などと勝手に思っていた。
戦争で家屋敷が全焼した、その際に蔵も損壊したのかどうか、それは分からない(確かめたことがない)。
旧家といっても、武家だとか、庄屋(名主)だとか、そんな家柄ではなかったので、大した文書はもともとなかったのか。
尤も、おカネはあったので、お宝の類は結構、あったらしいのだが、ドラ息子が居て、カネメのものは全て持ち出されてしまったと聞いている。なので、残っているとすれば、貴重なものは古文書だけなのだが、実態は分からない。
上記したように、その屋敷には立派な杉が居並んでいて、高さは三十メートルほどか。山間ならともかく、駅からも遠くはない平野部に、これほどの杉の何本も立っている家は見当たらない。
なので、街道沿いのこの家は、近所ではシンボル的な一角だったのだ。
近所には地元のお寺がある。少なくとも江戸時代からあったらしいが、これも戦争で全焼し、貴重な文書の類はすべて失われたとか。
昔は結構、敷地も広かったらしいが、一部を小学校創建の際に提供して、ぐっと狭くなり、十数年前、戦後になった木造だった本堂も、建て替えられて鉄筋コンクリートのお寺へと変貌を遂げた。敷地も、ほぼ全てコンクリートで、昔の面影もない。
昔は我が家にも杉や松があったが(いや、今もあるが)、とてもかの家の比ではない。その杉や松も伐採したり、天辺を十メートルほど断ち切ったりしたので、相変わらず藪のような庭はあるが、すっかり淋しい状態に成り果てている。
我が家も昔は敷地が広かった(農家としては普通だったようだが)。なので、保育所が成る際に、田圃の一部を提供した(今は保育所は移転し、元会ったところは宅地になっている)。
藪や林が、野原や田圃、そして畑、でっかい庭が方々にあった昔の我が町も、ドンドン宅地化していって、ついにコンビニが来るまでになった。コンビニ空白地帯なので、便利になるし、ありがたいことだが(おカネがあったらコンビニを経営したかった)。
家の裏手にも竹藪があり、中には樹高際立つ木があって、枝分かれしている部分に近所の悪がき連中が小屋を設けた。
当時の自分はただ見上げるばかりだったっけ。その竹藪もすっかり消えて、マンションになってしまっている。
ここまで屋敷に限らず近隣の樹木などが消え去っていくと、我が家の藪のような庭を更地にするのは、何だか気が引けるようになってしまう。せめて我が家だけは昔の面影を…なんて。
家屋敷も築60年以上と、建物は近隣では一番古手。まあ、カネもないし、自然に朽ち果てるのを見守るしかないのだろう。なすすべもないし。
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コメント
東京でも、どんどん更地が増えてます。
うちの近くでも、販売中という更地沢山ありまして、ついこの前も近所の方が引っ越していかれた。
世田谷区なのですが、狭い道で、大型の車も入れないし、更地にもできずに、売却物件となる家も多いです。
しかし、不動産会社は儲かるだろうなぁ。
はっきり言って、住友不動産なんか、毎日チラシ入れてます。
チラシ毎日印刷できるわけですから金がある。
お互い先祖代々の土地は死守しましょう。
投稿: oki | 2014/01/19 20:54
okiさん
東京は、高齢化が急激に進んでいるとか。団地などの高齢化も問題になりつつあるとか。
富山ですら、不動産屋が次々とやってくる(らしい)。
新幹線が来ることもあるけど、一人暮らしの家、空き家が多いから、商機と見ているんでしょうね。
少子高齢化、人口の急激な減少。
観光客を増やすことも大切だけど、移民政策もそろそろ現実化するかもしれない。日本も変貌していくんでしょうね。
そもそも日本は、渡来人があって活性化してきた。
それこそが歴史だとすると、多様性・多民族性を尊重することこそが大切なのかもしれない。
投稿: やいっち | 2014/01/19 22:21
もう何年か前になりますが、大泉の祖父の家裏手にマンションが建ち、 階うえから見る景色が 寂しくなった記憶があります。
前の秋に、放置してあった仏壇仏具を、両親の住む大阪に運んだ際
心の故郷から遠く離れてゆく 寂しい思いから
胸が苦しくなりました。
今、今日の そして明日の富山は どんなんだろうって
まとまりのつかない、深い感情と ともに
将来の不安を 感じています。
投稿: おっす!! | 2014/01/31 22:42
おっす!!さん
故郷の風景がドンドン変わっていく。
同じような体験をされた方が多いのでしょうね。
小生の今の土地にしても、目を閉じた脳裏に浮かぶ風景は、まるで違っています。
田圃や畑ばっかりの農村風景。野原もあったし、藪もあったし、何といっても道が砂利道で、雨でも降ると泥濘となって、それはひどいもの。
我が家には土間もあったし、馬小屋もあった。
近所では、今、更地になってしまったお屋敷が一番の屋敷林で有名な家。その立派な屋敷が跡形もなく消え去って、遠目にも立派な杉並木が目立っていたのがなくなって、風景が一変してしまいました。
富山(市)にも新幹線が来るということで、コンパクトシティを実現しつつある富山市。駅から近い地域には、ドンドン、新しい住宅街が出来つつあります。
人口が中心部に集まる一方、郊外は寂れるばかり。
限られた人口や資源をどう生かすか、難しい課題です。
投稿: やいっち | 2014/02/01 21:41