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2013/10/07

神野志 隆光著『本居宣長『古事記伝』を読む〈1〉』読了

 神野志 隆光著の『本居宣長『古事記伝』を読む〈1〉』(講談社選書メチエ)をようやく読了した。
 ようやく、というのは、購入したのは3か月以上も前、6月の下旬だったからである。

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← 裏庭の小道沿いの紫陽花。季節外れの今、紫陽花を撮る人も少ないだろう。今は、こんな風である。

 買って間もなく、読み始めたが、ふと手にしたフォークナーの『八月の光』などにのめり込み、気が付いたら9月になっていた。
 本居宣長の『古事記伝』の存在を知ったのは、小林秀雄の『本居宣長』を通じてだった。

 但し、小林秀雄の『本居宣長』は、読んでいないし、やたらと宣長からの引用が多いという評判を仄聞していることもあって、読みたいともまるで思わない。
 小林の本は、誰を題材にするにしても、要するに彼自身のセンチメントを垂れ流しているに過ぎないという高校時代の読書体験もあっての敬遠である。

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→ 『古事記伝』再稿本(本居宣長記念館蔵・国重文) (画像は、「古事記伝 - Wikipedia」より)

 三十代の半ば頃から、日本の考古学や古代史に関心を持ち始め、特に『古事記』の独特な世界に魅了されてきた。
 序文はともかく、『古事記』の本文は、少なくとも『日本書紀』より古いし、面白いのである。
 いろんな学者や作家らの「古事記」についての本を読み齧ってきたが、次第に気づかされるのは、やはり、本居宣長の『古事記伝』の存在感の大きさだった。
 
古事記伝 - Wikipedia」によると、宣長の「『古事記伝』は、宣長の時代に存在していた『古事記』の写本を相互に校合し、諸写本の異同を厳密に校訂した上で本文を構築する書誌学的手法により執筆されている。さらに古語の訓を附し、その後に詳細な註釈を加えるという構成になっている(こうした書誌学的手法は宣長のみならず江戸期の学芸文化から現在の国文学・歴史学に到るまで行われており、『古事記』に関してはのちの倉野憲司『古事記全註釈』にも引き継がれている)」のである。

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← 神野志 隆光【著】『本居宣長『古事記伝』を読む〈1〉』(講談社選書メチエ) (画像は、「本居宣長『古事記伝』を読む 1 - 神野志 隆光【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア」より) 「誰もがその名は知っている本居宣長の大著『古事記伝』。しかし、全巻読み通した人はほとんどいないといっていいだろう。つまみ食い的に読んで彼の思想を語る前に、まず、細部まで精緻に読み抜こうではないか。とはいえ、宣長の注解は多岐・厖大にわたり、簡単に読み切れるものではない。本書は、現代の代表的『古事記』研究者が、その責任において、徹底的に、かつわかりやすく『古事記伝』全四十四巻を読み解いていく画期的なシリーズである。そこに浮かび上がってくる宣長の無類のおもしろさ、そして思想の核心とは―。」

「宣長の『古事記伝』は、近世における古事記研究の頂点をなし、近代的な意味での実証主義的かつ文献学的な研究として評価されている。国語学上の定説となっている上代特殊仮名遣も、宣長によって発見されたと評価されている」…なのに、小生は自らの素養のなさもあって、敬して遠ざかってきた。

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→ シュウメイギク(秋明菊) 古い時代に中国からやってきて、野生化したものだとか。表の庭先に一輪だけ、ポツンと。早く、仲間が欲しいだろうに。

 古事記関連の本はいろいろ読んできたが、いつかは、本丸である本居宣長の『古事記伝』を読む…つもりだったが、素養が足りず、このままではもう触れることもできないだろうと、今回、人の手を大きく借りて挑むことにしたのだ。


関連拙稿:
『〈出雲〉という思想』のこと(後篇:「まえがき」を読む)
大和岩雄・著『新版 古事記成立考』を読む

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