冬が近づくといつも思うこと
専門の業者に手入れを依頼したいという気持ちもあったろうが、近所には知り合いの(但し素人の)庭仕事をする方がいて、その人を差し置いて頼むわけにもいかない。
その方は、近隣の自分では庭などの世話をできなくなった方の手伝いをされているのだが、少なくとも造園については素人なのである。
専門の知識がないのは、全くの素人である小生が見ても歴然と分かる。表の車通りから見える生け垣も、見るも無残な刈り込みよう。
これだったら、小生がやればいいのだが、その頃は小生は東京暮らし。
既成の折に庭木の状態を観て、その荒い仕事に驚いてしまう。
父は自分でやりたかったのだろうが、もう、庭もだが、畑の仕事もできるような体力がなかった。
小生が帰郷した6年弱前の春、小生に手本を示そうと(だったと思う)小生と一緒に畑で精を出した。
キュウリなどのための育成棚を作ったり、あれこれやったのだが、案の定、それから一週間ほど寝込んでしまった。
結局、小生が帰省してからは、畑はほとんど、庭のほうは全く、知識を小生に伝授できないままに終わった。
動植物に疎い小生だが、庭や畑などに生えている我が家の樹木や花々の名前もほとんど分からない始末。
大概は、ネットに写真をアップして、ネット仲間から名称を教えてもらったものが多い(今も、名称不詳の樹木や花が結構、ある)。
小生が帰郷する数年前から父は畑も庭も世話できなくなっていた。
畑のほうは細々ながらやっていたが、庭木のほうは、専門家じゃない方に最小限のことを依頼するだけで、樹木は次第に荒れ気味になってきていた。
見る目のある方なら、三本の松の木も含め、どの木もまるで鑑賞に耐えないことが分かる。
敢えて世話し保存する値打ちはないとまで言うひとがいる。
小生はというと、それこそ素人だし、畑もだが庭にも興味があるほうじゃない(綺麗な庭園を見るのは好きだが、自分で造園するセンスがない)。
それでも、帰郷して以後の数年、形ばかりの世話をしてきた。
その詳細は後日、機会があったら書くとして、さて、冬の到来も間近である。
この数年の苦い経験で学んだこともあり、晩秋ともなると、とにかく枝葉を刈り込む。
松も杉も泰山木も、柿もカエデもツゲもアセビも何もかもである。
枝葉を刈り込んで、雪が積もらないようにするわけである。
雪囲いも雪吊りする技術も持ち合わせない以上は、枝葉を刈り込むことで積雪の被害を少なくするしかないわけである。
そして、例年、今の時期になると思うのは、表の車道沿いの庭の一角を更地にし、カーポートを作ること。
まず、植木のある庭を半分にしたい(つまり、庭の手間を減らしたい)ってこともあるが、冬、雪に降り込められる中での車の出入りの難儀を軽減したいのである。
朝、雪の中を出るのも大変だが、夜中、疲れて帰ってきても、雪が庭に積もっていて、車を止められない(入れられない)。
← 以上4枚の画像は、内庭の光景。こちらも荒れ気味なのだが、庭として死守するつもりである。
雪の夜、帰宅したら、まず除雪。その作業に一時間を要する。それでやっと庭に車を収められるのだ。
なので、最低限、一台分のカーポートを作る。車道沿いの庭を更地にする、なんてことを降雪の季節が間近になると例年、思うわけである。
とはいえ、やはり、今年も思うだけに終わりそうである。
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