なぜミカンの実は黄色くなった?
裏庭のミカンの樹からミカンの実を幾つか収穫。
店で買うよミカンほどには甘くないけど、しつこくない甘さが逆に新鮮だったりする。
→ ジョン・コリア作『ゴダイヴァ夫人 Lady Godiva 』(1898年頃) Herbert Art Gallery and Museum蔵 (画像は、「ジョン・コリア (画家) - Wikipedia」より)誰かの絵を連想する?
今年は柿の木の実も豊作だった。
というより、柿の木はずっと渋柿と思い込んでいたから、豊作だった年も、収穫はせず、取っても畑の隅に実を埋めて、それこそ畑の肥やしにしていた。
ほんの数個だけ残して、冬の鳥たちの餌に。
冬の鳥といっても、恐らくはカラスなのだろう。
期待の上では何か雅な、あるいは可憐な風情の小鳥に啄まれることをと思っているのだが、その実、カラスの奴らが喰っているのかと思うと、なんだか憎たらしい。
幸い、我が家の茶の間の出窓からは結構大きなモミの木が枝を茂らせているので、死角になっている。
あたら柿の実がカラスに突っつかれている光景を目にしなくてもいいので、ちょっと救われている。
その柿の木の実だが、過日、日記に書いたように、親戚のアドバイスもあり、ちょっと試食してみたら、実に美味い。仄かな甘さが品がいい。しかも、収穫の時期が絶妙だったこともあり、固さも適度な歯応えで、店で売っても一個、百円程の値付けとなってもおかしくないと感じた。
親戚の者たちはもちろんだが、近所の畑仲間の小母さん方に全部あげた。
小母さん方の横のつながりは意外なほど広く、それこそ思わぬ方から礼を言われたりした。
ほんの数個は鳥の餌にと残しておいてほしいという伝言は伝わらず、一個残らず刈り取られてしまったのは、やや残念。
柿の実のほうは、自分ではあまり食べたいと思わないので、皆さんに分けてあげた。少しも惜しいとは思わない。
一方、ミカンの実である。
つい先日、物は試しと一個だけ捥いで食べてみた。美味しかった! ことは上記した通りである。
ミカンの樹は、裏庭だが、隣家の塀の陰になっていて、近隣の方からは(塀の向こうの隣家は別だが)見ることはできない。但し、ミカンの樹があることは、知る人ぞ知る、である。
柿のほうは、大好物というわけではないので、みんな人にあげた。
でも、ミカンのほうは、これも大好物というほどではないが、柿よりは食べる。というより、冷蔵庫の中に常時、欠かさず冷蔵してある。食後のお八つである。
せっかくなので、今冬は、裏庭のミカンを数個ずつ捥いでは冷蔵庫に収め、日々喰っていこうと思っている。
親戚にもあげないといけない。
日記には縷々書いたことだが、例年だとミカンの樹の実は正月になっても緑色だった。黄色く変色したことはかつてなかった。
← ジョン・コリア作『リリス Lilith 』(1892年) アトキンソン・アート・ギャラロー蔵 「リリス(Lilith)は、本来はメソポタミアにおける女の夜の妖怪で、「夜の魔女」、「女悪魔」とも言われ、男児を害すると信じられていた」。「現代社会においてリリスは女性解放運動の象徴の一つとなっている」とか。 (画像は、「ジョン・コリア (画家) - Wikipedia」より)
緑色のミカンを一度、試食したことがあるが、想像通り酸っぱい。
なので、お正月の飾りにしたりするだけで、ほとんど収穫はせず、これは全くの冬の鳥たちの餌だった(これも鳥が啄む場面を一度も見たことがない、でも、確かに喰われている痕跡は残っている)。
今年は、帰郷して初めてミカンの実が黄色くなった。
柿もだが、ミカンも小生は一切、世話をしていない。ミカンの樹の根元に残飯やら生ゴミを散在させることはたまにあるが、それも気まぐれでやるだけで、思いついた時、土壌を少しでも豊かにと行うだけ。
それも、毎年やっていること。
今年だけ、どうしてミカンの実が黄色くなったのか、謎なのである。
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