秋の日と柿の木と
それでも、さすがポール・オースターの筆力で彼の『ムーン・パレス』を飽かさず読ませてくれる。
文章の力の秘密は何処にあるのだろう。
小生、5年半ほど前に帰郷した。窓の外を眺めると、田圃の際に柿の木が見える。
今では隣家の敷地の一角となった庭に立っている一本の柿の木。
ガキの頃、どれほど飽かず眺めたことだろう。
秋も深まると、葉っぱも落ち尽くし、カキの実も鳥に喰われたのか、それとも、人が捥いだのか、ほんの一個か二個ほど、枝にぶら下がっているだけになる。
真っ青な空を背景に、妙に寂しい後景に映った。
ふと、十年余り前に書いた小文を思い出した。
まだ、東京在住時代のことで、遠く東京の狭苦しい一室で、故郷の光景を思い起こしつつ書き連ねたのだった。
→ 魚津の海辺にて。
「秋の日と柿の木と」
秋も深まってくると、小生は田舎の風景を思い出す。
裏の田圃に面した小さな畑の端に、一本、ポツンと柿の木が所在なげに立っている …、という風景である。
柿の実をもいだ後は、秋の日に特有の抜けるような青い空に、葉っぱも落ち尽くして幹と枝だけになった柿の木が、一層、寂しそうである。
小生の感傷的な気持ちがそう、思わせるのか、昔の空は、今より遥かに青く澄んでいたように思えてならない。それとも、田舎の空気は、今、住んでいる東京の空とは違うということに過ぎないのか…。
秋の日に落ち忘れた実が一つ、二つ残るだけの柿の木が一本、田圃の脇に立っている風景というのは、小生ならずとも、多くの日本人にとっての原風景の一つなのでは なかろうか。
柿食えば鐘がなるなり法隆寺、なんて俳句があったな、そういえば。
なんて思っていると、ふと、田舎の庭の納屋の軒先に藁に巻かれて柿が、たくさん吊り下げられていたのを思い出した。
当然、吊るしてあるのは渋柿である。それを干して、干し柿(乾柿)にして、いい頃合いになったら食べるのだ。昔は、甘いものはめったに口に出来なかったから、干 し柿の甘さは、ガキには結構な御馳走だったのだ。
ところで、柿というと、渋柿と甘柿がある。今では、その両方があることは、とっくに常識になっている。
が、昔は、必ずしもそうではなかったのである。古来よりある柿は、全部渋柿で、甘い柿などなかったのである。
小生の田舎にしても、いつしか店先に甘い柿が並ぶようにはなったが、農家の庭先 に立つ柿の木に生るのは、すべてといっていいくらい渋柿だった。というより、生っている柿というと、渋いのが当たり前と思っていたような気がする。
← 魚津の岸壁から遠く富山市辺りの海辺を望む。
実際には、甘い柿も、小生がガキの頃だってあったのだろう。そういえば、見知ら ぬ農家の庭などに立つ柿が甘いのか、渋いのか、食べみなくては分からず、一口、ガ ブッとやってみて、それで初めて渋いか甘いかが分かるという塩梅だったようだ。
渋柿と甘柿は、外見では、見分けがつかなかったのであろう。
その渋柿であるが、それこそ古代より日本にはあったという。正倉院の文書にも柿が書き記してあるという。
手元の広辞苑の説明だと、「東アジア温帯固有の果樹で、長江流域に野生、日本に輸入されて古くから栽培」とある。柿としかないが、恐らくは渋柿だったのだろう。
さて、では甘い柿はいつから存在するようになったのか。あるいは、古来より、本当は甘い柿も渋柿のあったのだが、渋い柿しか知られていなかっただけなのだろうか。
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