黄色いライン
涙は二筋に、あるいは三筋に分かれて車のボディを伝い流れ、あるいは吹き飛ばされていく。
藍色の空は街灯りの証拠だ。長いドライブの果てに、深い森を抜けて、ようやく人の世界へ辿り着くことを約束する。
そう、それまでは闇をうすぼんやり明るませる雪の原と、その背後の見透かしようのない闇ばかりが続いていたのだ。
ヘッドライトも藍色の闇から不意に生じたかのような無数の雪の礫を浮かびあがらせるだけ。
ハンドルを握る俺の心は、際限のない闇の深さ、尽きることを知らない白い魔の洪水をただ眺め竦むだけ。
山間の峠道は、それこそ縫うように曲がりくねっている。こんな天気では、真っ直ぐの道でさえ、行く手は闇と白い壁とに阻まれているかのようなのに、蜷局を巻く蛇のようにのたうつ道は車を斜面にぶつけるか、それとも奈落同然の断崖へと飛び込むか、その選択を迫っているようだ。
だが、目の前にはカーナビがある。ナビには目的地が入力されている。画面には走るべきルートが黄色い線として示されている。
ウインドー越しの光景をそれこそ食い入るように細心の注意を払って眺めていなければならないのに、自然と目は画面に誘惑されてしまう。
黒地のスクリーンに浮かぶ曲がりくねった黄色いラインがヘアピンを示している。道路の所定の枠内を走らないといけないのに、俺の神経はむしろ黄色いラインをなぞっている。
今や俺は画面上の黄色のラインの上を食み出さないよう走っているという錯覚に陥っている。
黄色のラインは現実の道路を予兆するかのように描かれている。走るべきこの先のラインもしっかり描かれている。
ウインドー越しの光景は雪の靄と闇の波との描く巨大な生き物のようだ。闇の中でこそ、その姿を現す謎の龍が今、その胴体をこれ見よがしに曝け出して俺の行く手を遮っている。
車はドンドン、龍の巨大な胴体に、いやむしろ、大きく口を開けた龍の喉へと突っ込んでいく。
どこまで踏み込んでいっても終わりのない深み。赤い闇の奥の燃え上がる炎の誘惑。
← 高橋松亭「市野倉(いちのくら)」 (画像は、「Shôtei.com Shôtei Gallery 」より。)
神経は間延びしていく。終わりのない、どこまでも後退していく藍色の闇の海。溺れたい。でも、闇は沈没など決して許さない。
ますます目は神経は画面に釘付けになっていく。黄色の道は命綱のようですらある。
握れるものなら握りたい、縋れるものなら縋りつきたい。
そう、そんな長い試練の時を経て、紺碧の空を垣間見るに至ったのだ。
次第に画面よりもウインドーに神経がシフトしていく。
そうだ、そうでなければいけなかったのだ。
(昨年だったか、仕事で雪の峠道を超えて飛騨古川へ向かったことがある。その思い出話ではなく、印象だけを綴ってみた。)
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