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2013/10/01

魔術的リアリズムのはずが

 種村秀弘著の『魔術的リアリズム』(ちくま学芸文庫)を読み始めた。車中の徒然にちょうどいい。

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→ 種村秀弘著『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫) 「1920年ドイツ。表現主義と抽象全盛の時代に突如現れ、束の間妖しく輝き、やがてナチスの「血と大地」の神話の陰に消え去った、幻の芸術があった。歴史の狭間に忘れ去られた画家たちの軌跡を克明にたどり、仇花のごとき芸術の誕生と死を通して、ある時代の肖像を鮮やかに描きだした名著」とか。

 種村秀弘著『魔術的リアリズム』(ちくま学芸文庫)を手に取ったのは、過日、「魔術的リアリズム」ということで、展覧会が催され(「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス展」 Bunkamuraザ・ミュージアム )、関心を久々惹起されたので。

 小説においては、ボルヘスやマルケス(時にはカフカやゴーゴリ、莫言など)を脳裏に思い浮かべればいいが(日本では、安部公房や中上健次、阿部和重、池澤夏樹、筒井康隆、村上春樹などの作品の幾つかが脳裏に浮かぶ)、美術においてはどうなのか。

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← ジョヴァンニ・セガンティーニ作「湖を渡るアヴェマリア(第2作)」(1886年) (画像は、「ジョヴァンニ・セガンティーニ - Wikipedia」より)

 小生の貧しい頭では、ルネ・マグリットくらいしか思い浮かばない。アントニオ・ロペスの作品は、ずっと昔、スーパーリアリズム展の中で観たことがある。スーパーとマジックでは似て非なるものに思えるのだが。紛れ込んでいたのかな。
 種村秀弘の本は、美術の分野では、若い頃、高階 秀爾や澁澤龍彦、辻 惟雄、坂崎乙郎らと共に、結構、読ませてもらったものだ。
 その彼も、小生が気が付かないうちに、2004年に亡くなられている。時の移り変わりを実感させられる。

 本書は、「1920年ドイツ。表現主義と抽象全盛の時代に突如現れ、束の間妖しく輝き、やがてナチスの「血と大地」の神話の陰に消え去った、幻の芸術があった。歴史の狭間に忘れ去られた画家たちの軌跡を克明にたどり、仇花のごとき芸術の誕生と死を通して、ある時代の肖像を鮮やかに描きだした名著」というもの。
 書かれたのは、もう30年以上も昔。

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→ ジョヴァンニ・セガンティーニ作「淫蕩の罰(涅槃のプリマ)」 (1891年、チューリヒ美術館所蔵) (画像は、「ジョヴァンニ・セガンティーニ - Wikipedia」より)

 1920年代ドイツの新即物主義と呼ばれた短期間の美術運動をになった画家たちを論じたものだが、気になるのは、新即物主義すなわち、ノイエ・ザハリヒカイトを当時としての新しいリアリズムの訳に当て嵌めている点。
 新即物主義すなわち、ノイエ・ザハリヒカイトについては、「新即物主義(ノイエ・ザハリヒカイト) ドイツ 表現主義」(「ヴァーチャル絵画館」より)なる頁や「新即物主義 - Wikipedia」なる頁を参照してもらいたい。

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← ジョヴァンニ・セガンティーニ作「悪しき母達(嬰児殺し)」(1894年、オーストリア・ギャラリー所蔵) (画像は、「ジョヴァンニ・セガンティーニ - Wikipedia」より)

「主観的ともいえる表現主義に反する態度を取り、社会の中の無名性や匿名性として存在している人間に対し冷徹な視線を注ぎ、即物的に表現」するというものだが、これは時代背景も含めて理解しないと、中途半端に終わるだろう。

 本書での意味合い、あるいは正しい理解の如何はともかく、小生は、新即物主義すなわち、ノイエ・ザハリヒカイト(Neue Sachlichkeit)なる言葉あるいは、語義や語感が好きである。
 即物的! なんと響きのいい言葉なのだろう!

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→ ジョヴァンニ・セガンティーニ作「アルプス三部作: 自然」(1898-1899年、セガンティーニ美術館所蔵) (画像は、「ジョヴァンニ・セガンティーニ - Wikipedia」より)

 さて、勘のいい方でなくても気づかれていることだろうが、本稿で掲げたジョヴァンニ・セガンティーニの作品の数々は、新即物主義とは何の関係もない。たまたまネットで見つけたものである。
 印象派のようで、ミレーとは随分と違うし、象徴主義風のようで、実に乾いた孤独な画風。悲しみが輪郭線となって描き込まれているようである。
 まだまだ知らない素晴らしい画家がいると思い知らされた。
 ぜひ、「ジョヴァンニ・セガンティーニ - Wikipedia」なる頁を覗いてもらいたい。

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コメント

セガンティーニは子供のころ観た大原美術館のものからサンモリッツの美術館のものまで、そのアトリエや写生場所まで大分体験しました。バルビゾン派の影響は弱くはないもののタールで汚した最後の遺作大作群までその大きなパレットにはガガーリンの見た地球や火星からの映像などに近い即物的な視線がパノラマに描かれていてまだまだ古びていない視線のように思われます。

投稿: pfaelzerwein | 2013/10/01 13:21

セガンティーニも、ロペスも東京では展覧会やりました。
セガンティー二は、損保ジャパン。ロペスは文化村。まあ、渋谷と新宿。
セガンティーニはアルプスの画家ですから、当然魔術とは、関係ない。
ベックリンなんていかがですか、死の島。

投稿: oki | 2013/10/02 06:28

pfaelzerweinさん

さすがにご存じなのですね。
贅沢なほどの鑑賞体験をされていますね。

まだ知ったばかりですし、どのように理解すればいいか分からずにいます。
乾いた空気のせいか、あらゆるものの輪郭が酷いほどに鮮やかで、ちょっと触れるだけでも、切れてしまいそう。
実物を見てみたいです。

投稿: やいっち | 2013/10/02 21:37

okiさん

「セガンティーニも、ロペスも東京では展覧会やりました」!
さすが東京ですね。ロペス展は知ってましたが、セガンティーニまでも。

ベックリンは学生の頃から好きな画家。
一度、日本に彼の絵が来ましたね。
本ブログでも、特集したことがあります。
 http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2011/01/post-6e79.html
 http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2010/12/post-1537.html
などです。

投稿: やいっち | 2013/10/02 21:42

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