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2013/10/27

むすんで ひらいて…

「むすんでひらいて」という文部省唱歌を知っている人は、今では少なくなったかもしれない。
 まして、曲がかのルソーの手になると知っている人となると、もっと少ないかもしれない。
 念のために、歌詞を示しておく:

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← 水瀬マユ作『むすんでひらいて 〈4〉』(マッグガーデン) 「高校生たちの様々な恋愛模様をオムニバス形式で描く、学園青春ラブストーリー ! !]だってさ。

むすんでひらいて」(作詞不詳・ルソー作曲/文部省唱歌)

   むすんで ひらいて
   手を うって むすんで
   また ひらいて
   手を うって
   その手を うえに(したに)
   むすんで ひらいて
   手を うって むすんで


 そうはいっても、今でもやはり、この歌を知る人は老若男女を問わず多いのではなかろうか。子どもの頃は学校 で歌わされた記憶もあるだろう。
 歌いやすいし、覚えやすく、親しみやすい歌の一つだ。文部省唱歌にはいいの が沢山、ある。この頃も学校では何か新しい歌が生まれ、歌われているのだろう か。

 この歌の曲は上記のように、ルソー曲だということを知る人は少なからずいる のかもしれない。小生は三十路を越えるまで知らなかっ た。
 えっ、ルソーが作曲したの、あの堅物のジャン・ジャック・ルソーが? 画家にアンリ・ルソーがい るから、こっちのほうじゃないの、と思った。
 そう、我輩は、自慢じゃないが、長い学校生活において音楽の成績が通信簿の 5段階評価で2を越えたことは滅多になかったのだ(大体、我輩が歌っても、我輩の音程通りに楽譜が書い てある教科書がないんだもの…独り言)。

 だもんで、歌うことは歌ったかもしれないが(我輩はご幼少の砌より演歌や歌謡曲一筋だったのだ)、教科書など眼中になかった。後年、長じては、それなりにルソーの諸著の読者ともなっていた我輩が、或る日、この歌がルソー作曲だと紹介され ているのを読んで、えー、そうだったの?! とルソーを見直した次第である。
 フランスの思想家であるルソー(Jean-Jacques Rousseau)(1712-1778)が 作曲! しかも、こんなに親しみやすい歌を。へえー、である。
 ちなみに、「音楽理論家であり、また自身も音楽家、作曲家であったルソーは、音楽理論を整理し、音を、より数学的に表現するため、「数字記譜法」を発案し、『音楽のための新記号案』を科学アカデミーにおいて発表。その後、自身の音楽研究を『近代音楽論究』としてまとめている。また、作曲の他に、晩年には『音楽事典』も出版している」のだ!

 ルソーの『エミール』は、云うまでもなく教育論の書であり、近代の教育学の古典とも呼ばれる書である。長いが、じっくり読むに値する本だと思う。

 その大作を書いたルソーは、彼が32歳の頃に知り合った女性(テレーズ)との 間に出来た子ども5人を、生れたそばから孤児院に預けている。時代背景が違う とはいえ、我々には理解を超える処置だ。

 尤も、ルソー自身、赦されざる暴挙だったと、『告白』の中で述べている。そ の「告白」によると、彼は、実は、『エミール』という教育論の書を書いている 一方で子どもを作り、次々に子どもを孤児院に預けていたのだと分かる。これでは、真剣に書かざるを得ないわけだ。彼自身、生後9日頃に母親を失っている。 父の妹に育てられたという。
 そう、そんなルソーだからこそ、罪と悔恨の意識で子どもへの罪滅ぼしの意味 合いもあって、こんな曲を作ったのか、と勝手に思い込んだりしたのだ。

 しかし、話は、そんなに簡単ではない。そもそもルソー作曲と称するにも(証するにも)なかなか問題があるのだ。そして興味深い逸話もある。
 その詳細は、下記のサイトが詳しいし、読んで面白い:
むすんでひらいての謎 ドナドナ研究室

 さて、この歌は、赤トンボの歌同様、誤解を生みやすい歌詞でもある。「また ひらいて」で、思わず、股を開いてみたりとか、まさか、さすがに「むすんで」 と歌って、ホントに手を結ぶお馬鹿さんもいなかったろうけど。そんなことした ら、解けなくなるよ、というか、その前に結べないよね。
 そういえば、何時だったか、「むすんで ひらいて」を「盗んで、開いて」って、つまり万引きか窃盗の歌で、まんまとせしめてきた戦利品を楽しみに開く歌 として歌っていた奴がいたけど…って、これは、真っ赤な嘘。

 まして、「手を うって むすんで」という歌詞から、ヤクザの手打ちの儀式 の際に、居並ぶ黒服の幹部連中を前に指名された誰かが朗々と歌う歌に違いない と言った奴もいた…、なんてのは、もっと馬鹿な嘘だよ。

 ところが、これまた、小生の迂闊なところ、頓珍漢なところ、早とちりなところなのだが、作曲と明記してあるのに、作詞もルソーなのだと思い込んでしまっ たから、ドツボに嵌って、さあ、大変だ。
 実は、その同じテキストだったか、他の雑誌で読んだのか忘れたが、この「む すんで ひらいて…」は、ホントはイヤラシイ歌なのだ、と書いてあるのを読んだのだ。

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→ 【初音ミク】「結ンデ開イテ羅刹ト骸」 (この画像は、by 「http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=38948063">渡」)

 えっ、いやらしい! そう、聞いては黙っちゃおれない。小生は改めて歌詞を じっくり味わって読んだ。

 そうだ! ユリイカだ!
 これは、なんと、男女の交わりの歌、合体の歌その ものじゃないか! 結んで開いてだって、ああ、いやらしい(ああ、したい)。 相手の体を押さえつけて、両手を上にやって、そして、むすんで、ひらいて…。 おまけに、「また、ひらいて」なんて、そこまでリアルに歌っていいのか! 子どもたちにこんな不謹慎な(ある意味では教育的だが)歌を堂々と歌わせていい のか! 俺は恥ずかしいぞ! 上になったり、下になったり…って、そこまで書 いてないよね。

      ([閑話休題、緩和興奮]以下、略)

(本稿は、旧稿である「むすんで ひらいて…」(03/03/21) より)

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コメント

男女の交わりの歌?
考えすぎでしょう(笑)
ルソーは5人の子どもを次々と孤児院に預けたのですか。
週刊誌風にいえば、「馬鹿ッ父」といったところです。
育てる気がないのなら、作らなければよろし。
告白して、免罪符になると思っていたら甘いかな。
『社会契約論』は授業で習いました。
まあ、私生活では凡人以下だったようですが。

投稿: 砂希 | 2013/10/27 13:32

砂希さん

あれこれ調べて分かったことは、ルソーのこの曲に、実にいろんな歌詞が宛がわれてきたということです。
「むすんで ひらいて」は、あくまでその中の一つなのです。
文部省唱歌ですから、男女の交わりの歌ってことはありえないでしょうが、まあ、幼い男女が学び舎を一つにして、仲良く、という意味合いはあるのでしょう。
それを小生のような根性の腐った大人が深読みしてしまう。
困ったものです。

ルソーは「告白」を書くことで免罪を考えたかどうか、分かりません。むしろ、精神的な露出の衝動のほうが動機として強いかも、なんて邪推をしたくなります。
なんたって、昔は、「告白」じゃなく、『懺悔』だったのですから。

少なくとも、「私生活においては、マゾヒズムや露出癖、晩年においては重度の被害妄想、内縁の妻であるテレーズ(晩年に正式に結婚)との間に生まれた5人の子供を経済的事情と相手側の家族との折り合いの悪さから孤児院送りにしたこと、精神の変調の萌芽は若い頃からあり、少年時代には街の娘たちに対する公然わいせつ罪(陰部を露出)で逮捕されかかったことなどが知られている。自身の著書『告白』などでそれら様々な行動について具体的に触れている」ことは踏まえておかないと、ルソー理解の前提すらたどり着けない。
まあ、とんでもなく複雑な人間だったということだけは言えそうです。

投稿: やいっち | 2013/10/28 03:13

弥一さんの、むすんでひらいて、の考察は前に読んだな〜と思ったら、旧こうを温めます、なんですね。
ねえ、ルソーが音楽やっていたとはね。
弥一さんも音楽ダメでしたか、僕も音痴。
高校は書道。
けど同級生には、芸大行って、今はニューヨークフィルで活躍している人もいるんですよ。

投稿: oki | 2013/10/30 21:38

okiさん

ルソーが音楽をやっていた、それもかなり。
意外な事実でしたね。

音楽はダメでした。通信簿は、行進の掛け声です。
イチ、ニ、イチ、ニ……。
サンには上がったことがあったかどうか。

同級生や同窓生で出世した人は居ますが、まあ、人それぞれです。

投稿: やいっち | 2013/11/01 21:27

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